僕の楽園
こんにちは。このお話は魔法のある異世界から、現実世界によく似た世界へと渡ってきた人物の物語です。恋人の聖女様の世界に一緒にやってきたのですが、そこはよく似た世界の出来事で、現実世界とは違いますので、こんなことおかしいよということがあるかもしれませんが、片目をつぶって頂けたら嬉しいです。シリーズ物の続編?スピンオフ?ですので、本編も是非ご一読頂けると嬉しいです。
皆は元気にしているだろうか。
渡ってきた異世界は、魔素に溢れていた。
息苦しいほど濃い魔素。この世界の人々はそれを感知できないらしい。
しかしそれに構っている間はなかった。僕の容姿は彼女の国では珍しく、また紛れ込むには出生管理などがきっちりしている国なので相当難しいらしかった。先々代の聖女に当たる方を頼り、僕は僕の大切な当代聖女様と離れてひそかに一人、彼女の故郷の国から出国した。
僕らの世界で先々代聖女様を務めてくださった方は、こちらに戻ってから努力を重ねて現在、かなりの高い立場にいる方で、国外にいる他の元聖女様方とも繋がりがあるらしい。僕に会うと、御先祖の王に面影があると懐かしんで大変親身になってくれた。
一時的にも僕の当代聖女様と離れるのは寂しいが、ここで暮らしていくためには仕方がない。政情が不安定というある国からの難民という立場を与えられ、僕はその近隣の、難民を多く受け入れている国へやって来た。幸い僕の固有能力である『相互理解』の力はこちらでも働いたので言葉には苦労せず、僕は先々代聖女様の通訳を勤める傍らこの世界について猛勉強した。
研究発表のためにその国の大学に来ていた彼女とようやく再会する事ができた時には、三ヶ月もの時が経っていた。彼女の姿を見つけた僕は思わず駆け寄りそうになったが、僕たちは初対面という事になっていて、ここで初めて僕は彼女に会い、一目惚れして彼女の国まで追いかけていくという筋書きになっている。じっと大人しく紹介されるのを待ち、礼儀正しく挨拶した。だが彼女の瞳が揺れるのを見た時は、筋書きなどかなぐり捨てて抱きしめてしまおうかと思った。
さて彼女の国に戻ってみると、彼女はかなり大きな多国籍企業の一人娘である事が判明した。なるほどこれでは、いきなり行方がわからなくなれば大事件に発展するだろう。そんな彼女と今や何も持たない僕とでは、釣り合いが取れなくなってしまったのではと心配になったが、歴代聖女様方が僕の後見となり後押ししてくれた。僕は無我夢中で知識を吸収した。
魔術はほとんど使えなくなった。弱くなった力を、こちらとは少し違う僕の聴覚を補助するのに費やす日々だ。だが不思議と固有能力の『相互理解』の力は高まったらしく、相手の思考や気分まで、ぼんやりとだが『理解』できるようになった。また基本僕は言語に関係なく『理解』できる。通訳する時に一方にだけ僕を『理解』させ翻訳しているように見せかけるのがコツだ。
語学に長け、機微に聡い人物として、次第に重用してもらえるようになってきた。
生活が落ち着いてみると、気になるのは残してきた人たちだ。兄上はどうしているだろうか。元気にしているだろうか。それとも……。
王太子殿下であられる兄上は、王家の特徴である「感情欠落」を受け継いでいた。僕はそんな兄上の補佐役に徹し、兄上は僕を血縁の者だからではなく、僕の魔術の力を評価してくれた。僕はそれがなにより嬉しかった。僕は兄上の婚約者の令嬢と共に、やがて来る兄上の御代を支えていこうと思っていた。僕の当代聖女様に出会い、兄上に感情が芽生え、こちらの世界に渡る決心をするまでは。
先々代の聖女様があちらから戻られたのは、今から十年ほど前のことだそうだ。しかしあちらでは、何世代か昔の御代の事になっている。しかも、僕の当代聖女様より少し前に渡った方が、先々代よりも前の聖女様になられている。時間が交差しているようだ。聖女様方が時を越えたのか、それとも、もしかして、あちらとは時間の流れが異なっているのか……?
それならば、まさか、兄上たちは既に、歴史の人となっていたりしないか……?
嫌な想像を頭を振って追い出そうとする。が、ふと気が付くと同じことをぐるぐると考えていた。
どうにか連絡だけでも取りたい。無事を知らせたい。
しかも、僕の大切な聖女様には全く会えない。彼女はどうしているだろう。まだ僕に想いを寄せてくれているだろうか?懐かしい故郷の人々に会って、僕を連れて来たことを悔やんでいたりは、しないだろうか。
暗い考えに支配されると、どんどんと悪いことばかり思ってしまう。僕はついに、考えてはいけないことを思ってしまった。
僕は、やはりここに来ては、いけなかったのではないか……?
兄上はあんなに引き留められたのに。彼女も僕を置いて帰ろうとしていたのに。
鬱々としていると、健康にも影響が出るものだ。僕は幼少期から崩したことのない体調を崩してしまった。
先々代聖女様よりも更に何代か前の方で、あちらから戻ってから医師になった方がいる。僕たちの身体は、聴覚を筆頭に細かいところでこちらと少し違う。その方に散々調べられたので確かだ。他の医師に少々診察されたくらいでは違いが露見することはないだろうが、すっかり顔馴染みとなったその聖女先生が、僕を診察してくれた。
「風邪」というこちらではごく一般的な病気だそうだが、これはなんとも辛いものだ。体が熱く頭が痛む。
先生には、僕が風邪をひいてしまったことを僕の彼女には知られたくないと伝えたが、呆れ顔でもう手遅れだと言われた。先生に連絡が入った時点で、彼女には知られてしまったのだろう。彼女は、心配してくれただろうか。少しでも、僕を想っていてほしい、と望むのは、浅ましい事だろうか。
その答は割とすぐに知る事ができた。すっかり回復した数日後、先生が再度来てくれた。彼女を伴って……。顔を見せた時すでに彼女は泣いていた。駆け寄ってきたので抱きしめる。ああ、彼女だ。不安や後悔があっという間に解けていく。
先生を見ると満面の笑顔で片目を閉じて、親指を立てると出て行った。どうやらただの風邪でも、僕への影響がどのように出るのか未確定だとか、薬は弱い物だったが僕には悪影響があるかもしれないなどど、彼女をさんざん心配させたらしい。彼女はその夜、僕の部屋に泊まった。
順調に交際を重ね、件の猫にも帰還以来に再会し、彼女の両親に婚約を申し込んだ。だが結婚はしばらく保留してもらうように言った。僕は仕事柄、世界中をあちこちとしなければならないが、彼女が研究のため大学院に進みたいと希望していることを知っていたからだ。新婚早々単身赴任だなんて、真っ平ごめんだ。彼女の卒業まで僕は待てる。
それを彼女の父親に告げると、なんと彼は、それなら構わないから結婚してしまいなさいと言ったのだ。僕を彼の会社に引き抜くからと。そして、大変優秀と聞いていて、娘のことがなくても欲しいと思っていたと言ってくれた。本音かどうかわからない。だがそこまで言ってもらったことに感謝し、お言葉に甘えることにした。
先々代聖女様は拗ねた。彼女の父親と先々代は面識があったらしく、彼に向かって、秘蔵っ子を掻っ攫ってくれてこの貸しは大きいわよ、などと言ってくれた。
娘の意志を優先してくれてありがとう、と僕に笑いかける顔は彼女によく似ていて、僕は自然とお義父さん、と呼ぶ事ができた。
そんな日々を過ごす間も、僕はなんとかあちらに連絡しようと悪戦苦闘していた。送還現象が起こるのは、聖女方の身体に魔素が許容量以上蓄積した時だ。ならば、あちらから持ってきた物に魔素を限界まで付与すれば、元の場所へ戻ろうとはしないだろうか。僕は弱くなった魔術で様々な素材に魔素の付与をし始めた。
最も多く魔素が乗るのは金属類と判明した。僕は兄上からもらったブレスレットに、無事幸せに暮らしています、と彫り込んだ。これを手放すのは寂しかったし、もっと多くの言葉を書きたかったがこれが限界だ。潤沢にあるこちらの魔素をこれでもかと付与していると、ブレスレットの周りから風が巻き起こり始めた。ばくばくと踊る心臓を宥めながら更に付与すると、ブレスレットは光を放ち、やがて消えた。
あれは元の場所へ帰れただろうか。そうだと思いたい。
あちらから持ってきた金属類は多くはない。それでも僕は大きな節目の時に、メッセージを送った。
僕らは結婚して、翌年男の子を授かった。僕の聴覚や魔術は受け継がなかったようで胸を撫で下ろしたが、僕たちに特徴的な少し尖った耳は継いでしまった。義父は大喜びし、名付け親となってくれた。
義父は僕の出自について、表面通りではないと察していることだろうと思う。だが何も聞かず、息子として扱ってくれている。君と出会った頃から娘は変わった、君には感謝していると言ってくれた。彼女がもし変わったとするならば、それはあちらの世界へ渡った経験が原因だろう。しかし義父は柔らかく笑いながら僕を受け入れてくれる。その懐の深さに甘えて、僕も何も気付かないふりをしている。義父を敬愛も尊敬もしているが、万が一問い詰められたらなんと説明していいかわからないからだ。
それにしても、妻には支えてくれ人が大勢いるとはいえ、学業の傍ら子育てをするのは大変なことだ。僕もなれない手つきで我が子をあやす。こうやって日々穏やかに過ぎていくのだろう。そして、兄上たちのあの後も、このように過ぎていっているといい。僕は大切な妻と子を抱きしめながらそう祈った。
だがこちらへ来て七年ほど経った時、そんな僕の願いは想像だにしない方向で外れた。
「この人が誰だかわかる?」
久しぶりに先々代に呼び出されて行ってみると、妻が品のいい年配の女性を傍に伴っていた。
義父よりも更に年配で、優しく笑みをうかべている。柔らかな物腰。明るい空色の瞳。
……まさか。
「……義姉上?!」
女性たちは笑み崩れた。
「ね、この人はきっと分かるって言ったでしょ、お姫さま!」
「どうして……ど、どうやって……」
僕は言葉が出なかった。そしてなにより……。
義姉上がお年を召したこの姿ということは、やはり、時間の流れが異なっていたのだ。
では。兄上は。兄上はどうなったのだろう。
「あ、兄上は……」
聞きたいが、聞きたくない。
「あの方は、亡くなりました」
やはり……、そうか。
「とても穏やかなお最期で……。全てはわたくしと、聖女様、そして弟君のおかげだと……」
そんな事を……。兄上……。
僕は涙を堪えきれなかった。泣きながら寄り添う妻を抱きしめて、僕は慟哭した。
「あの方が亡くなってから、息子が即位いたしました。
あなた方が残してくださいました魔素も、さすがに息子の代には残り少なくなりまして、聖女召喚が行われました。その時、お二人が召喚されまして……。どうやら手を繋いでいたところを召喚されたようです。
お一人はあちらへ残られましたが、もうお一方はこちらへ帰られることになり、それでわたくしも共にこちらへ渡れるのではないかと思ったのです」
「何と無謀なことを。成功するとは限らないのですよ」
「どの口がいうのやら、ですわよ。あなた様はあちらでは伝説になっているのですよ。愛する聖女様を追って世界を渡った大魔術師として」
「……は?」
「それに、さほど心配はしておりませんでした。あなたからの伝言が届いておりましたからね」
届いていたのか。よかった。本当によかった。
「ただ、最初の無事を知らせるブレスレットはさほど時間が経たずに届きましたが、わたくしが三人目の息子を産んだ頃に結婚しましたという伝言が届きまして、あの方も、今頃か?あいつ何やっているんだと仰せでした」
兄上らしい。
「その後、伝言が届く間隔が次第に大きくなって、長男の立太子の頃に「子供が産まれました」と……。これは時の流れの速さが異なるようだと推察されました」
義姉上はちょっと口を尖らせた。
「そのせいでわたくしだけお婆ちゃんになってしまって。お二人ともズルいですわ」
僕はようやく笑うことが出来た。
「義姉上は大変にお綺麗ですよ」
「そうそう。とっても可愛いわ」
「そういう問題ではないのです」
そう言ってツンと顔を逸らした。ああ、あのままの義姉さんだ。妻にはとても言えない事だが、この方は幼い僕の憧れの人だったのだ。兄上の婚約者に選ばれて、僕の淡い想いは破れたのだが。
「息子はしっかりとした妃を迎えましてね。そうなると国王の母で妃の姑であるわたくしがウロウロするのはよろしくなかろうというのも、こちらに参りました理由です。わたくしも姑には手を焼きましたので」
第二妃か……。また悪さをしたのか?
懲りない人だ。いや、だった。とうに鬼籍にいるのだろう。
「王城では未だ、聖女様からお預かりした腕時計が動いております。一日に一度ネジを巻くのが、王族の務めですのよ」
彼女は、僕たちの長男が成人する頃に静かに息を引き取った。
僕と違い、年配の彼女を国外にまで連れ回すのは難しく、義父や聖女様方の手配で国内で身元不明の老人を保護したという体裁を取った。言葉が通じないということにして僕が呼ばれ、そのまま保護者となることにしたと。記憶が曖昧ということにしたが、彼女は相当にヘソを曲げて、大いに口を尖らせた。同居を提案するも断られ、さすがに介護人の名目で使用人をつけ暮らしてもらった。これも不本意らしく、妻とふたりがかりで宥めた。
その後も静かな交流が続いた。子供たちはお婆ちゃんと呼んで懐いていた。次女は特に、義姉上の淑やかな物腰に憧れているようだ。兄上に感情を教えていた彼女は、思春期の子供たちを穏やかに導いてくれた。
「あなたが今、どんな選択をしたとしても、後悔する日というのは必ず来るものですよ」
進路に悩む長男に、義姉上がかけた言葉に家族全員が驚いた。
「お婆ちゃん、それ酷くない?」
「酷いもんですか。どんな人生でも、一度も後悔しないことなんてありゃしません。
だから、ここでお婆ちゃんが、こっちの道がいい、とアドバイスして、あなたがその通りにしたとして、そのうち必ずイヤなことの一つや二つがあるでしょう?そしたら、こんなに大変なのにこっちの道を勧めやがってクソババア!オレの人生めちゃくちゃだ!となりますわよね」
「俺そんなこと……」
長男は口籠った。
「フフ。つまりねぇ。自分で決めれば、選んだのは自分なのだから、嫌なことでもある程度なら受け入れることができるじゃないですか。でも、他の人のいうことを疑問を持ちながらでも従ったりすると、嫌なこともその人のせいのように思って、なかなか受け入れられないものです。
だから、周りの人からは助言してもらうに留めておいて、どっちにするのかは自分で選ぶべきってことです。大丈夫ですよ、どちらでも、どうせ一回くらいは後悔するんだから。それをわかって選べば」
「……よくわかんないよ」
義姉上は柔らかく微笑んだ。
「つまりねえ、どっちに行っても、しまった、あっちにしとくんだった!って思う日が来ます。でも選ばなかった方の道を行っていたとしても、おんなじことを思うってこと。だからそんなに悩まずに、ふと思い立った方にするくらいでいいんじゃないですかねえ。
お婆ちゃんはねえ。大好きな旦那様がいたんだけど。それでも長い付き合いの中で、百回くらいはやめときゃよかった、と思いましたよ?」
そうなのか?兄上の側でそよとも靡かないのかと思っていた。兄上、不憫だな。
「でも最期には、やっぱりよかったな、良い結婚生活だったなと思いましたよ。
こんな歳になっても、失敗したかなと思うことはありますよ。今でもねぇ、こちらに来たこと、早まったかなあと思わないでもないですが、でもねえ、それよりも、よかったと思うことの方が多いです。あなたたちの成長が見られるし、美味しいバニラアイスを食べてる時なんて、お婆ちゃんが生まれ育った所にはありませんでしたからねえ、こっちに決めてエラいぞ、お婆ちゃん、あの時のわたくし、えーと何でしたっけ、ぐっじょぶ、と思いますよ。旦那様にも食べてもらいたかったですねえ」
にこにこと笑う義姉上に、長男は脱力していたが、少々物事を難しく考えるきらいのある息子は、おかげで肩の力を抜いて考えることができたようだ。
「俺の悩みとバニラアイスが同列かよ……。無理矢理グッジョブとか使わなくてもいいよ」
そういえば一度だけ、こちらに来るべきではなかったのではないかと思ったことがあった。これも今でも妻にも言えない秘密だ。
もしあちらに残っていたら、どんな人生だっただろう。妻は一人こちらへ帰り、僕はあちらで誰か貴族の令嬢を娶って……。妻の面影をその令嬢に重ねたりして……。やりそうだ。僕がいれば血縁上の母親である第二妃だって暗躍しそうだし、義姉上の言う通り、あちらでも苦悩が多そうだ。
妻と共にあるために、命を賭してこちらの世界に渡ってきた。渡った先は完璧な世界ではなかったが、僕の楽園ではあった。
義姉上が亡くなった時、子供たちが大量のバニラアイスを棺に入れようとして止められ、結局はみんなで泣きながら食べた。きっと兄上の隣で、「わたくしたちの分でしたのに」と口を尖らせていると思う。
End
これにてこのシリーズが全て完了となります。感無量です。
拙い作品にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。皆様の暇つぶしになれたなら嬉しいです。
それでは、またいつかの週末で。ありがとうございました。