2,長夜
慎ましい家の一室、その窓際にあるベッドの上で一人の妊婦が体を起こしている。月のない夜で、部屋の電気もついていないため、彼女の顔かたちはよく分からない。ちょうど誰もいない部屋の中で、彼女は寝間着越しに大きな腹をなでながらそこに向かって語りかける。
「明日生まれるのね、あなた、ふふ、本当かしら。ごめんね、たぶん寒い思いさせちゃうでしょうけど……、私は家か病院がよかったんだけど、長老たちがどうしてもって聞いてくれなくて、お母さん、押しに弱いから。あなた、きっと女の子でしょ?なら、私みたいな気の弱い女になっちゃだめよ、断るときはキッパリと、有無を言わせず断れるようにならなきゃ、まぁ、お父さんみたいに我が強い人になっちゃうのも考え物だけど、あはは、あの人、今頃どこで何をしてるのかしらねぇ、元気だといいけど。
とにかく、中庸でいいのよ、それが一番、普通の女の子を目指しなさい。結婚するときも普通の人と結婚なさい、って気が早いわね、まだあなたは生まれてもないのに。……そうねぇ、たぶん、いろんな人たちがあなたのことをほめそやすでしょうね、救世主だ!って。でもいい気になっちゃだめよ、その人たちはきっと、あなたを祭り上げて、そして、その気がなくてもあなたの手を汚させようとしてくるんだから。その先にあるのは、長い、永遠の戦いと、たくさんの犠牲だけなんだから。そんな救世主なんかにはならないで、無数の屍の上に十字架を突き立てるような英雄になんか、お願いだからならないで。お願いだから遠くにはいかないで、私より先に死なないで。あなたは元気に育ってくれたらいいの、私を見捨てなければいいの、私の最期を看取ってくれたらいいの、それだけで、あなたは私の救世主になれるんだから。もちろん、あなたが歴史に名前を残すほどの偉大な人になったら、なんてことを考えたこともあるわ、でも、やっぱり、偉大になることなんて、親孝行に比べてば、ちょっとの価値もないくだらないことよ。」
妊婦は窓に目をやり、空を見上げた。暗闇の中で濃い青色に光る一等星が、彼女の瞳を照らした。
「ほら、見てごらん、きれいなお星さまねぇ、瑠璃みたいに青く輝いて……。ねえ、もしあなたが本当に救世主なんだとすれば、あのお星さまみたいな救世主になりなさい。太陽みたいにみんなの目にとまらなくてもいい、目立たなくても、ひそかに誰かの苦しみを、悩みを、迷いを、長夜を、明るく照らして元気づけられるような、そんな救世主に。
ああ、体が温かい、不思議ね、もう冬なのに、毛布がなくても平気なの。きっと二人分の体温があるおかげね、ふふ、それじゃあおやすみなさい。またすぐに会いましょう、そしたら私、あなたの顔じゅうにキスしてあげるわね、ふふ、泣いちゃうかしら?」
妊婦は横になり、目をつむった。