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4.宇宙の日常の侵略者


「わたし、リカ。見ての通りヒューマンだよ。よろしくね」

「パナプだよ。よろしく」

 リカとパナプはとある星域のとある惑星のまたまたとある地区の学校に通うクラスメートだった。今日は、新学期の始業式。学年が1つ上がるとともにクラス替えがあり、二人は同じクラスの隣の席同士となった。

「なんだか、わたしたち、仲良くなれそうだねっ」

 笑顔満面でまぶしいぐらいのリカに対して、

「そう、だね。これからよろしく」

 パナプは素っ気なく返事を返した。




 ところ変わって、ここはまた別の星域の宇宙船の中。

「陛下、何をご覧になられているので?」

 そう問いかけるのはクラゲのような頭を持つ男。うねうねと脈絡なく蠢く数本の太い触手はヒゲのように見える。その身体は茶色の品のよいローブで包まれていた。

「おう、次の侵略先を探していたのだ」

 対して答える男は、イカのような頭を持つ男だった。頭の部分以外は、筋骨隆々としたたくましい体躯である。こちらはクラゲ男とは異なり、シャツにジーンズといったいで立ちだった。

 この陛下と呼ばれた男、ラフな格好をした男こそが、この星域で今もっとも勢力を拡大している宇宙海賊だった。多くの星を侵略し、多くの星を支配下におさめた彼は、大王を自称している。

 イカ男は宇宙船のただっぴろいコックピットの中で、2~3メートルほどの大きさの望遠鏡を手にしてのぞき込んでいる。宇宙船に備えられた探査プログラムで星を探さないのは、イカ男のアンティーク趣味だ。

「候補は見つかりましたでしょうか?」

「それが、なかなかないのだ。美しい星も、富を生む星も、歴史の古い星も、めぼしいところはすべてこのおれさまが落としてしまったからな……。うーん、気は進まないが、これにしようか。平々凡々、特にこれと言って面白みの無い星だ」

 大王は嘆息した。

「強くなるというのも考え物だな」

「くれぐれも慢心なされませぬよう。思わぬところで思わぬ不意打ちを食らうやもしれませんから」

「このおれさまが?思わぬ不意打ち?ありえんな、そんな下手は決して踏まないぞ。今度もやすやすと落としてやる。出発の準備を手配しろ。目的地までの移動はお前に任せる」

 クラゲ男は、望遠鏡を下ろして宇宙船の窓の外を見ている大王の横顔を少し見つめた。その表情には覇気がない。心底退屈しているようだった。クラゲ男は奇妙な胸騒ぎを覚えた。が、その理由ははっきりしなかった。「承知いたしました」と一言残し、クラゲ男は指令室を出た。



 

 始業式から幾日かたったある日の昼休み。

「ねえ、どうして、本ばかり読んでいるの?」

「本が好きだからさ」

 パナプはリカに素っ気なく答える。

「そういうことを聞いてるんじゃなくて、なんで遊ばないのってこと。昼休みなんだから遊ぼうよ」

「君にとっての「遊ぶ」ということが、僕にとっての「読書」なんだ」

「ええー、つまんないじゃん。本を読むなんて、勉強してるってことじゃん。あたし、勉強嫌い」

 リカは膨れた。

「…………………」

 こいつには何を言っても通じないな。救いようのない馬鹿なんだ。

パナプは手元の本に集中しようとした。小説の世界にもぐりこもうとした。

しかし、それはかなわなかった。

目の前にあったはずの文章が消えてしまう。代わりに本を置いていた机が目に入った。

はっとして顔を上げると、そこには意地の悪い笑みをしたリカがいた。その手には本が握られている。さっきまでパナプが読んでいた本だ。

「おい、返してよ」

「やだね、取り返せるものなら取り返してみなっ!」

 リカは、本を両手でつかんで頭の上に上げて、これみよがしに舌を出した。そのまま、猿のように飛び跳ねて、教室を出ていってしまう。

「あ、待てっ、こらっ」

 一拍遅れて、パナプは椅子を蹴り、リカを追いかけて教室を出た。

 廊下に出て、左右を観る。すると、左の方で頭上高く本を頂いてと駆けていく人物が見えた。リカだ。

 パナプも負けじと追いかける。

 リカを追いかけて、廊下を駆け、階段を上り下りし、校庭を縦横に駆け巡った。花壇を乗り越え、生徒の群れを突き飛ばし、先生の制止の声を振り払う。体力には自信のないパナプであったが、粘り強くリカに追いすがった。最初こそ、余裕綽綽としてパナプを煽るリカだったが、その余裕が逆に仇となって、余計な体力を使ってしまう。本を頭の上にかかげて走るものではないと後悔する。そして最後には、特別教室が集められた、東館の廊下の閉路に追い込まれてしまった。

「はあ、はあっ、ふうう……やっと、やっと追い詰めたぞ」

「ああん、しっぱいしたあ」

 リカは観念して天井を仰ぐ。

「さあ、返すんだ、それは、僕の、だからっ」

 息も絶え絶えに、パナプは右手を差し出した。

 しかし、リカは答えない。不意に見上げたまま顔の下半分でにやりと笑って見せたかと思うと、

「えいやっ」

 と勢いよく右側の壁に拳を叩きつけた。

 そこにあったのは火災報知器の非常ベルである。

「え、ちょっ」

 パリンとプラスチックの砕ける軽い音が鳴ってすぐに、けたたましいサイレンが校舎中に響き渡る。耳が痛くなるほどの大音量だ。

「すきありっ」

 リカはパナプの気がそれた一瞬をついて、その横をすり抜けた。そのまま反対側へと駆けていき、突き当りを右に曲がって見えなくなる。

 入れ替わりに現れたのは、二人の教師だった。

 割れたプラスチックの散らばる火災報知器の前にはパナプただ一人。パナプは自分の置かれた状況を悟った。

「ち、違う、僕じゃない、僕じゃなくて、あいつが」

 必死に弁明を試みるが、

「この悪ガキめ、お仕置き部屋に連行だ」

「言い訳するな、おとなしくしろ」

 と聞く耳を持たない。一人が火災報知器の前で何とかして止めようと小さな無数の手を動かしている一方で、もう一方は腕力に任せて一人がパナプを肩に担ぎ上げた。そしてそのままに担ぎ去る。

「くそう、あの野郎、覚えてろよぉ……」

 パナプは一人、教師の肩の上でリカを呪った。



 「陛下!ご無事ですか!」

 「いや、大したことはない。が、一体これはなんなのだ」

 ところ変わって大王の宇宙船。寝室から指令室に向かう通路で、大王は立ち尽くしていた。心配そうに駆け寄る側近に、当惑した表情で大王は答えた。

 大王は自身の真横の通路の壁を睨む。

 そこには緊急時の連絡用のボタンが備え付けられていた。普段は薄いガラスで覆われている。しかし、今はそのガラスが割れていた。床には破片が散らばっている。

「急に割れたのだ。少し驚いた」

「整備担当がメンテを怠ったのでしょうか。すぐ調べます」

「ああ、頼む」

 大王は不審に思ったものの、結局は些細な偶然事と捉えて、指令室に向かい、執務に取り掛かった。




「だからあ、ごめんってば。まさか君の方が捕まるだなんて思ってなかったんだし」

「普通に考えればわかるだろう。あの状況で僕が取り残されたら、僕が疑われる」

「まあまあ、機嫌を直しなよ」

 教師たちに捕まってから3時間後、やっとお仕置き部屋から解放されたパナプは自席に戻ってきた。リカはすぐに見つけて謝ろうとしたが、パナプは頬杖をついてそっぽを向いている。

「やだ、直さない」

「ほら、本返すからさ」

 差し出された本を乱暴にパナプは受け取った。

「あたりまえだ」

 ぶっきらぼうなパナプの様子にも、リカは満面の笑顔である。

 パナプはおもむろに本を開いた。

 すると何かが本の間から飛び出した。

「おわっ」

 思わずパナプはのけぞった。飛び出した何かを確認するとそれは紙でできたカエルだった。リカが前もって仕込んでおいたらしい。

 リカはこらえきれずに噴き出した。腹をかかえて大笑い。

「いやーいっ、ひっかかってやんのーっ」

 そしてそのまま教室の外に逃げ出した。

「こ、こんのやろおおお!!!」

 怒りの形相でパナプはリカを追いかける。




「どうしました、陛下!!!」

 目標の惑星に向けて進行中、指令室で座についていた大王は、急に慌てたように席から転げ落ちた。心配した側近が大王のもとに近寄る。

「か、かえるが、急に現れたのだ」

 そう言って指さす先には確かに緑のぬらぬらした身体を持つかえるが、ぴょんぴょんと明後日の方向へ飛び跳ねている。側近は下僕に命じてかえるを捕えさせた。

「不可解ですね、この宇宙船には余計な生物が入り込む余地はないのに」

「そうだ、俺があの手のいきものは苦手だからな」

「……もしかすると、前回の緊急連絡ボタンの破裂とも関連があるのかもしれません。実はその件で報告が」

「なんだ」

 大王は玉座のように豪華な席に着いて、問う。

「どうやら、我々が向かう目的地、例の惑星から、攻撃を受けているようなのです」

 大王は目を剥いて怒鳴った。

「なんだと、どういうことだ!!!先遣隊がやられたのか!?それとも後続が!?」

「いえ、わが本隊のようです」

「そんなはずはないだろう!!!このように平穏無事で….ん?」

 大王は何かに気づいたかのように、言葉を飲み込んだ。

「おそらくは、陛下が考えておられる通りです。まだ確証は得られておらず、目下追加調査を進めておりますが、レーダーは明らかにかの惑星からの不信な電波を傍受しています。そして、その伝播を傍受したタイミングで……」

「さきのような、不可解な事象がおきていたというのか。かえるが不意に現れるという」

「その通りでございます」

 大王は、側近の言葉をゆっくりと飲みこんだ。先ほどまでの興奮は内に潜み、冷静さを取り戻す。目を閉じ、腕を組み、黙然とする。そして、そのように少し考えたような素振りの後に、にやりと笑い、ふんと鼻で笑った。

「面白い。このおれさまが攻撃されていて、いいようにされているとは。久々に骨のあるあいてやもしれん。攻撃の手管がわからんというのもよい。これも余興というものだ。全力で、全力であの星を侵略するぞ」

 再び見開いた目には、闘志が爛々と燃えていた。

 

 

 

 なんとも不可解なことだが、大王の側近が進言したように、彼らの乗る宇宙船は、その後も非定期に子供だましのような攻撃を受け続けた。それは、客観的に見れば、どれも取るに足らない内容のはずだった。食事中、大王のグラスが破裂する、指令室につながる通路がいつの間にか水浸しになる、当直に当たっていた生真面目で評判なクルーが居眠りから目覚めない、大事に育てていた観葉植物に妙な斑点が浮かび上がる……。しかし、今に至るまで百戦百勝で生きてきた大王にとっては、耐えがたいことだった。すべてを思いのままにしてきた男には、些細な蹉跌すら腹立ちの種になる。当初こそ退屈しのぎの惑星攻略の腹づもりだったが、次第に必死の行軍となった。日増しにギラギラと目の色がきつくなる大王を、側近たちは内心不安に思いながらも、主の命を忠実に遂行し、淡々と進軍していったのである。

 一方で、大王が攻略を目指す惑星は、平和そのものだった。侵略者の影は遠く、ただ日常が穏やかに過ぎていった。最初こそ、リカの悪戯に怒りをもってあたったパナプだったが、リカの悪戯好きの悪癖こそあれ、それを補って余りある天真爛漫さに次第にほだされて、ついには唯一無二の友となった。ある局面では悪戯の被害者となることは続いたが、一方で一緒に悪戯を起こすことも多くなっていたのである。クラスのいじめっ子の図工の作品を破壊する、掃除と称して廊下を水浸しにする、嫌いな教師に酒を盛る、校長が大切に育てていた盆栽に落書きをする……。そのたびに大いに叱られて、お仕置き部屋へと連行された二人ではあったが、二人でいればお仕置き部屋の恐怖も耐えられたのであり、彼らへの牽制にはなりえなかった。

 そして、二人はまるで認識していなかったが、この数々の悪行こそが、侵略者を攪乱する方途となっていたのである。彼らが校内で引き起こす事象は、彼らの日常から遠く離れた侵略者の宇宙船と大王自身へと共振して、類似の事象を引き起こしていたのだった。それは、パナプの持つ不思議な力に合った。それは、自らに害悪をもたらす存在、いわば敵に対して、自身の周辺で発生した事故や事件を押し付ける、というものだった。通常であれば、敵は自分の周囲にいる誰かが対象になる。しかし、今回は宇宙の遥か彼方、パナプ自身も認知していない見知らぬ侵略者が「敵」になった。それは宇宙の意思か、あるいはパナプも認知していない未知の感覚能力か、あるいはまた別の何かか。

 パナプ自身はもともと自らのこの能力を疎んじていた。この能力があるために、今まで数々のトラブルを他人との間に引き起こしてきたのである。敵を判定するのに、自らの意思は必要としない。判定はただ無意識下で為される。だから、自らの意思とは無関係に、相手に被害を与えることは多々あり、それが障害となって友人を作ることが甚だ難しくなっていた。そうして、次第に孤独を深め、周囲に壁を作るようになった。

 すっかり独りにも慣れてしまったころ、本のみが唯一の友人となったころ、それがリカと出会ったタイミングであった。そしてさらには、大王が侵略を開始したタイミングでもある。

パナプは不思議に思っていた。本来であればリカが引き起こす悪戯は、周囲にいる自分にとっての「敵」に不幸をもたらすはずだった。しかし、何度リカが悪戯を仕掛けても、その気配がまるでない。リカ自身にも反射しない。パナプは、自身の能力が何らかの理由で消失してしまったのか、それともリカ自身の持つ何らかの能力で中和されているのだろうと考えた。実際は、そのどちらでもなく、能力は未だに有効で、「敵」は宇宙のかなたの侵略者に設定されていただけだ。しかしいずれにしても、パナプにとっては喜ばしい事態だった。そして、一層リカに親しみを覚えることとなったのである。

 しかし、そうしたパナプの幸せは長く続くことはなかった。彼らが悪戯の日常を楽しめば楽しむほどに、より一層彼らの敵は激しく宇宙を進行する。大王は躍起になっていた。なんとしてでも目的地にたどり着いて自分の支配下におさめなくてはならない。自分がコントロールできない事象なぞあってはならない。最初は怒りが、次第に恐怖が、彼を突き動かしたのである。

 そうして大王の宇宙船が、パナプ達の惑星に目前まで迫ったとき、彼らの日常は思いがけない形で終焉を迎えることになる。

 いつものように悪戯を仕掛けて、二人はお仕置き部屋に連行されていた。暗がりの中で、今日の成果をささやき合う。

「やあ、きょうも捕まっちゃったね」

「こんどは逃げ切れると思ったんだがな」

「あそこで、パナプが転ぶから」

「いや、考えなしにリンゴをなげつけるリカが悪い」

「やっぱあたしのせいかー」

「そうだよ、間違いなくリカのせい」

「こんどはもっとうまく投げるよ」

「ぼくが後ろにいないときにしてくれないかな」

「かんがえとくー。……それにしても、ふふっ、あのイアルの顔」

「はなしを逸らすなって。……でも確かに、イアルね、ああまで驚くなんてね。こっちがびっくりしたよ、逆に」

「イタズラみょーりに尽きるってもんだね」

「まあほどほどにね、あいついい奴だし」

「共犯者がなにをいう」

「それを言われるとつらいな。……ちょっとやりすぎだったかな。イアル、もうしばらく誰とも通信できなじゃん」

「……まあね、イアル、あれが無いとだれともおしゃべりできないし。あれが無くなったらどうするんだろうって気になったから、ついやっちゃったけど……なんか可哀そうになってきた」

「きみはもっと早くその事実に気づくべきだと思う」

「じゃあ、パナプは最初からわかっててやったってこと?ごくあくにんじゃん」

「かえすことばもない」

「やーい、やーい」

「うるさいなあ」

 リカが漏らす楽しげな笑い声は余韻を残して闇に溶けた。

「まあしばらくは、ぼくらがイアルを助けよう。1週間もあれば、端末は修理できるはずだから。ぼくらが彼を導いてやるんだ」

「いいけど、イアルは憎んでないかな、あたしたちを」

「あいつはいい奴だから、だいじょうぶ。ちゃんと謝れば許してくれるさ」

「最初から許されることを見込んで謝る人は、許されちゃだめだと思う」

「きみはときおり本質を突くよね」

「こーみえて頭いいもん」

「ああ、そうかい」

 こんどはパナプが皮肉っぽく笑う。その声はすっと暗い部屋に染み入った。

「ばかにしないでよ、これでもいたずら一筋うんじゅうねんの大ベテランなんだよ」

「生前からいたずらとは、きっと前世は嫌われ者だね」

「おばあさん扱いしなかったのはえらい」

「おばあさんにしてはおばかさんだもんね。歳をマイナスするしかないさ」

「うれしいやらかなしいやら」

 泣きまねはそれこそ嘘っぽく濃い闇の中に沈んでいく。

「それにしても、パナプも変わったよね」

「……急に、なに?」

「いや、だからさ、変わったなって」

「だからなんだってそんなこと」

「さいしょはさ、すっごい不安だったんだよ、隣の席の友達がさ、すっごい暗いヤツだったから」

「……本人目の前にしてすっごい暗いヤツって。ずいぶんなことを言うね」

 軽口のつもりで吐いた不平は、妙に重くストンと落ち、すぐさまその調子が消え失せた。

「でも、それでも頑張って話してみたら、思ったよりノリのいいばかだってわかったからさ」

「ばかとはなんだばかとは。君に言われたくない」

 ふんと鼻で笑った。冗談めかして笑った。そのはずだった。しかし、何かが重い。濃密な闇は即座に愉快を飲み込んでしまう。

「……ほんとうに、良かったと思う」

「だから、急に何なんだよ」

「さいごのさいごでさ、こうしてパナプと過ごせて楽しかった」

「だからっ」

「でも、これでもうさいご。終わりなんだ。あたしもよくわかってないんだけど。おわりなんだなって」

 そこでパナプは気づいた。暗闇の中、かろうじて捉えていたリカの影がほとんど判別できなくなっている。すっかり闇の中に溶けてしまいそうだった。だが、それはリカだけではなかった。ふと自分の手を目の前にかかげる。しかし、そこに目でとらえるはずのものが見当たらない。自分の手を視認することができなくなっていた。

「これって……っ」

 闇がより一層深くなったのか、それとも自身の存在が消えかかっているのか。

「たぶん、どっちもだし、どっちもでもないと思う」

 リカは、パナプの内心の疑念に答えた。

「どっちにしても、あたしたちはここまでなんだよ」

 パナプはようやく感じ始めた。どんどん自分の存在が頼りなく、薄くぼやけてしまうような感覚を。それは未知の感覚で、底知れぬ恐怖感をパナプに与えた。そして実感した。リカは正しい。理由は分からないが、ぼくたちは本当にここで終わるのだと。

「どうしたって、そんな……わけが分からないよ」

「しょうがないよ、そうなってしまったんだもん」

 リカはさみしげに笑った。そして、ふうとため息をつく。少しの沈黙のあと。

「だから、これでさいごっ!」

 唐突なリカの元気な声が闇の中に響く。しかしその声の愉快さとは裏腹に、リカの動きは緩慢として、闇の底の粘質の滓の中を泳ぐよう。薄くなった存在は多分に闇に溶けて、明確に見分けることもできない。多少の時間差を置いて、パナプは自分の脇腹に何かが当たるのを感じた。ついで、こそばゆい感覚が今まさに起こるだろうと意識したところで、ふいにリカの消失を感じ取った。

 ああ、リカは先にいなくなってしまった。そう思うや否や、その直後、パナプ自身の意識も、深い闇に飲まれて暗転した。




 リカとパナプが消失した翌日の朝、彼らが通っていた教室。まだ彼らのクラスメイトはリカとパナプがいなくなったことを知らない。普段通りに、あるものは友人と談笑し、あるものはなにをするでもなくぼうっとし、あるものは本を読み、あるものはふざけ合っていた。

 ホームルームが始まる時間になる。担任は、時間通りに教室にやってきた。彼の姿を確認すると、生徒達はめいめい席に着いた。そして、担任の方に種々様々な表情を向ける。どうということもない日常が期待通りに進む。そのはずだった。

 生徒達は気づいた。担任の表情に常の無い重い影があることに。尋常ならざる雰囲気を感じ取って、生徒達はすぐに静かになった。

 教師は生徒達の静粛を確認した。話し始めた。

「その様子だと、君たちはまだ何も知らないのだろう。昨日、大変な事故があったんだ。それを今話さなくてはならない。少しびっくりするかもしれないが、ちゃんと聞いてほしい」

 重く息をつくように苦しげな前置きを述べ、教師は少し目をつむって息を整えた。意を決して再び目を開き、今度は滔々と話を進める。

「昨日から、このクラスの生徒が消失している。一人は、リカ。髪あり、両眼、口あり、耳は両側、二手二足、しっぽなし、学なし、金なし。もう一人は、パナプ。柔毛、

両眼、口あり、垂れ耳、しっぽあり、学あり、金なし。みんなも知っての通り、普段から悪戯の酷い生徒で、昨日もそれが原因で教育部屋に連れていかれていた。罰の時間が終われば、いつもの通り釈放されるはずだった。しかし、当直のアガ先生が教育部屋に向かったところ、二人はいなくなっていた。最初は彼らがどこかに隠れているものと考えて、部屋の中を捜索したが、いくら探しても見つからなかった。みんなも知っての通り、外から開けられない限りは、あの部屋から抜け出すのは不可能だ。不審に思ったアガ先生は何らかの異能を疑って、教頭先生とも相談して、急遽導師さまに鑑定を依頼することになった。鑑定の結果、彼らは彼ら自身の能力によって、宇宙空間に転移してしまっていることが分かった。おそらくは、リカとパナプの能力が、意図しない形で異常な反応を起こして、このような結果となったと思われる。そして、これだけでも大変な事態なんだが、それ以上に深刻なことになっている。それは……」

 教師が言葉を続けようとしたその時、けたたましい防災サイレンが響き渡る。突然の大音に、生徒達は身をすくませ、何人かは短い悲鳴をあげた。

「ああ、ついに来てしまったか……。彼らが転移した先、そこを調べたところ数隻の宇宙船があった。それは、遠い宇宙で名を馳せる宇宙海賊のもの。驚いたことにこの星に侵略を企てているらしい。何もない、この星に……。なんでまた……。このサイレンを聞く限り、もうその時が来てしまったのだろう。……さあ、慌てずに、これから地下のシェルターに向かう。落ち着いて、まだ、時間の余裕はある。まず廊下に並んで。静かに、そしてきびきびと。大丈夫、心配しないで」

 生徒達は、一斉に席を立ち、大小の不安げな声を挙げながらも従順に廊下に出た。

 耳をつんざく音。大きく唸っては、小さく減衰していく。何度も繰り返すその音の波にせかされながら、整列した生徒達は教師を先導に、地下のシェルターに向かっていった。




「さて、長い旅路であったが、ようやくたどり着いた」

 リカとパナプ達の学校で、生徒達が避難を開始したころ、宇宙の大王は彼らの惑星を目前に控えていた。

 しかし、彼が引き連れていた宇宙船団はどこにも見当たらない。彼一人、小さな宇宙艇に乗っているばかりである。

「たどり着いたものの、これではどうしようもないな。我が船団は分裂してしまった。……みな無事だといいが」

 大王の船団は、つい先日、ことごとく消滅してしまっていた。原因は未だにわかっていない。度重なる「攻撃」に苛立っていた大王は、気分転換と称し、大王自ら小型の宇宙艇で船外調査をしていたところ、何の前触れもなく突如として宇宙船が消え失せてしまったのである。彼一人、その場に残されてしまった。宇宙艇に備え付けられたレーダ―は、確かに船団の消息を伝えていた。ただし、それは、大王のいる座標に程遠い、はるかかなたの星系にあることを示していた。

 これも「攻撃」なのだろうか?いや、それにしては規模が違いすぎる。

ここで大王は返って冷静さを取り戻した。この逆境が、彼に冷静になることを強いたのである。侵略が目下不可能となった今、彼はとにかく生き延びる必要があった。この小さな宇宙艇では武器もなければ、食料のほか必要な物資はすぐに底をつく。まずは対象の惑星に降りて、助力を請わねばならない。もともと取るにたらない惑星だ。侵略できずとも彼の不利益となることはない。

 目的の惑星を目指しながらそのように大王は考えをまとめた。そして、とうとうたどり着いたのである。

 目標の惑星を目の前にして、大王はなんともいえない感慨に包まれていた。よもや侵略対象の惑星に、命乞いをすることになるとは。この俺様が、そんな選択肢を選ぶことになるとは。

 しばらく宇宙艇を止めて、惑星との距離を一定に保っていた大王は、あるものに気づく。目前の惑星から、黄色い物体が2個、こちらに若干向かいながら、宇宙空間を漂っている。

 怪しく思って、近寄ってみると、それは小型の宇宙船だった。宇宙船というよりは、非常時用の脱出ポッドのようだ。人一人がようやく入れるほどの大きさの小さな箱。黄色い五芒星の形をして、その中央は丸く盛り上がり透明な窓になっている。

 その中には、それぞれ一人ずつ、こどもが収められていた。身体を折って丸くなり、目を瞑っている。死んでいるのだろうか。不審に思った大王は宇宙艇のアームを伸ばして、二つのポッドを引き寄せる。近くで見てみると、息をしているのが分かる。どうやら寝ているらしい。

「これは、こいつらは、一体なんなんだ」

 大王は当惑した。一方で、あどけない様子で眠る二人に、妙な憐憫の思いが湧き上がる。

「おそらくはあの惑星の住人だろう。ついでに送り届けてやるのがよいか」

 大王はアームを使って、その2隻のポッドを宇宙艇に取り付けた。そして、惑星へと向かって宇宙艇を走らせた。

 まさにその二人が、今まで散々苦渋を飲まされた相手だとは、大王には思いもよらなかった。


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