表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLUE CHAIN  作者: 中安叶子
4/25

4

 店を閉めているところを残し、僕たちは一通りの聞き込みを終えた。

 陽は落ちかけ、ビルの隙間から燃えるような空が覗く。

 久しぶりに見た綺麗な夕焼けだったけど、今の僕にそれに構う余裕はない。

 空気がひんやりとしてくる。

「次はどうしますか。聞き込みの範囲を広げますか?」

 足の疲労は限界を迎えていたが、音を上げる訳にはいかない。言ったところで恐ろしい目で睨まれるだけだ。

 アンディは僕の方は見ずに、思案しているようだった。

「一軒気になる店がある。戻るぞ」

 彼はそれだけ言うと踵を返し歩き出した。

 どこまで?

 とは聞けず、アンディを追う。

 彼が立ち止まったのは、午前中に訪ねた定食屋の前だった。

 間口の狭い、こぢんまりとしたお店だ。

 アンディは入口の扉の貼り紙を目で示した。

 営業時間の案内が書かれている。

「この字、あの手紙の筆跡に似ていると思わないか」

「たしかに。でも、さっき訊ねた時は何も言っていませんでしたよね」

「店主には知らないと言われたからな。何事も決めつけは良くない。正しい答えが見えなくなる。ただ、俺はここだと思う。まあ見とけ」

 アンディはそう言いながら扉を開けた。

 直に夕食の時間だったが、まだ客はおらずがらんとしていた。

 奥の調理場から出てきたのは、朝にも会ったおばさんだった。

 僕たちが誰だか分かると、ぱたっと足を止める。

 その表情を見れば、僕にもアンディの推察が当たっていると確信できた。

 彼女は明らかに動揺していた。

 五十歳を過ぎたあたりのふくよかな女性だ。

 色の褪せた黒いエプロンを着ている。

「もう一度聞いてもいいですか。あの手紙に見覚えはありませんか」

 アンディは怖いくらいに冷静だった。

 真っ直ぐに見つめるアンディの視線を、女性は受け止められなさそうに俯く。

 彼女は一度目を閉じ、大きく息を吐く。

「どうぞそちらに座ってください」

 僕たちを席に座らせ、彼女もその向かいに腰を下ろした。

「手紙の内容については私は何も知りませんよ。ただ、書いて投函して欲しいと、常連の人に電話で頼まれたんです」

「常連?何と言う名の人物ですか」

「リーと名乗る女の人です。週に一、二度、うちのカイラン炒めを持ち帰るんですよ。いつもあらかじめ電話で頼んで取りに来ます。今回は名乗りませんでしたが、私の耳に間違いはないです。彼女が何か事件に巻き込まれているのかと思って、疑いもしませんでした」

「なるほど。電話はいつありましたか?」

「一昨日の朝です。言われてすぐに投函しました」

「近々大規模な人身売買が行われる、それ以外に場所や組織名など、何か気になることを話してはいませんでしたか」

 女性は緊張した面持ちで首を横に振った。

 アンディに問い詰める口調は全くないが、細やかさがある。聞かれる方は嫌だろう。

 それからアンディは電話機の履歴や番号を確認したが、非通知だったようだ。

「彼女の外見の特徴を教えていただけますか」

 再び席に着いて、アンディは続けた。

 直接本人を探した方が早いと踏んだのだろう。

 店主のおばさんは顔に手を当て必死で思い出そうとしている。

「綺麗な若い女の人だとは思うよ。ただ、いつもサングラスを掛けていてね。あまり顔の印象がなくって。でも、黒髪で黒いコートをいつも着ていたね」

 僕の中でアイリスが過ぎった。

 たった一夜、数時間の出来事ではあるが、彼女だったとしても、不自然だとは思えない。

 あの日どちらが本当か、と聞いたときに、彼女はその二択を否定しなかった。

「防犯カメラはありますか」

「そんなものはないよ」

 入口の扉が開いた。二人連れのおじさんだ。

 店主はすぐに立ち上がって席へ案内する。

「ここまでだな」

 アンディはぼそっと言った。

 立ち上がりかける彼に、僕はすかさず頭を下げた。

「少しだけ、僕に時間をいただけませんか」

 訝しげに見てくるアンディに、僕は負けまいと姿勢を正した。

「どういうことだ」

「地図を貸していただけませんか」

 アンディは懐からたたまれた地図を取り出す。

 僕はそれを広げ、裏返した。

 折り目がそこかしこにあったが、僕は気にせずペンを取る。

 僕の記憶にあるアイリス。上手く紙に宿せるかは分からないが、そうすべきだと思った。彼女が悪人にしろ善人にしろ、きっと何かの鍵を握っている。

 たった一日共にいるだけだが、アンディは優秀だ。そして、少なくとも裏のある人ではない。僕一人では探し出せなくても、彼がいればたどり着けるだろう。

 話せば叱られるだろうが、一時のことだ。

「・・・似顔絵?」

 アンディはペン先を眺め続ける。

 地図の裏面は、一つの大きなキャンバスとなった。

 僕は描き終えるまでは手を止めなかった。まずは店主に確認する必要がある。

 アンディに憶測で何かを言うべきではなかった。

 顔だけ描くこともできたけど、サングラスをしているのであればあまり意味がないだろう。頭から足先まで。まるでファッションデザイナーのデッサンのようだ。

 それでも、我ながら上手く描けた方だと思う。黒色ばかりの彼女は、ペン一つでも表現しやすい。

 料理を運び終えた店主に、僕は咄嗟に駆け寄った。

「すみません。そのリーという人物は、こんな女性じゃなかったですか」

 おばさんは絵をぱっと見てから、感心したように頷いた。

「ああ、そんな子だよ。よく分かったね」

 アンディが横に並んで一礼した。

「ご協力ありがとうございました」

 そして僕を見る目の恐ろしいこと。

 僕は腕を勢いよく引っ張られ店を出た。


「それは誰なんだ。当てずっぽうで描いたのか?黒髪に黒のコートなんて、よくある格好だろう」

 車に向かいながら、アンディは肩を怒らせていた。

「それはもちろん、そうだと思います。だけど僕は先週、たまたまこの女性に会ったんです」

「どこで」

「あの雑居ビルと、その翌日のバーで」

「あの雑居ビル?お前が薬物の現場を抑えた時か」

 僕はこくりと頷いた。

「あの二人の男の意識を失わせたのは、その女性です。アイリスと呼ばれていました。悪い人には見えなくて、何か事情があるんだろうと思ったんです。だから言いませんでした」

「おいおい、処罰ものだぞ」

「それも分かった上です。アンディさんなら、見つけられますよね。僕は処罰されてもいいですから、彼女を探してください」

「簡単に言うな」

「次の日には旺角の『藍天』というバーで会ったんです。マスターは彼女のことを知っていそうな様子でした。手がかりが掴めると思います」

「藍天?」

 アンディの歩調が遅くなり、終いには止まった。

 僕も立ち止まり、振り返る。

 彼にはその店名に心当たりがあるようだ。ただ、表情は若干引きつっていた。

「ご存知でしたか」

 僕は何気なく言ったが、アンディはすぐに反応した。

「あそこは警察を辞めた人間が働いているはずだ」

「そうなんですか」

「・・・ということはその女は警察関係者か?それならどうしてこんな回りくどいことを」

 アンディは微かな声で呟いた。

 僕は様子を見守っていたが、そっと言った。

「今から行ってみますか?」

「いや」

 アンディは大きくため息をついた。

「一日考えさせてくれ」

 彼らしくない。

 あんなにせかせかと聞き込みをしていたのに。

 警察関係者には、僕の知りえない何か複雑なものがあるのだろうか。

 僕たちは車に乗り込むと、アンディは勢いよくアクセルを踏み込んだ。

 朝よりも荒い。

「家はどこだ?」

「旺角署の近くです」

 どこかで捨てられるかと思ったけど、家の近くまで送ってくれた。

「明日七時にまたここに来い」

「分かりました」

 いつもの出勤時間より早い。

 僕はぎょっとしたが、彼がまだ捜査を続けるつもりなのだと察せられた。

 僕の処罰はそれが終わってからか?

 帰宅しシャワーを浴びたあと、カップラーメンを食べようとお湯を沸かしていた最中に、既にソファで眠りに落ちていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ