第12話~サクラの心~
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ。
なぜ今まで笑っていたのでしょう。
なぜ今まで笑えていたのでしょう。
走りながら、考えます。
いくら走ってもどれだけ駆けてもその答えは出ません。
いっそのこと走れなくなるほど疲れればいいのにいつまで走り続けても疲れもしないこの体が、今は少しだけ恨めしいです。
行き交う人はわたくしの髪や目の色の珍しさに振りむきはしますがなぜ走っているかなんてことには興味がありません。それでもわたくしは構いません。
なぜ、ルネス様と出会ってしまったのでしょう。
なぜ、ルネス様と出会えてしまったのでしょう。
路地裏に入って、座り込みます。
このあたりは治安が悪く、クレア様が言うところの『女性の敵』も多く存在しているのですが、今ならわたくし何をされても許せてしまうかもしれません。
むしろ殺していただけたら、と思います。
あんな気持ちの悪くておぞましい経験をしていたなんてルネス様やルウ様に知れたら、おそらく嫌われてしまいます。
特にルネス様にだけは絶対に嫌われたくない。
わたくしが記憶の追体験をして動揺していた時。
叫んで、悶えて、意味のわからないことを言ったわたくしにも優しくしてくださったルネス様に嫌われたくは、ありません。
嫌われるわけにはいきません。嫌われたくないです。
好きでなくて構いませんから、嫌いにならないでください。
わたくしは絶対なにが起ころうと何があろうとどれほど裏切られようとどれほど壊されようと、ルネス様だけを信じ、愛し、恋します。
ですから、誰か。
汚れたわたくしを、薄汚れたわたくしを壊して呪って殺してください。
なぜ、この世に生を受けたのでしょう。
わたくしの最初の記憶は緑の世界でした。
試験管の緑の溶液の色が、わたくしにとっての世界だったのです。
そこから出されて、世界を否定されました。
そして、髪の色が違うという理由だけで、わたくしはもはや人ではなくなり、常に死を想う日々が始まりました。
不老不死でしたから普通なら死ぬようなことも何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もされました。
それが、今から19年前です。
それを今の今まで、他人潟様に思い出させられるまで、忘れていたのです。
自らの出生を。
自らの経験を。
自らの、汚らわしさを。
なぜ忘れていたのでしょう。
おそらく、16年前にここに来る前に記憶の操作を受けたのだと、今なら理解できます。
そして、その記憶操作にあやかってわたくしは余計なところまで忘れてしまったのです。
その結果、ああやって記憶の奔流に惑わされ、狂いそうになりました。
もし、ルネス様がいなかったらと思うと……。
ああ、ルネス様……。
最初、あなた様には恋情を抱いておりませんでした。けれど、会話をすると、胸の中で何かがほわりと暖かくなったのです。
それが恋だと気付くのに、時間はそうかかりませんでした。
出会ってすぐに恋をしたのと変わらない速度で、わたくしはルネス様に恋をしたのです。
……ルネス様。
どうか、わたくしのことはお忘れになってください。汚れたわたくしのことなど、忘れてください。
わたくしはここで果てます。もう、こんな苦しくて狂おしい爆弾みたいな記憶を背負ってまで生きていたくはありません。
袖に隠してあるメスのようなナイフを手に収め、手首に当てます。
「……だめですわね。こんなんじゃ死ねませんわ」
手首は血こそ多く出ますが致死の部位でないのです。
致死の部位は、ここ。
一番多くの血管が通っていて、なおかつすぐに皮膚から比較的近い場所にそれらが密集している重要部位。
そう、首です。
ぴたりと、冷たいナイフを首筋にあてがいます。
ここは感触が嫌なので避けていましたが、確実に死ぬにはここしかなさそうです。
「……さよなら、ルネス様」
わたくしは愛しい人の名前を呼び、そして……
ナイフを、横に―――
「やめなさい!!」
キィン!
と、わたくしの手にあったナイフがクレア様の声とともにはじかれました。
「……まさかクレア様、その距離から棒きれのようなナイフを、撃ち抜かれたのですか?」
「そうよ。ここからならどんな小さなものでも当てて見せる。だから抵抗は無駄。今すぐ武器を捨てて投降しなさい。ルネスが待ってるわ」
クレア様の言葉、特に最後の部分で、わたくしは決意が鈍りそうになりました。いえ、もう、決意は崩れました。
ルネス様が、わたくしを待ってくれている。
それはわたくしが自殺をあきらめるのに充分すぎる理由です。
……しかし。
「わたくしは死ななければならないのです。……いえ、死にたいのです。死なせて下さい。死なせてもらいます」
一方的に宣言すると、わたくしは意識を切り離します。
世界か遠ざかり、わたくしと言う存在は希薄になります。
代わりにわたくしの心の奥から、誰かが歩いてきます。
見知った顔で、それはわたくしでいて、わたくしではない存在です。
完全に意識を失い、わたくしが思考をなくす直前。
彼女とすれ違ったような、そんな錯覚を受けました。
「……………ったく」
オレは代わってそうそう、ピンチに陥っていた。
見知らぬ女が、俺に拳銃を突きつけていた。
どうやらあいつは武器を撃ち抜かれて、自分では手に負えないと踏んでオレに頼ったのだろう。
正解だ。
どうしようもなく正解だ。
オレに行動を許してくれてありがとう、サクラ
「……あなたは、誰?」
女が訊く。
オレは答える。
「オレか?オレはシドウ。サクラの親友、だ。以後、よろしくな、オレ達の敵!」




