120 夢のままで赤い林檎
事務所に帰ってきた俺に、クロコやサンドラ達が迎えてくれた。
「惜しかったですわね。ヒロシさん。」
サンドラの労いがありがたい。
「いやぁ、宇宙船のキャプテンが船から落ちるなんて、ヘマもいいところだったよ。」
俺は頭をポリポリかいた。
「エミリー・ロックから振り込みがありました。」
クロコが経理報告する。
確認すると、結構な額が振り込まれていた。
「凄いな。」
「銀警よりも、羽振りのいいセレブと末永く付き合うべきです。力こそ正義なのですよ。」
クロコはそういうと、鼻息を荒くした。
「ああ、まぁ、そうね。」
俺は曖昧に頷いた。どちらも大事だ。
事務所で暫くのんびり生活しようと思っていたが、今は地球教をなんとかする方策を考えなければならなかった。
俺は頭の中で地球史を辿った。
AIやロボットが働くようになって、人類は奴隷を用いた中流市民の生活みたいなことをやっていた時期がある。
パンとサーカスの世界に踊らされ、溢れる情報を鵜呑みにし、甘いゆりかごの中で死ぬ者と相対するように、宇宙に飛び出し新たな土地と資源を目指す野心家が現れた。
彼らの功績で月や火星を行き来する初期宇宙技術が発展し、それが技術特異点を迎えて遠宇宙へのジャンプ技術の基礎が作られると、そこから更に指数関数的に宇宙開拓が始まった。
そんな宇宙開拓の始まりにあたって、地球で採取された生物のDNAデータを手に、人類はまず火星へと播種していった。
ある日、人類は地球で史上最大の負の遺産となるミラーウィルスの開発に成功する。
それが研究所から外に漏れた結果、地球の生物は絶滅することとなった。
ミラーウィルスというのは人工的に右巻きであるDNAの螺旋構造を逆にした左巻きのDNA鎖をもつウィルスで、それは地球の生物とは全く異なる生態系を持つ存在であった。
人類は知恵の実やパンドラの箱を超える禁忌を犯したのだ。
人工生命体のミラーウィルスは、人類はおろか全ての地球内生命体にとって致命的だった。
インフルエンザや新型コロナウィルス以上の世界的な伝播能力とエボラウィルスをも超える感染致死率を持つ鏡死病の登場に、右巻きの螺旋構造をもつ地球上の生物は絶滅していった。
渡り鳥が空から落ち、地を這う虫さえコロリと死ぬ状況に人類はありとあらゆる方策をとったが、地球の生物を巻き添えに、地球の原生人類は絶滅する運命が決定されたのである。
さて、火星に住んでいた開拓初期の人類は、ミラーウィルスによる鏡死病に対して、地球人を地球ごと『隔離』した。
地球と火星間の航行と物流を禁止し、木星上空コロニーや、やがて迎える遠宇宙開発に注目を集中させ、地球は火星の航行拒絶についてNASAが送った最後の通信を残して放置された。
通信の文面はこうだ。
「母親を見捨てるのか、火星人め。」
そうして呪いの言葉を残して滅んだ地球人だったが、地球にはまだ地球人が存在するという話がまことしやかに囁かれている。
歴史を紐解けば、地球をcoliし殺滅して『再入植』しようという案もあったが、結局、青と茶の星からは生命の息吹は感じられることないまま、太陽系はやがて遠い遠い禁足地になった。
そして今更、銀河帝国に地球母神教が勃興したように、地球に対する贖罪をネタに宗教が作られ、地球人型の優生思想と共に布教が起きている。
それが俺を何とも言えない気分にさせた。
あの遠くを見つめる金髪ロン毛の老人がクリストフならば、とてつもなく邪悪で残酷なことを考えているはずだ。
地球の死にちなんで、血熱病や鏡死病をもまき散らすかもしれない。
信者から金を搾り取った挙げ句、宗教テロの兵隊に使うかもしれない。
奴ならあり得る。誰か止めねばならない。
野次馬が「誰か止めろよ。」といっても何も変わらない。
俺がその誰かにならねば。
もやもや考える俺の姿を見たサンドラが、俺に笑顔を向けた。
「ヒロシさん。冷蔵庫にヒロシさんの分のプリンがありましてよ?」
「頂くよ。」
決意だけ固くして、俺は冷蔵庫からプリンを取り出して食った。
配達のバイトと配信業が板についてきた俺だが、食っていくには労働がいるのに疲れていた。
働きたくないでござると言いながら働く必要があり、40代からの新たな働き手は『真っ当』には稼げないのがハイアースの社会だった。
宇宙では、関係ないね。
そこだけは良かったし、海賊退治のスペースニートの元に、ついに金の運搬依頼が来た。
今の金の値段は、中性子星のぶつかりによって生じた金の生産量により変動するダイナミックな相場によって決まる。
投資家にとっては、林業による植物の買い付けが安定的な投資先だ。畜産と同じで宇宙では生き物というブランドは強い。人間を除いて。
俺はニートギルドを通じて、クレハに感謝のメッセージ付きで宿泊代を払った。
格闘大会に出た理由を真実でもなくペテンにかけつつ、面白おかしい感じに配信してギターを弾き終わると、チップドワキザシが配達先にそろそろ着く辺りで連絡があった。
ポールからだ。
「よう、スペースニート。」
「やぁ、グレイウルフ、いや、ポール捜査官どの。」
挨拶もそこそこに、ポールは調査結果を報告してきた。
「課長からGOサインが出た。民間協力は距離を間違えると駄目なんだが、お前クラスになると頼みやすいな。」
「よせやい。褒めると照れるぜ。それで、今回は何だ?」
「地球教の教祖がクリストフであるという確証が持てなくてな。宇宙国税局と組んで、宗教法人への納税適正の査察と題して介入調査を行ったんだ。」
宇宙国税局か。
惑星に住む全ての住民から税金を算出して搾り取るインテリの汚れ仕事の代表格だな。
かく言う俺の事務所も回り回っては宇宙国税局に税金を一部納めている。詳しい仕組みについてはクロコの方が俺より明るい。
「それで、教祖とクリストフはつながったりしたか?」
「いや、地球人の代弁者を名乗るジェイコブ・ヨンという男と弁護士集団に阻まれて、地球人と面会すらできなかった。それ以上を追及しようにも、書面では彼らに非は無いし、宇宙国税局は強きを助け弱きをくじく所があるからな。」
ポールは嫌われ者の局を皮肉した。
宇宙国税局は宇宙に散らばった人類から少しずつ税金を集め、巨額に膨れ上がった資産でもって銀河連邦が運営するのが仕事だ。
どことは言わないが、俺の故郷の先進惑星なんかは納税額の大きさを他の惑星と競い、影響力を高めることで宇宙での発言権を増してきた。
トンコルはそこより低い額だが、その分を不出生の少年政治家のカリスマ性で補っている。
マイトレーヤの背景を問う政治評論家は沢山いるが、誰もカーン派にはたどり着いていない。いたとしても眉唾と一笑で終わっている。
なにせ、ネオインペリ嫌いの銀憂団が推しているからな。
「スペースニート?」
「ああ、すまん。納税額を思ってボーっとなった。」
「銀河連邦の宇宙国税局に文句があるのは分かるけどな。一応こちら側で味方なんだ。しっかりしてくれ。」
冗談を言ったが、ポールはマジと受け取ったらしい。
「尻尾を出さない地球人に、課長はクリストフとは断定しないが臭いものを嗅ぎつけた。特務課としては地球人の正体をクリストフと断定せず多角的に追うつもりだ。それで、スペースニート。お前にはテレビジョンの配信スタジオで地球人と会ってもらいたい。」
「配信スタジオ?」
「ネットへの公開配信、つまりテレビジョンでメディアが地球人を名乗る男がバラエティに出演する。それにゲスト枠として参加して欲しい。」
「新興宗教の教祖をバラエティに出演させるだと!?メディアは正気か!?」
宇宙のネットワーク配信は戦場だ。
誰もが観れる公開配信のテレビジョンの枠に刺激を投下したいのは山々だろうが、刺激でなく毒薬を盛ってどうするんだ?
「まぁ、影響力を思えばクレイジーだが、メディアの倫理観を問い詰めたって仕方ない。この機会を利用して、スタッフに化ける予定の俺たち特務課の目だけでなく、スペースニートの目でも地球人が何者なのかを確かめて欲しい。感触を見るというやつだ。」
「感触を見る、ねぇ。」
倫理観のない医師に完全美容改造されているだろうクリストフは、指紋さえ別人に違いない。
別人か本人か判別するのは、脳の癖つまり言動しかないだろう。
改造した医師や医療記録のついたポットでも出てこない限りは、会ってみて雰囲気で確かめるくらいしか方法が無かった。
「ネットのVライバーの動きを見て中の人を当てるのと同じだ。そうそう判別出来るわけないだろ。」
「違和感は捜査の第一歩さ。ミステリー小説でも、あれれ~何だかおかしいぞ?って精神がとっかかりになることだってあるだろ。」
「配信自体を止めるべきとは思うけどな。」
「メディアにも地球教が沢山入り込んでるのかもしれない。奴等、地球を模したデザインの物を身につける事が信仰告白になってるんだが、情報提供してくれた協力者曰く、企画したプロデューサーのスーツの袖ボタンが地球の形になっていたらしい。」
「なんて露骨な…。」
「宗教とはそんなもんだ。俺もパンツの柄がメタルモンスターだったりするもんな。」
ポールのパンツの柄は知りたくなかったが、熱狂すると人は形振り構わなくなるらしい。
「で、テレビ出演するか?」
「ライブ配信で、かつギャラ貰えるならやるよ。」
俺は肩を上げ下げした。
「なんか、我ながら芸能人と縁のある無職だな。」
「有名人だからな。有名税ってやつさ。」
「国税局は味方じゃねぇのかよ。」
俺のボヤキに、ポールが笑った。




