レッテル貼りの少年
「はい、はい、お預かりします」
「よろしくねぇ、いつもありがとうね」
「いえ、こちらこそいつもありがとうございます」
腕にバスケットを下げた婦人が扉の向こうに消えるまで、受付兼、店長兼、配達員であるポーストは頭を下げ続けた。
そして気配もなくなったあたりで頭を上げつつ、ため息を1つ。
「最近、増えてきたなぁ……」
ポーストは婦人の依頼で受け取ったものを仕分けていく、これはこっち、これもこっち……
かつては祖父と一緒に切り盛りしていた郵便業も、彼を看取ってからは一人で全てをこなす必要がある。
とはいえ、手伝いという名で業務のほぼ全てを代行していたようなものなので、ひとり残されても滞りはない。
彼の両親も昔は共に暮らしていたのだが、まだポーストが小さな頃にポーストを置いて出ていったらしい。祖父と両親はとにかく仲が悪かった。ポーストに残る両親の最後の記憶は、何度目かも分からない両親と祖父の大喧嘩の末に、ポーストにどちらと一緒に暮らすか選びなさいと言った父親の顔と、祖父を選んだ時の母親の泣き出しそうな顔だけだ。
その後も度々訪れる客から手紙を受け取っては黙々と仕分け、日が暮れる頃には大きな山と小さな山が出来上がっていた。
ポーストはテーブルの上の大きな山を、テーブル脇に取り付けた袋にドサドサと落すと、最後には袋の紐を引いて全て一纏めにした。
夜を知らせる鐘が町に響きわたるのに合わせて、まだ育ち盛りの体をめいっぱい使ってポーストは大きな袋を店から運び出した。
店の裏手にある庭の真ん中に、底を少しこすりながら大きな袋を置き、ポーストはいつものように小さな切り株の椅子に腰を下ろした。
程なくして、かろうじて赤みの残る空に大きな影が現れる。
ポーストがぼんやりとそれを見続けていると、影だったものは鳥になり、やがて羽ばたく度に少し獣臭い匂いを漂わせながら庭に降り立った。
「今日もありがとう、はい、どうぞっ」
ポーストが大きなくちばしの前にふわりと鳥の好物である果実を放り投げると、鳥はそれをぱくりと飲み込んで、ゴア、とひと鳴きした。
喜んでいるのか、そうでないのかはポーストには分からないが、もう一つの果実を差し出し、鳥の足につけられた小さな袋を取り外し、急いで足元から離れた。
取り決め通りに大きな脚でポーストが用意した大きな袋を掴むと、鳥はまた風を巻き起こしながら飛んできた方へと飛び去っていった。
「お、今日は4本もくれた」
鳥はたまに古くなった羽を落していくが、そこそこ貴重な羽ペンの材料になる。ありがたいありがたい、とつぶやきながら拾い集めると、顔をほころばせて店へと戻っていった。
翌朝、と言ってもまだ日も昇り始めたくらいの時刻。ポーストは小さな山である手紙を更に仕分け、背負った箱に入れて店を飛び出した。
「これはここ、これとこれとこれはここ……」
ぽんぽんと軽快に町中のポストに放り込んでは駆け抜けていく、たまに犬の散歩をしている町の人とすれ違っては挨拶をする声を目覚ましにしている者もいるくらいだ。
一通り普通の手紙を配り終えると、町は朝を済ませた人々で溢れかえる。
通りはにぎわい、人々はそれぞれの仕事のために町を行き交っていた。
背中の箱から特別な手紙を取り出すと、名宛人を確認していく。
ポーストは午前中の仕事を終えるまでもう一息だな、と気合を入れ直し、また町を駆けていった。
「やぁポースト、配達かい?」
「あ、シャーリーさん。おはようございます。ちょうどよかった」
「おや、私かね」
シャーリーと呼ばれた老女はにこやかにポーストを迎え入れると、ゆったりとした動きでポーストの手を取った。ぽわりと老女の手から腕にかけて暖かな光が伝わり、すぐに何事もなかったかのように収まる。これでこの配達は終わりだ。
「はい、では次があるのでこれで」
「はいはい、どうもね」
次は工場の主である大男へと配達のようだ、と小道を抜けて行く、何度も通っているのもあり、往来を行くよりも早くたどり着く事ができる。
「ダーンさん居ますか?」
「親方なら裏だよ、まじないか?」
「あ、そうです。ありがとうございまーす」
「おう、しっかり頼むぜ」
笑顔の従業員に見送られ、ダーンへの配達を終える。
時々ダーンへの配達も依頼されるが、最近のダーンさんはどうも気が立っているような気がするので、失礼のないように彼の背中へと光を灯す。
「ご苦労」
「あいたーっ、お邪魔しました……いちち」
ダーン曰く、気合の注入という背中への張り手を受けてポーストはまた走り出す。背中の熱さの感覚も久しぶりだ。
「なんだ、今日もかポースト」
「あはは、最近は毎日お会いしますね、ヤコールさん」
「毎日毎日、よくもまあ飽きずにやってくるもんだな」
「お仕事ですから」
ポーストはこの町の商会長を務めるヤコールのことが、正直言えば苦手だった。鋭い目つき、不正や計算の誤りなどは絶対に許さないという態度や行動、常に上から下まで観察されているような薄ら寒さを感じてしまう。
今も忙しく書類仕事をしているので、紙を抑える左手に向けて光を灯す。薄青く涼し気な光がヤコールに吸い込まれ、消えていった。
「ふん、終わったなら帰れ」
「はい、では失礼します」
「あら、ポースト」
「やぁ、ミニス、今日も……かわいいね」
「ふふ、ありがとうポースト。あなたが会いに来たって事は、おまじないかしら」
「うん、そうだよ。別におまじないじゃなくても会いに来たいとは思うんだけど、忙しくてさ」
「ポーストは働き者だものね、いつもお疲れ様」
柔らかく微笑むミニスの笑顔を直視するとどうにも照れくさくなり、視線を外してしまう。頬も熱くなるので、もしかしたら照れている顔を見られているかもしれないと思うとなおさら恥ずかしくなってしまう。
「ありがとう、じゃあ……手を」
「はい、おねがいね」
差し出されたミニスの手を取り、細くしなやかな指先を見つめる。彼女によく似合う桃色の光がふわりと舞うように彼女の手に吸い込まれていった。
「……ポースト?」
「あ、ごめんねミニス、ぼんやりしてた……じゃあ、また」
「ばいばい」
気を引き締めないとすぐにこうしてミニスに見惚れてしまう。良くないと思いながらも、名宛人の中にミニスの名があるとどうしても浮足立ってしまう。
そうして、ポーストは何人もの名宛人に会っては次の人へ会いに行く。
ここ暫くはこうして配達先も増えているので、懐が潤う一方で時間が足りなくなりがちだ。
「流石に配達の個数制限とか考えたほうがいいのかもなぁ……どんどん忙しくなるし」
あまり請け負いすぎて予定時間内に配達が終わらないのも困るのだ。
そして町でいくつか買い食いを済ませ、午後は明日の手紙の受付で窓口を開ける。
これがいつもの、ずっと続けてきたポーストのルーティンワークであった。
さて、この町の不思議な郵便屋には3つの手紙の配達方法がある。
1つは大鳥を用いた輸送で中央の都へと届けられ、そこから各町へと仕分けられてまた大鳥で運ばれる長距離輸送便。
1つはレターと呼ばれる、町のポストへと届けられる手紙の配達。
そしてもう1つがレッテルと呼ばれる、直接特定の個人へと配達される手紙だ。
レッテルはポーストの祖父の、そのまた祖父の……まあ、先祖代々と言っていいほど前から続く特別な魔法の手紙である。
おまじない、と呼ばれて長く裏のメニューとして続いてきたそれは、特別な手順を経ることでレッテルとして名宛人に届けられる。
レターとの大きな違いは、レッテルは名宛人には見えず、貼り付けるようにして届けられるということだ。
ポーストがいるこの村はやや閉鎖的な立地にあり、世界的に見れば幾分遅れている地域であることは間違いない。
だからこれまでやってこれたというのもあるのだが、ある日ポーストの配達の様子を見たとある男が血相を変えてポーストに近づき、彼の腕を掴んだことでこの町に一つの終わりが訪れる。
「お前、なんてことをするんだ」
「えっ……と?」
「これ、レッテルだろう、まだこんな事をしている郵便がいたとはな」
「すみません、レッテルですが、なにか問題でも……?」
「……なるほどな、お前のところの店長は」
「私です、祖父はもう数年前に他界しましたので」
「親は」
「祖父の他界よりも前にこの町を出ていきました」
「……はぁ……どいつもこいつも……お前の店に連れて行け、理由を話してやる」
腕を掴んだ男の怒気が少し収まり、ポーストはようやく彼を落ち着いてみることが出来た。
明らかにこの町の仕立ではない服を着て、すらりとしなやかに立つその姿はいかにも都会からやってきたと見える。
どっちだ、と聞きながらポーストの前をずんずんと進み、ポーストの腕を掴んだまま彼はポーストの店までひたすら歩いていった。
「レッテルのことをどう認識しているか、話してくれ」
「はい、ええと、お客様への説明の仕方と同じにはなりますが……レッテルはおまじないの手紙です。特別な気持ちを届けることができます。密かに秘めた思いを、確実にお届けします」
「それだけか」
「はい、あとはおまじないのかけ方くらいで」
「やり方は」
「これですが……」
男、名をポラリスと名乗った彼はポーストから1冊の古い日記のようなものを受け取ると、ポーストが開いていたページに目を通した。
ポーストであれば十数分掛けて読むような内容を一瞬で読み解くと、ポラリスは日記を閉じて深くため息をついた。
ポラリスが日記を軽くテーブルに叩きつけるかのように乱暴に置くと、ポーストは驚いて肩を竦ませる。まるで父親にいたずらを咎められた時のようなバツの悪さを感じて、なんとなくポーストは彼と目線を合わせられずにいた。
「いいかポースト、お前が届けていたおまじないの手紙、レッテルはな、都では禁じられている手紙だ」
「どうしてですか?」
「不思議に思ったことはないのか、まじないをかけると手紙は薄くなり、向こうが透けて見えるほどになる。そしてレッテルは名宛人に届けるのではなく、名宛人のどこかに貼り付けることで配達人の手元から消えてなくなることに」
「それはまぁ、不思議だなぁとは……でも、おまじないの手紙なのですし、そういうものなのでは?」
「バカ言え、そういうもの、程度で都が禁じるものか。レッテルはな、届けられた者からは見えず、届けられた人を見るものに印象を植え付ける魔術のひとつなんだよ」
「魔術……ですか?このおまじないが?」
「昔、都でもコレが流行った時期があった。始めは良かった。コイツはいいやつだ、というレッテルを送れば、名宛人はなんとなく好印象を持たれる。ありがとうと感謝の気持ちを送れば、なんとなくありがたい発言をしているような気がしてくる」
「いいことじゃないですか?」
「これだけならかわいいもんだ、だが、人の意識を操作できるレッテルは、すぐに魂の汚れた者共によって悪用され出した」
ポーストの喉が鳴る、ポラリスの声が一段と低く、冷たくなる。これから話す事例をいかに唾棄しているかがそれだけでも伝わるほどに彼の目には炎が灯っているように見えた。
「気に食わないやつに無能のレッテルを貼り、仕事場から追い出した。馬の合わないやつに自分勝手のレッテルを貼り皆の共通の敵に仕立て上げた。好いた女に売女のレッテルを貼りまともな恋愛が出来なくさせてから自分のものにしようとした男がいた。そういう使い方の事例は上げ続ければ日が昇って暮れても終わらないだろうよ」
「そんな……ちょっとしたおまじないでは……」
「お前の所はレッテル一通でレターの何倍の代金を受け取っているんだ?」
「30倍……です」
「ちょっとしたおまじないにそんなに金を出す馬鹿がそんなにいると本気で思ってたのか?」
ポーストは何の反論も返すことが出来ない。だって、レッテルを配達しなければ食うに困る月だってある。それがどんな意味を持つかなんて考える暇なんて、祖父が死んでからは自分にはなかった。ただ毎日同じことをひたすら、生きるためだけに繰り返す毎日。
テーブルに両手をつき、がっくりとうなだれるポースト。
今更ながらに全てに合点がいった。両親がどうして祖父とあんなに喧嘩をしていたのか。
ポーストの幼少期に一度だけ都に家族で旅行に行ったことがある。きっとその時に両親はレッテルの真の意味に気づいたのだろう、だからこそこの町を出てまっとうに生きようとしたのだ。ただ、その頃祖父にべったりだったポーストは祖父と離れる事を嫌がった。彼は覚えていないが、どちらと生きるかを本人に選ばせろと迫ったのは祖父である。もう体が徐々に動かなくなり始め、祖母も早くして失った彼にとって都への引っ越しは到底耐えられるものではなく、また世話をしてくれる者もいなければ惨めな終わりが待つのみだ。
結局、祖父の思い通りにポーストは祖父を選んだ。お手伝いだよ、練習だよと言って任されたポーストの最初のレッテルの配達先は祖父だった。その時祖父がどんなまじないを彼本人にかけたのかは今となっては分からないが、小さく純真だったポーストにとって、両親を捨てるほど強力に働きかけたのは間違いなかった。
そして、これまで自分が配達してきたレッテルがもたらす意味を考えると怖くなった。名宛人に自分が感じてきた印象、あれは本当に正しくその人を表していたのだろうか。
優しそうなのも、怖そうなのも、愛らしいのも、何もかもレッテルで植え付けられた仮初のものなのではないか。どうして彼らにそんなレッテルを貼る意味があるのかについては考えても分からない。ただ、ポラリスの言うように悪用されているのだとしたら?かつて町で起こった対人のトラブル、あの原因がレッテルによるものだとしたら。それに加担したのは自分ではないか。考えれば考えるほど怖く、ポーストは泣きたくなった。
「私は……裁かれるのですか」
「そうだな、全くの無罪と言うわけにもいかないだろう」
「そうですか……」
「ただ、罪の清算には協力してやれるだろう、お前にその気があれば」
「……何をするとよいのでしょう」
「お前にレッテルを依頼した者を全て報告し、この店は廃業とする。その後、私と都に行き顛末のすべてを包み隠さず報告しなさい。おそらくお前の話す通りで、そこに嘘が無ければ半年もすればまた自由を手にすることが出来るだろう」
「そうですか……」
「どうする」
「そうします」
うなだれたままポーストは吐き捨てるように同意を示した。知らなかったとはいえ罪に手を染め続けてでも生きてきた今までが報われる前に死にたくはなかった。ただ、もう自分で立ち上がる気力はない。助けてくれると言うなら、思いっきり背負われるのも配達人の最後としては皮肉が効いているだろうと両の目から涙をこぼしながら結論付けた。
半年後、無事に罪を雪いだポーストの元に一通のレターが届く。
釈放、とは言っても何も持たない身一つの自分がこれからどのように生きていけばよいのか。
寝る所も食事もある塀の中のほうがまだましなのではないのか、そんなことを考えながらもレターの封を切ると、そこには両親の名前が並んでいた。
読めば、ポラリスがポーストの両親を探し出し、現状を伝えてくれたらしい。
中には祖父の言葉に従ってポーストを置いて去ったことに対する謝罪の言葉が並べられていた。
もしもこれから許される可能性があるのなら、また一緒に暮らさないかとも書いてあった。
ぼろぼろと涙をこぼしながらポーストは歩き出す。
両親の住む住所がちゃんと読めるようになるにはもう少し時間が必要だった。