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BLUE CHAIN  作者: 中安叶子
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9

僕一人で捜査を始めてから、五日が経った。

 相変わらず大した情報はない。

 進展はなく、僕の客としての振る舞いだけが上手くなっていく。

 僕は、自分が思っていたより器用なのかもしれない。

 三日目、何人か辞めてから連絡がつかなくなったと言う子を見つけたため、連れ出して彼女たちの名前も聞けた。

 アイリスもエイミーの名前もなかったが、人身売買の手がかりになるかもしれない。

 その分払うお金は増えたけど。

 喫茶店へだけ行って別れようとした僕に、その子はだいぶ驚いていた。

 彼女たちの服装や化粧の仕方を見る度に、あの金髪のアイリスを思い出す。

 やはり似ている。

 この関係で働いていることは間違いない。

 そして胸がちくりと痛んだ。

 一体どれだけの男性と夜を共に過ごすのだろう。

 僕なんて、何千人のうちのたった一人に違いない。

 また出会えるだろうか、彼女に。

 リストは残り三店舗だった。

 可能性はどんどん減っていく。

 そう思っていた六日目、今にも雨が降りそうなどんよりとした夜、アイリスはいた。

 一軒目、席に着いて間もなく現れたのが彼女だった。

 僕は固まってしまった。あまりに衝撃的で、かつ美しかったからかもしれない。

 エメラルドグリーンのパーティドレス。

 長い金色の髪は後ろで編んでまとめていた。

 青い瞳は上品に僕を見返して微笑む。

「はじめまして、アイリスです」

 動揺しまいと、僕はこっそり深呼吸する。

 ここからどうすればいいだろう。

 連れ出して話を聞かせてもらえるだろか。

 周りの目がある中でできる会話には限りがある。

 アイリスは隣に座り、酒を作ってくれる。

 肩から手先まで、すらりとした肌が伸びる。

 薄暗がりの中でも、その美しさは明らかだった。

 今日の僕はアンディだ。

 平静な応対に努めるべきだ。

「薄めの水割りでいいかしら」

「濃くていいですよ」

 僕がそう言うと、アイリスはくすっと笑った。

「この後があるでしょう、飲みすぎは良くないですよ」

「…この後?僕ともう一軒行ってくれるんですか?」

 僕の質問は的を射なかったようで、アイリスは含んだように笑っただけだった。

 彼女は僕が捜査で来ているのを分かっているのだろうか。

「大学生の方ですか?何を勉強されているんです?」

「香港大の経済学です」

 冷静に答えた僕を、彼女は面白そうに見つめた。

「レイモンド先生はお元気?」

「ええ。…元気だと思いますけど」

 もちろん知らない。

「お知り合いですか?」

「たまにこのお店に来てくださるの。あなたの右隣の机の方だけど、気付かなかった?」

 アイリスはちらと視線を動かして、女性を両脇に座らせている一人のおじさんを指した。僕は慌ててそれを追う。

 先生の顔なんて、知るわけがない。僕は閉口して俯いた。

彼女はきっと僕で遊んでいる。

「あまり真面目ではないんです、こう見えて。まだ数える程しか授業に出ていません」

「それなら今日は、少しくらい波風を立たせてもいいわね」

 アイリスはにこりと微笑んだ。

 僕が理解できないでいると、黒服のボーイが彼女を呼びに来た。

 他の席から指名があったようだ。

 本人に会えても、ここでは時間が限られる。

 毎日通って機会を窺うしかないのだろう。

 アイリスは軽く返事をして立ち上がるかと思いきや、振り返って僕にふわりと抱擁をした。

「この後、ちょっと付き合ってくれる?」

 彼女は耳元でそう囁いた。

 多分僕にしか聞こえていない。

 一体何のことだろう。

 アイリスはこだわりなく去っていった。

 彼女の背中を視線で追うが、何の合図もなく、遮られてすぐに見えなくなった。

 耳がとてつもなく熱い。

 そして、僕に触れた柔らかな肌。

 僕はまじないのように心の中でアンディの名前を繰り返す。

 気を取り直すために薄めの水割りを大量に口に含んだ。

なぜか酒の味はほとんどしない。

 どうして彼女はいつも不思議なんだろう。

 大空に垣間見る美しい虹のような人だ。

 掴むことができず、あっという間に消え去ってしまう。

 離れた席で微かにアイリスの声が聞こえる。

 受け合う男性はおじさんくらいの年齢だろう。声を弾ませていた。

「お隣、いいですか?」

 声を掛けづらそうに、一人の女性がそっと立っていた。

「もちろんです」

 僕は意識が飛んでいたことに気付き、慌てて座りなおす。

 見れば初々しい小柄な女の子だった。

「サラです。よろしくお願いします」

 僅かに声が震えている。

 きっとまだ働き始めたばかりなのだろう。

「リュウと言います」

 彼女を安心させようと、僕は朗らかに微笑んだ。

 サラが作ってくれた水割りは、かなり濃かった。

 僕は一口飲んで咳き込む。

「今日が初出勤?」

「実はそうなんです」

「こういう関係の店なんて星の数ほどあるでしょう。どうしてここに?」

 彼女はリラックスしてきたのか、ふっと笑顔を浮かべた。

「私、前に働いていたお店で、オーナーから暴力を受けていまして。たまたま通りかかったアイリスさんが助けてくれたんです。彼女には来るなって言われたんですけど、後を追わずにはいられませんでした」

「…じゃあ、さっきのアイリスって子に憧れて来たってことか」

「はい。美しさと強さを併せ持った、素晴らしい方です」

 僕にも分かる。彼女の魅力。

「もしかして、オーナーも回し蹴りで倒した?」

「アイリスさんのこと、知っているんですか」

「いいや、一度街で見かけただけだよ」

 サラは少し残念そうに相槌をした。

「助けられたあと、住むところや食事の面倒を見てくれていたんです。アイリスさんが凄い人だとは分かっても、深くまではなかなか見せてくれません。彼女はいつも完璧で、隙がないんです。でも、アイリスさんの育てのお母さんと、妹さんもこういう夜のお仕事をされていたと話していたので。だから私、ここに来れば、ずっとアイリスさんの近くにいられるかと思って」

 育てのお母さんと妹?

 今回の一番の聞き込み内容かもしれなかった。

 ただ、警察としては聞けない。あくまでも、客として探らなければならない。

「妹さんたちはここで働いていないの?姉妹ならきっと、綺麗な人だろうね」

「はい。お見かけしたことがありません。他のお店なのか、今は辞めているのかもしれません。連絡がつかないみたいで…」

 僕は何かが繋がった気がした。

 そして考えを巡らす前に、騒がしく非常ベルが鳴り響いた。

 客やスタッフが何事かと動揺している。

 調理場の奥から鈍い爆発音、煙が漏れているのが見えた。

「火事だ!」

 ボーイの大声と共に、女性たちが悲鳴を上げる。

 客や女性がスタッフに導かれてばたばたと出て行く。

 必死に逃げる足音、誰かが倒したグラスの割る音がより緊張感を醸し出す。

そんな中、動かずに立っている人物が居た。

 アイリスだった。


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