後編
馬鹿と小百合の浮気現場を見せる事でようやく元の関係に戻れる。
そう思ったのだが、事態は私の考えていた通りに行かなかった。
「孝文、明日は暇?」
「ごめん、明日は用事があるから」
「そう...」
あれから1ヶ月が経った。
今日も大学で孝文に話掛けるが、素っ気ない態度で断られる。
どうしてなの?
もう私は孝文だけの物なのに...
「孝文、来週の同窓会だけど」
「パスするよ、詩織だけ行ってきて」
翌日、来週に迫った高校の同窓会の案内メールを孝文に見せながら近づくが、即答で断られてしまった。
去年の同窓会は二人で参加して、あんなに楽しかったのに...
「今はみんなに会いたくないんだ、友達には俺から連絡しておくから」
「ちょっと待ってよ!」
足早に孝文が去っていく。
こんなに冷たい態度は今まで無かった。
距離を置かれていた時だって、話掛けたら笑顔で返してくれていたのに。
[孝文、話だけは聞いて下さい。詩織]
祈る気持ちでメールを送る。
電話とラインも拒否され、孝文と繋がる事が出来るのは、このメールだけだった。
「...嘘」
[エラー]の返信に唖然とする。
昨日までは受け取ってくれていた。
孝文からの返信こそ無かったが、繋がっている安心感があったのに...
激しい焦燥感に、私は1人の知り合いに連絡を取る。
本当なら会いたくない。
向こうも同じ気持ちだろうが、もう私には彼女に頼るしか方法が無かった。
「山崎さんお久しぶりです」
「ええ、久しぶりね」
待ち合わせの喫茶店に現れたのは小石川小百合。
あのクズ野郎に弄ばれ、奴を警察に突き出した女。
「で、今日は何ですか?」
意外にも彼女は落ち着いた様子で私を見る。
クズに暴行され、奴の陰部を叩き折ったと聞いた。
クズは警察に連行され、携帯やパソコンに残されていた複数の女性に対する暴行容疑で捕まった。
大学も退学となり、姿を消した。
私も警察から事情聴取を受けたが、クズの被害を免れていたので、聴取は直ぐに終わった。
「山崎さん?」
「ごめんなさい、小百合さんは大丈夫でしたか?」
慌てながら話をする。
彼女が警察に通報した後の事を私は殆ど知らないのだ。
「ええ、正当防衛が認められたの」
「そうだったんだ」
「本当なら再起不能にしてやりたかったけど」
「そうね」
暗い笑みを浮かべる小百合さん。
以前の雰囲気は全く消え、底冷えな態度に私の背中には冷たい物が走った。
「大学は?」
「停学を覚悟していたけど、何の処分も無かったわ。
周りの知り合いも被害者と分かっているから腫れ物扱いよ」
小百合さんは苦笑いを浮かべた。
「強いわね」
「強い?何が強いの?」
「それは...」
要らない事を言ってしまった。
小百合さんの視線が私に突き刺さり息が詰まった。
「確かに私はあの男に騙された。
でも自業自得よ、奴の本性に気づかずホイホイ乗っちゃったからね。
身体まで差し出し、孝文さんも騙して...最低よね」
小百合の口から出た孝文の名前。
その時、彼女の表情が僅かに歪んだのを見逃さなかった。
「奴に乗せられて孝文さんを裏切った貴女も大概だけど」
「え?」
「だって、孝文さんは貴女の事が好きなのを知ってて馬鹿の恋人になったのでしょ、違う?」
辛辣な言葉。
小百合さんの目に怒りが浮かび始めていた。
「ち、違...」
「何が違うの?
孝文さんが告白しなかったから?
それともモテる自分に酔ってたの?」
容赦無い言葉に、目の前が真っ赤に染まった。
「そうよ、孝文が告白しないのが悪いのよ!
私はずっと、昔からずっと待ってたのに!」
「...貴女は本当に馬鹿ね」
「な!?」
「確かに孝文さんはヘタレよ、でもそんなの分かってたでしょ?」
「...う」
確かにその通りだ。
でも分かってたからどうだというの?
「孝文さんから聞いたよ、貴女は幼稚園から中学までずっと女子校だったそうね」
「そうだけど、それが何なの?」
「貴女は高校を孝文さんと一緒に行きたいって言った時、彼はどうしてくれた?」
「確か...」
孝文は私の母を納得させる為、必死で私の受験勉強に付き合ってくれた。
そのお陰で、私は内部進学の高校より偏差値の高い高校に合格したんだ。
「楽しい高校生活を送れたのは誰のお陰?
急に男女共学に放り込まれても貴女が困らなかったのは誰が助けたのかな?」
「...ぐ」
確かにそうだ。
中学時代の知り合いなんか誰1人いない高校。
孝文は自分の知り合いに私を紹介して溶け込める様にしてくれたんだ。
でもそんな事まで小百合さんに言ったの?
「羨ましかった」
「羨ましい?」
「私も中学、高校と女子高だった。
異性に対する憧れは強かった、分かると思うけど」
「うん」
それは分かるよ、女しか居ないと男に強く憧れてしまいがちだ。
私には孝文が居たから良かったけど。
「私なんか、予備校で知り合った男に飛び付いちゃってさ。
周りの友達に対する優越感から初めてまで捧げて...
それでアッサリ別れてりゃ世話無いわね」
「そうだったの」
小百合さんに起きた出来事は私にも降り掛かっていたかもしれない。
もし孝文が居なければ...
「本当羨ましかった。
孝文さんたら私とデートしてる時も貴女の事ばっかり」
「話してたの?」
「隠してるつもりだったけどバレバレだった。
『この店は昔行ったな』とか、
『あの映画新作出たんだ』とかね。
本当に妬けたわよ」
「小百合さん...」
本当に孝文が好きだったんだ。
嘘から始まった関係がいつしか本当に。
「だから私だけじゃない、貴女のした事も許せない」
「え?」
また小百合さんは私を睨んだ。
その怒りは先程までの比では無かった。
「孝文さんが告白してくれなかったらどうして自分から行かなかったの?
孝文さんの気持ちは知っていたのに」
「うん」
「諦め切れない孝文さんをどう見ていたの?
ざまあみろ、これで主導権は取ったとか思ってなかった?」
「...それは」
「どうせ私に会いに来たのも孝文さんと上手く行ってないのを相談しに来たんでしょ、ふざけないで!」
「....ごめんなさい」
頭を下げる。
顔を上げられない、小百合さんの目から涙が滝の様に流れていた。
「少し言い過ぎたわ」
「そんな」
そんな事は無い。
私の醜い所を的確に捉えた彼女の言葉。
それは本当の事なのだから。
「あの時、貴女が来なかったら私の地獄はまだ続いていたでしょう」
「...」
そうかもしれない。
しかしそれは単なる結果だ。
私は二人を利用したに過ぎない。
「もう私は孝文と戻れないの?」
「そんな事私に分かる訳無いわ」
「そうよね」
何を馬鹿な事を聞いてるんだ。
この期に及んでまで私は...
「貴女と私、二回も裏切られた孝文さんの心は壊れている。
そんな彼に私達がどうこう出来るわけ無いでしょ」
「うん」
全くだ。
その通りなんだ...
「まあチャンスは有るかもね」
「え?」
「時間が彼を癒すかもしれない。
私だって高校時代の恋人と別れた時は悲しかった、死にたい程に。
それでも時間が経つと少し楽になったの。
でも結局クズに騙されたけどね」
小百合さんは自嘲気味に笑うけど、なんて辛そうなの。
「闇雲に謝るのは逆効果よ」
「ダメ?」
「当たり前でしょ?
許す事は孝文さんの権利なんだから」
「そうね」
「孝文さんを見守るしかない。
それで孝文さんに新しい彼女が出来たら諦める。
それだけね」
小百合さんは達観していた。
諦めている彼女だから言える言葉なんだろう。
でも私は諦めきれない。
「後は自分で考えて、それじゃ」
そう言うと小百合さんは立ち上がる。
テーブルの上には一枚の紙幣と走り書きした紙が置かれていた。
「これは...」
紙に書かれていたのはただ一言だけ。
[絶対に無理だと思うわ]
目の前が暗転した。