72 マイトレーヤ
マスコミの手によりヒール・コスモスの金の流れが暴かれ、一連の騒動はブヤノフの議員辞職で幕引きになった。
ネットで溺死液を称えるものが現れ、マクギーだけでなくブヤノフの死を願う声まであがった。
ブヤノフも勇者溺死液に殺されれば良かったのに、とネットで漏らす者たち。
俺が溺死液と戦ったことまで情報が漏れていて、余計なことをするなと散々叩かれた。
法治の世界で生きてる人間のいうことかね。よくない気分になる。
宇宙は自己責任の世界だ。そこで法や秩序を説くのはアホらしいことかもしれない。
俺は悲観主義になった気分で宇宙船を運転していた。どうしてもウジウジと考えてしまう。
結局、俺はマクギー夫妻を守れなかった。最新の医療ポッドの生死判定で二人共死亡が確認されたのだ。マクギー夫人ことアマンダは助かるかと思ったが、心臓死と判定され人の死の規定により蘇生不可となった。
脳へ血液循環を行いつつ、死んだ心臓の代わりに人工心臓と取り替えたらどうだろう。そうはいかないのかな。医学知識に乏しい俺だ。
こう出来ていたら、ああやっていたらとタラレバの話が頭をよぎる。
俺はまた鉱物を乗せていた。有名になった俺だが、それで食っていけるわけでもなくスペースニートはスペースニートのままだった。
バイトや仕事をやっていたらネットではニートではないと失望される。俺がニートの沼に頭からハマってないと気がすまないのだろう。
「大変だったね。溺死液と戦ったんだろう?」
「ええ。まぁ。」
顔見知りになった取引先から受取のサインを貰う。
「ありがとうございました。」
頭を下げてチップドワキザシに乗った。
特技となったギターを鳴らして配信しつつ、ムーランドに帰る。
宇宙連邦議会ではヒール・コスモスの違法な献金を巡って大統領が政治的混乱を招いたとスピーチし、また、マクギー議員の訃報に際し、自由で開かれた民主主義が暴力で覆されるのはあってはならないことだと断じた。
宇宙大統領というと全宇宙の統治者みたいだが、他にも事務総長とか各惑星の政府主席とか偉そうな肩書が集まっていて監視しあい、トップダウンではあるがその権力は緩慢だった。
一番偉いのは大統領だろう、位だ。
銀河連邦の大統領は各惑星の代表者の中から選挙で選ばれるのだが、伝統的に主な先進惑星の星長の持ち回りになっており、連邦自体が宇宙の統治から分断してきているので名誉職扱いされていた。故郷のハイアースも一応選挙の候補者を輩出していたが、銀河連邦大統領になった政治家はいない。
慢性的な腐敗。利己主義に走るメディア。マスヒステリアになった人々。
ネット空間は貶しあいで満たされ、メタバースは欲望でギラギラして見える。ニートしてる時は宇宙はこんな風には思えなかった。
厭世家になった俺は、荒んだ心でバーボンを飲んだ。面白いほど弾けるようになったギターをベンベン弾いて、わざと無重力になりフワフワ浮かんだりした。
「スペースニートさんや。背中が煤けてるぞ。」
ガンショップ三毛猫の親父が俺を見て苦笑した。
「そう見えますか。」
「ああ。まぁ、まだ40代だろう?自然死を望んでもあと4、50年は長生きするもんだ。年齢固定を受けたあんたに言うことではないかもしれないが、人生は長いもんさ。」
「親父さんは今いくつなんですか?」
「あんたより年上なのは確かだな。」
誤魔化された。
「それより、溺死液が海賊同盟の連中を内部で粛清しているらしいな。スリーチャンネルで溺死液についてのニュース・レポートがあってたよ。」
「なんだって。」
ムーランドの3チャンネルのニュースアーカイブ。そこに溺死液の情報が載っていた。
「ほい。お待ちどうさん。銃のパーツを新しく交換したぞ。ニュースは後で見てくれ。」
「どうもありがとう。」
2つの意味で、感謝をいった。
ニュースは、マクギー議員の暗殺犯である溺死液が、海賊内部でも粛清と称して暗殺や破壊を行っているという内容だった。海賊幹部とも敵対関係にあるのだという。
ポールにメール通信でこの真偽を聞いてみた。
程なく返事が送られてくる。
銀河狼の兄のカジノが放火され、光道化師の右腕で現ボスとなっているパチェットの部下が殺され、クリストフの会社にも姿を見せて社員がパニックを起こしたのだという。
組織への反逆ととられる行動が目立つ一方で、海賊同盟の一員であることには変わりなく、名前が売れてしまったことで次は誰を暗殺するのかと注目されているらしい。
俺に通信が入った。
パニだ。
通信先のパニは黒い髪を綺麗に撫でつけていた。
「お久しぶり、パニ。」
「今は還俗してアハト議員だ。スペースニート。」
パニ、いやマイトレーヤ・アハト議員は俺なんかよりも大人びた雰囲気を漂わせていた。
「失礼しました。アハト議員。ご用向きは何でしょうか?」
雰囲気に呑まれる。
「うん。マクギー氏暗殺とブヤノフ氏の辞職を受けて、《《私を含むカーン派》》の議員連盟は大きな改革に舵を切った。スペースニート。君をトンコルに招待し…」
「ちょ、ちょっとまってくれ。いや、待ってください。」
俺は慌てた。
「カーン派の貴族議員の仲間になったのですか?アハト議員。」
「そうだ。私の出自を知る者たちが、私を利用して遺伝子地図を手に入れようとした。だから、交換条件として、私を政治家に担ぎ上げて貰った。民衆の組織票を利用してね。」
アハト議員は硬質な表情を崩さなかった。
「カーン派は民間では眉唾ものの扱いを受けているが、政治の世界では深い所で秘密裏に結託している。私のバックにいたアジング氏と政治的敵対関係だったのが、ブヤノフ氏だった。アジング氏が重鎮ならブヤノフ氏は筆頭といったところで、力関係はブヤノフ氏の方が上だったが、スキャンダルで辞職したことでパワーバランスが変わり、今はアジング氏と、他にアイスハルト氏が台頭している。」
聞いたことのある名前が出てきた。アイスハルト。顔がいいだけの浮気野郎がいた一族だ。
「スペースニート。君にはトンコルにきてほしい。直接会って話したい。」
「分かりました。」
俺は頷いた。
クロコに大体のことを知らせた。
「クロコさんも来る?」
「私は仕事がありますので。」
「クロコさんのお仕事って?」
「うちの資産管理と運用を任せたのはヒロシさんでしょう。沢山の事務や経理も私がやってます。今週は税理士とも相談しないといけないし、相棒なら知ってて当然のことを聞かないで下さい。というか、知ってて下さい。」
「ごめん。」
税理士、か。マイナスワンのライブで得たギャラや収益化した動画などの副収入のことで税金がかかったのだろうか。
「パニさんの手助けが終わったら、さっさと帰ってきて下さい。キャプテンズギルドの仕事が待ってます。」
「分かってるよ。」
運搬の仕事だろ?
その言葉を俺は飲んで黙した。
常夏ならぬ常冬の惑星トンコル。
相変わらず寒い大気を感じながら、俺は議員宿舎にある応接室に通された。
アハト議員がやってくる。
「お久しぶりです。アハト議員。」
「久しぶりだね。スペースニート。」
俺はソファから立ち上がって握手した。
「この部屋は防音とセキュリティがしっかりしている。私達の会話は誰にも聞かれることはない。」
「密談ができる、と。」
「使用記録は残っているから、面談といった感じだね。」
アハト議員と俺は対面でソファに座った。
「それで、直接の話とは?」
「単刀直入に言おう。海賊との戦いから手を引いて欲しい。」
「何!?」
俺は声を上げたが、防音で外には漏れない。
「順を追って話す。昔のカーン派は銀河帝国と偽皇帝カーンの復活を掲げる本当の秘密組織だった。だが、百年二百年と経つ内に思想も内容も変質して、今では貴族議員による連帯を高める秘匿性が高いだけの議員連盟、ただの派閥の一つになった。頭の古い優生思想だけは残してね。」
アハト議員は両手の指を組んだ。
「私のような存在が現れても、私でカーンの復元をしようなどという動きにはならなかった。彼らはDNA地図を採取したあと、私を殺害せずフルサイボーギングすることでDNA情報の抹消を行った。」
健康な肉体をナノマシンやマイクロマシンで、見た目を変えずに生体部品や機械の肉体に完全に変換する。
脳まで入れ替わるため厳密には人間でなくなるという意味で非人道的とされ、この手のサイボーグ人間は存在しないと言われている。
コルプ・ボダーブルといいフルボーグといい、宇宙でも唯一といっていい位の珍しい身の上だ。
「でも、DNA地図を手に入れたのでしょう?やはりカーンの複製が目的だったのでは?」
「私を製造し、カーンの復活を狙う組織もいたが、そういう組織は銀河連邦の調査室に消された。」
調査室というのがどういう存在かは知らない。知ってはいけない組織なのだろう。
「それよりもカーン派の目的は別にあった。カーンの複製ではなく、偽皇帝カーンのDNA地図を鍵とする銀河帝国の隠し財産が目当てだったんだ。」
「隠し財産って、まさかK資金とか?」
宇宙人型の中には本物の人類外生命体が紛れ込んでいるとか、宇宙は42という数字を出すために存在する演算装置だったとかいうのと同じ類のオカルト話だ。
「銀河帝国の隠し財産は特定されていたものの、カーンのDNA情報を組み込むことで手に入れることができる代物で、今日まで開けられることはなかった。中には莫大な財があると思われていたが、カーンは銀河連邦に勝利する未来しか考えていなかった。カーン派議員たちは天文学的な数の銀河帝国電子国債や電子借用書つまりゴミデータを手に入れ、用済みになったDNA地図は核兵器を処理するように厳重に抹消された。誰も得することなく、カーンの復活は永久になくなったわけだ。」
アハト議員は目を閉じた。なにかこみ上げるものがあったらしい。
「このことが、カーン派を監視する組織に知られることになった。海賊同盟だ。銀河帝国の再興を阻止する暴力装置の役割をアイデンティティとしていた彼らは、カーンの消滅をもってカーン派との対立を解消した。更に、カーン派の代表者となったアジング氏と海賊同盟の総船長デッドマン・ジョンが手を組んで、宇宙に新たな力をもたらすための約束を調印し取り付けた。」
「新たな力?」
俺は呟いた。アハト議員が続ける。
「カーン派は私を神輿に担ぐことを決めて、新たな議員派閥という格好にしてアハト派を名乗ることになり、アジング氏は宇宙連邦議会の議長に就任することとなった。彼の目標は銀河連邦事務総長へ出世することにある。海賊の方は民間軍事会社や表向きの会社を経営しつつ、無秩序な略奪を止めアハト派のための新たな私掠軍団に生まれ変わる。」
俺は唾を飲んだ。
「海賊の幹部も様変わりする。バチェットは『単なる』不動産王に、クリストフはシノギモトジメの『単なる』CEOにといった具合にだ。唯一の頭痛の種が溺死液で、彼にはこれが茶番に見えるらしい。」
溺死液と同じ感想とはね。俺もこれが酷い茶番に思えた。悪党共に染み付いたヘドロの匂いが消えることなんてない。
「私はトンコルの代表者となり、銀河連邦大統領の椅子を目指す。それによって、新たな連邦政治。新たな議会に改革され、運営されることになる。そして、新しく力強い秩序が宇宙に到来するだろう。これこそが人類の革新となる。」
俺は話を頭の中で反芻させ、理解した。
ため息がでた。だめじゃん。
「何が人類の革新だよ。混沌とする宇宙に絶対秩序をもたらそうと熱をあげた銀河帝国の初期をみるようだぜ。」
「配下になった当時の惑星代表者と共に宇宙連合から脱退して、新しく銀河帝国をつくったカーンと一緒にするな。我々は銀河連邦内部から政治を刷新するのだ。」
「刷新した所で、アハト派による寡頭政治を行おうというわけだろ?根幹に掲げてる自由で開かれた民主主義を捨てて、貴族議員や取り巻き達による宇宙の統治を行うのなら、それは十分、帝国の二の舞いになるやり方だ。」
「宇宙を血と暴力と死があるだけの空間にしたくない。宇宙人類はもっと法治の世界で生きていくべきなのだ。」
カーンが演説する映像は処分されて残っていないが、カーンのDNAを捨てフルボーグになったのに、アハトはまるでカーンの息子みたいな弁をしている。俺はそう思った。
「スペースニート。君がどう思おうと、既に賽は投げられた。君は溺死液を倒してくれさえしてくれればいい。宇宙の秩序と安寧のためだ。」
「ブッタによれば、人は生まれの差別でなく、行動によってバラモンにも卑しいものにもなるんだよな。」
俺はゆっくり立ち上がった。
「パニ。お前は自分のやってることがバラモン、尊い人に値すると思うか?俺の目の前に若き独裁者が座ってるなんてことになるのは嫌だぜ。」
「自分にはもうカーンのDNAは存在しない。それが答えだ。」
答えにならねーよ。
「溺死液は倒す。海賊も許せない。海賊はやってる罪が重すぎて、今更クリーンにはなれないだろう。高度に政治的な話をありがとうよ。もうアハト議員の中にはパニはいないらしいな。」
「残念だよ。ヒロシ。海賊やあちこちから命を狙われている君なら、分かって貰える話だと思ってた。」
俺達は物別れに終わった。




