後編
ミュウ
「がっかりしました」
ミュウは視線を落とした。
スナイプ
「えっ?」
ミュウ
「優しい人間だと思ったのに、そんな嘘をつくなんて」
ミュウ
「少しも笑えません。不快です」
スナイプ
「嘘じゃ……」
ミュウ
「知っているんですからね?」
ミュウ
「お父様を殺したのは、『勇者』と呼ばれている人です」
ミュウ
「東から来た人間は口を揃えてそう言います」
ミュウ
「私が魔族だから知らないとでも思いましたか?」
スナイプ
「そうか……」
スナイプ
「皆がそう言うのか」
……。
スナイプとミュウが出会う四年前。
成人の日。
スナイプは村の小さな神殿を訪れていた。
神々から加護を授かるために。
この世界における成人の儀式だった。
スナイプは神官の前に立った。
神官
「スナイプ=アンダーブルー」
神官
「其方に授けられたクラスは『狙撃手』である」
神官が告げた加護は耳慣れないものだった。
狭い神殿がざわめきで満たされた。
「そげきっ?」
「何だそれ?」
「レアクラス……!?」
「俺達の村からレアクラスが出たのか!?」
……。
その日の夕方。
成人の儀が終わり、スナイプは村外れでぼんやりとしていた。
イツカ
「よう。レアクラス」
彼に声をかけたのは幼馴染のイツカだった。
金髪碧眼の美男子。
運動も得意なので村の子供達から一目置かれていた。
スナイプ
「嫌味かよ。『勇者』様」
イツカが授かった加護は『勇者』だった。
十年に一度しか現れないというレアクラス。
戦いにおいて右に出るものは無いと言われていた。
イツカ
「まあな。羨ましいか?」
スナイプ
「殴るぞテメェ」
イツカ
「ははっ」
イツカ
「まさか……俺達二人ともレアクラスとはな」
スナイプ
「これからどうする?」
イツカ
「決まってんだろ」
イツカ
「このダッセェ村を出て、冒険者になる」
イツカ
「ラビュリントスを踏破するのは俺達だ。そうだろ?」
スナイプ
「……ああ!」
二人は冒険者になった。
……。
スナイプとイツカが冒険者になってから、二年が経っていた。
とある町の酒場。
二人はテーブルを挟んで向かい合っていた。
イツカ
「スナイプ。パーティを抜けてくれ」
スナイプ
「……そうか」
幼馴染の冷たい言葉。
スナイプは意外だとも思わなかった。
ようやく来たか。
そんな気分だった。
イツカ
「悪い」
イツカ
「けど、みんな納得が出来てないんだ」
イツカ
「お前は……パーティの異物になってしまった」
『狙撃手』には三つの特性が有った。
一つ目は、魔術の『距離減衰』が無いこと。
普通、魔術というのは遠くへ飛ばすほど威力が落ちる。
『狙撃手』は遠方にも強力な魔術を放つことが出来た。
状況によっては有用。
だが、冒険者には不要だった。
冒険者の主戦場は狭い迷宮。
迷宮で1000メートル先を狙い撃つ必要など無い。
全くの無駄。
役に立たない『死に特性』だった。
二つ目は、力を貯めることで強力な魔術を放てること。
これは迷宮においても役に立った。
迷宮には強力な魔獣が出現する。
それらは『ボス』と呼ばれていた。
頑丈なボス相手に破壊力の有る一撃は有用だった。
三つ目……。
これが問題だった。
三つ目の特性は、『EXP』の『総取り』。
『狙撃手』が敵を倒すと、全てのEXPが『狙撃手』のものとなる。
EXPとは、魔獣を殺すことで得られる力だ。
それを独り占めできる。
苦労して皆でボスを倒しても、スナイプがとどめを刺すと、手柄はスナイプのもの。
命懸けの戦いの戦果が持っていかれてしまう。
『狙撃手』はパーティの絆にヒビを入れるクラスだった。
スナイプは自身がパーティに馴染まないことを自覚していた。
スナイプ
「そうだな」
スナイプ
「俺から言い出すべきだったのかもしれない」
スナイプ
「夢を捨て切れなかった。すまない」
スナイプは頭を下げた。
イツカ
「スナイプ……」
イツカ
「持っていけ。手切れ金だ」
イツカはテーブルに革袋を置いた。
スナイプが袋を開くと、中に大量の金貨が見えた。
スナイプ
「良いのか? こんなに」
イツカ
「仲間を放り出すんだ。これくらいはさせてくれ」
スナイプ
「……そうか。じゃあな」
イツカ
「……これからどうする?」
スナイプ
「考えてみる」
二人は別れた。
……。
スナイプは冒険者を止めた。
一人で迷宮に潜るのは現実的で無いと思われた。
他にやりたいことは無いか、考えてみた。
だけど、見つからなかった。
だが、暮らしに困ることも無かった。
一人で居る分には『狙撃手』は強力な加護だ。
地上で暴れる凶暴な魔獣を狩る。
『狙撃手』の特性で安全に。
それだけで日々の稼ぎを得ることは出来た。
何も困ることは無い。
ただ、迷宮が恋しかった。
風の噂でイツカ達の活躍が聞こえてくる。
やるせない気持ちになった。
……。
ミーア
「貴方が『狙撃手』ですね?」
ある日、スナイプは宿屋の一室に呼びつけられた。
酒場で胡散臭い白ローブの女が声をかけてきた。
その誘いに乗った。
冒険者を続けられていれば、乗らなかっただろう。
少し自棄になっていた。
宿屋では身なりの良い少女と、彼女に仕えるメイドが待っていた。
スナイプ
「……そうだが?」
スナイプは気だるそうに答えた。
ミーア
「私はミーア=オルスヴェア。この王国の第一王女です」
スナイプ
「……失礼しました」
相手の名乗りを聞き、スナイプは膝をついた。
正体を疑うことはしない。
この頃のスナイプはそこまで擦れてはいなかった。
ミーア
「構いません。『狙撃手』……」
ミーア
「あなたに重大な依頼が有ります」
スナイプ
「依頼? 王女様が? 俺なんかに?」
ミーア
「あなたにしか出来ないことです」
スナイプ
「…………?」
ミーア
「『狙撃手』」
ミーア
「魔王を殺しなさい」
……。
スナイプ
(あれが……魔王……)
スナイプ
(思ったより普通だな)
物見櫓の上にスナイプの姿が有った。
彼の背後にはミーア王女が立っていた。
櫓は戦場から2000メートルの遠方に有った。
戦場では人類軍と魔王軍が向かい合っていた。
まだ戦いは始まっていない。
睨み合いが続いてた。
戦場の誰もスナイプの存在に気付いていない。
スナイプは櫓の上で望遠鏡を覗いていた。
スナイプの視線の先に魔王の姿が有った。
耳の尖った男。
年は三十代か。
面長の美貌。
額には魔族の特徴である『邪眼』が見えた。
……それだけだ。
邪気は感じなかった。
男が一人居る。
それ以上の感慨は無い。
スナイプは魔力を貯めた。
男を殺すために。
櫓の根元には魔法陣が有った。
国に仕える魔術師がスナイプに魔力を送っていた。
今までに無い力がスナイプの身中に漲っていた。
スナイプ
「準備……出来ました」
スナイプは右手の人差し指と中指を獲物に向けた。
ミーア
「射なさい」
スナイプ
(雷槍)
言われるままに、スナイプは力を解き放った。
一瞬、世界が輝いた。
音速を超える一撃が魔王へと吸い込まれた。
スナイプの目に、馬上の魔王が転げ落ちるのが見えた。
スナイプ
「…………」
スナイプ
「命中しました」
ミーア
「大儀でした」
地面に落ちた魔王はぴくりとも動かない。
近くの兵士が魔王に駆け寄った。
魔王は応えなかった。
スナイプ
(倒れて……死んだ……?)
スナイプ
(俺が……殺したのか……)
人類軍が動いた。
士気高く魔王軍へと切り込んでいく。
形勢は明らかだった。
王を失った軍は散り散りに蹴散らされていった。
スナイプ
(これで……俺は……英雄……に……?)
スナイプは眩暈に襲われ倒れた。
ミーア
「『狙撃手』!」
王女がスナイプに駆け寄った。
スナイプは意識を失った。
……。
スナイプ
「う……」
スナイプは目覚めた。
いつもの目覚めより心地良い。
使い慣れた硬いベッドとは違う。
ふわふわで、温かかった。
彼は天蓋付きのベッドに寝かされていた。
ミーア
「目が覚めましたか」
ベッド脇の椅子にミーアが座っていた。
その顔は無表情だった。
スナイプ
「姫様……」
スナイプ
「俺は……?」
ミーア
「貴方は魔王を倒した後、気を失ったのです」
スナイプ
「……そうですか」
スナイプ
「なんだか気分が悪くなって……すいません」
ミーア
「大仕事をやってのけたのです」
ミーア
「並々ならぬ重圧であったはず」
ミーア
「この程度のこと、失態には入りませんよ」
スナイプ
「ありがとうございます」
スナイプは救われた心地になった。
少し表情が緩む。
スナイプ
「俺は……英雄になれたんでしょうか?」
ミーア
「そのことですが……」
ミーア
「貴方が魔王を射殺したということは、内密にしてもらいたいのです」
スナイプは一瞬で真顔に戻った。
嫌な汗が流れた。
スナイプ
「……どういうことですか?」
ミーア
「相手が魔族とはいえ、将を一方的に射殺したというのでは外聞が悪い」
ミーア
「勇者が戦場で魔王を討った。そういうことにしておきたいのです」
スナイプ
「じゃあ……俺は……」
何なのか。
メイドが革袋を持ってベッド脇に立った。
ミーア
「金貨を用意しました」
ミーア
「一生遊んで暮らせるだけの額は有ります」
ミーア
「どうか受け取って下さい」
メイドが持つ革袋はどこかで見た色をしていた。
冷たい色だ。
スナイプはそう感じた。
次の瞬間、感情が溢れ出していた。
スナイプ
「俺は金が欲しかったんじゃない!」
スナイプ
「夢が有った! 叶わなかった! だけど……」
スナイプ
「そんな俺にも出来ることが有ると思ったのに……」
卑怯者の汚れ仕事を、ただ押し付けられたというのか。
スナイプの声は惨めに震えていた。
スナイプ
「アンタも……俺の気持ちを裏切った……」
メイド
「無礼ですよ。『狙撃手』」
スナイプ
「俺は『狙撃手』なんて名前じゃない!」
ミーア
「っ……」
スナイプ
「……失礼しました」
スナイプは頭を下げ、ベッドから起き上がった。
メイドの手から革袋を奪い取る。
懐かしい、金貨の重みが有った。
スナイプ
「報酬、有り難く頂戴いたします」
スナイプ
「それでは。もう二度と会うことも無いでしょうが」
スナイプは振り返ることなく寝室を去った。
後にはミーアとメイドが残された。
ミーア
「……………………」
メイド
「あの男を始末しますか?」
ミーア
「止めなさい」
ミーア
「そこまでする必要は無い。そうでしょう?」
メイド
「御意」
……。
それから、スナイプは自分が何をしたのか知った。
人類軍は魔王軍に勝利し、新たに条約が結ばれた。
多額の賠償金が支払われた。
魔王領の一部が人類の諸国家に割譲された。
それだけだった。
スナイプは自分の行いの結果を見に行くことにした。
何か誇れることをしたのだと思いたかった。
西へ旅をした。
人類が奪った旧魔王領へ。
そこでスナイプは初めて魔族と接することになった。
魔族と呼ばれる人々は想像よりも善良だった。
その魔族相手に人類軍の兵士は威張り散らしていた。
醜悪に見えた。
ただ、領土の奪い合いが有った。
それだけだった。
スナイプを冷遇した国が肥えただけだ。
誇れることは何も無かった。
……。
そして今。
スナイプの眼前には自分が殺した魔王の娘が座っている。
彼女ですら、誰が魔王を殺したのかを知らない。
スナイプ
(そこまで穢らわしいか)
自分のしたことは。
スナイプ
「そうだな」
スナイプ
「魔王は勇者が倒したんだろうさ」
スナイプ
「正々堂々、剣の力で打ち倒したんだ」
ミュウ
「いえ」
ミュウは首を左右に小さく振った。
ミュウ
「お父様は卑劣な技で殺された。そう聞いています」
スナイプ
「それは誰が言ってるんだ?」
ミュウ
「戦場帰りの魔族に。皆がそう言っています」
スナイプ
「そうか」
スナイプ
「皆か」
ミュウ
「はい」
ミュウ
「皆です」
スナイプ
「栄光は勇者に。汚名は我が業に」
ミュウ
「何ですか? それは?」
スナイプ
「お芝居の台詞だよ」
ミュウ
「三文芝居でしょうね。きっと」
スナイプ
「その通りだ」
スナイプ
「酒、飲むか?」
ミュウ
「レディにお酒を飲ませてどうするつもりですか?」
スナイプ
「別に」
スナイプ
「俺が飲みたかっただけだ」
スナイプ
「もう寝る。ソファを使っても良いぞ」
ミュウ
「ありがとうございます」
ミュウ
「……その、おやすみなさい」
スナイプ
「ああ。おやすみ」
スナイプは眠った。
……。
スナイプ
「ん…………」
スナイプは目覚め、上体を起こした。
ミュウ
「おはようございます」
ベッドの脇にミュウが立っていた。
スナイプ
「……何やってんだ? お前」
ミュウ
「何って、朝の挨拶ですけど」
当然と言わんばかりだった。
スナイプ
「ん~…………」
いつからそこに居たのか。
スナイプはそう尋ねたくなったが、止めた。
スナイプ
「朝飯食うか?」
ミュウ
「アッハイ。勝ちなので」
スナイプ
「それじゃあ……」
その時、呼び鈴が鳴った。
あまり聞きなれない音だった。
この家に客が来ることは少ない。
ただ、音の位置でこの家の呼び鈴だと分かった。
スナイプ
「ちょっと待ってろ」
ミュウ
「はい」
スナイプはミュウを置いて玄関へ向かった。
扉を開けて外へ。
そこに黒いローブを来た二人組みの姿が有った。
男と女が一人ずつ。
二人の顔つきは似ている。
兄妹だろうか。
スナイプはそう考えた。
スナイプ
「何の用だ?」
ツウ
「魔王様!」
テイジ
「どうか我々をお救い下さい!」
二人は勢い良く跪いた。
往来の人々が何事かとスナイプ達を見た。
スナイプ
「魔王……?」
スナイプ
「ミュウの奴と勘違いしてるのか? 俺は……」
ツウ
「ミュウ様? あの方は関係が有りません」
女の方がそう言った。
ツウ
「私は貴方様に助けを乞うているのです。魔王様」
スナイプ
「俺に言ってるのか?」
テイジ
「勿論でございます。魔王様」
男の方がそう言った。
スナイプ
「……はぁ」
スナイプ
(また何か面倒が始まりやがったな)
スナイプはうんざりして空を見上げた。
青空は微笑み、太陽は嘲笑っていた。
彼はまだ知らなかった。
魔王として人々を統べる自らの運命を。
最後までお読みいただきありがとうございました。