前編
金は有る。
健康な肉体も有った。
他の全てが無い。
男はそんな気がしていた。
スナイプ
(俺は……贅沢だろうか)
金に困った人はごまんと居る。
病を患った人も。
そんな人達に比べれば、恵まれている。
スナイプにもそれは分かっていた。
恵まれた者は笑わなくてはならないだろうか?
スナイプは卑屈な薄ら笑いを浮かべた。
左手には水筒。
中は水割りで満たされていた。
日はまだ高い。
日中から酒を飲んで歩くなど、不審者のすることだろうか。
せめて屋内で、人目を忍んで飲めば……。
だが、そんな気にはなれなかった。
スナイプ
(太陽が必要だ)
男はそう考える。
心から活力が欠けている。
欠けているモノは補う必要が有った。
酒と太陽。
見方によっては相反するように見えた。
酒は陰で、太陽は陽。
だが、男の疲れた心は両方を必要としていた。
日を浴びながら、砂の上を歩く。
白い。
シライは砂漠の町だった。
申し訳程度のオアシスが有る。
水は魔法で出せば良い。
町の人達が渇くことは無かった。
やがて、スナイプは焼き鳥の屋台を見つけた。
別に空腹でも無い。
なんとなく、2串買った。
その時だった。
大声が聞こえた。
スナイプは声の方を見た。
少女が見えた。
銀髪の少女。
身長は140センチに満たないほどか。
黒い衣服は平民のものには見えない。
貴族だろうか。
彼女に大人の男二人が絡んでいる。
少女の耳の先が尖っているのが見えた。
それで魔族だと分かった。
珍しいことでは無い。
ここは元々魔族の町だ。
逆に、男達は人間のようだった。
一般人では無い。
見慣れた鎧を着ている。
二人とも、人類軍の兵士だった。
ミュウ
「返して! それに触らないで下さい!」
少女は飛び跳ねた。
男の片方が、手に何か持っているのが見えた。
光沢が有る。
金属のようだった。
男は手を高く上げ、少女がソレに届かないようにした。
少女の背は低い。
身長差が有る。
並みの跳躍で届く高さでは無かった。
ミュウ
「返して……下さいっ……!」
諦めない少女を兵士が嘲笑った。
ミュウ
「っ……!?」
軽い破裂音がした。
男が少女の頬を張ったらしい。
拳骨よりも威力は低い。
だが、少女は呆然としていた。
単純かつ効果的な暴力だった。
兵士A
「じゃあな。コイツは貰っとくぜ」
兵士は少女に背を向けた。
少女から物を奪っていった。
明白な強盗だった。
街路には多くの人々が居た。
その殆どは魔族だった。
兵士の蛮行を止めようとする者は居なかった。
皆、自信の無さそうな顔で事態を傍観していた。
何故か。
スナイプ
(魔王が死んだからだろうな)
スナイプはそう結論付けた。
気がつけば脚が前に出て、兵士の肩を掴んでいた。
兵士A
「あ?」
スナイプ
「返してやれ」
スナイプの眼差しに義憤は無い。
冷めた目で男を見ていた。
兵士の顔が歪んだ。
気に障ったらしかった。
兵士B
「お前、俺達が誰だか分かってんのか?」
スナイプは少女ほど脆くは無い。
そう感じた兵士はまず権威を使った。
スナイプは揺るがない。
彼は権威が嫌いだった。
うんざりしていた。
スナイプ
「盗賊だろう? 鎧を着た奴は珍しいが」
スナイプ
「いや……。もう珍しくは無いか」
どれもこれも、魔王が死んだから。
兵士A
「舐めてんじゃねえぞ!」
兵士はスナイプに殴りかかった。
暴力は便利だ。
簡単に、すぐに結果が出る。
悪い方向にも。
兵士A
「がっ……!」
兵士が鼻血を流して倒れるのにも、時間はかからなかった。
倒れた兵士の鼻が左に曲がっていた。
兵士B
「やりやがったな!」
連れの兵士が腰の剣に手をかけた。
迷い無く抜刀する。
斬ることに慣れているのか。
あるいは、脅すことに。
スナイプ
「丸腰だぞ。俺は」
そう言って、スナイプは素早く前に出た。
兵士B
「ぐ……あぁ……」
スナイプの右拳が兵士の水月に突き刺さっていた。
急所ではあるが、鍛えられた兵士を一撃で倒すのは難しい。
通常であれば。
だが、兵士は呆気なく倒れた。
白目をむき、動かなくなった。
スナイプ
「弱い……?」
スナイプは意外そうに倒れた二人を見下ろした。
楽勝だと思って喧嘩を買ったわけでは無い。
負ける可能性も有ると思っていた。
もう何ヶ月も鍛錬をしていない。
それに、元から格闘は得意では無かった。
スナイプ
(まあ……良いか)
スナイプは兵士の手へと自らの手を伸ばした。
光る何かを奪う。
引き寄せて見ると、金色の懐中時計だと分かった。
スナイプ
(魔導器か? まあ、どうでも良いか)
スナイプは視線を巡らせた。
時計の持ち主の少女の方へ。
呆気に取られている。
スナイプにはそのように見えた。
スナイプ
(投げるのは不味いか)
スナイプは少女の前に立った。
その時、少女が赤い目をしていることに気付いた。
自分と同じ色。
すぐにどうでも良いことだと気付く。
直接に時計を手渡そうとした。
スナイプ
「ほら、お前のだろ?」
ミュウ
「あ……」
ミュウ
「ありが……っ……」
少女は一瞬の安堵の後、悔しそうに眉を顰めた。
ミュウ
「い……要りません」
スナイプ
「返して欲しかったんじゃないのか?」
ミュウ
「私は……取り返そうとしたんです」
ミュウ
「恵んで欲しかったわけではありません」
スナイプ
「ふ~ん……?」
スナイプ
「お嬢様の考えることは良く分からんな」
ミュウ
「別に、お嬢様とかでは……」
スナイプ
「要らないなら貰っておくぞ」
スナイプがそう言うと、少女は物欲しそうに時計を見た。
ミュウ
「…………」
スナイプ
「意地張ってないで受け取れよ」
ミュウ
「要りませんってば」
スナイプ
「そうか? じゃあ預かっとくから、返して欲しくなったらウチに来い」
ミュウ
「…………」
スナイプ
「俺はスナイプ。お前は?」
ミュウ
「ミュ……」
スナイプ
「ミュ?」
ミュウ
「人間に名乗る名前は有りません」
スナイプ
「そうかよ」
スナイプ
「もう親切になんてしてやらんからな」
ミュウ
「あっ……」
スナイプは呆れたように少女から離れていった。
……。
深夜。
スナイプの家。
寝台の上にスナイプの姿が有った。
布団を被って横になっている。
スナイプ
「ん~?」
……何かの気配を感じ、スナイプは目を開いた。
少女の姿が見えた。
スナイプの上に跨っている。
ミュウ
「あっ」
少女はスナイプが目を覚ました事に気づいたようだ。
彼女の手には包丁が見えた。
見覚えがある。
この家の包丁だった。
サントクナイフ等と言われる形状で、あらゆる食材を捌ける。
非常に便利なものだ。
スナイプ
「何やってんだお前?」
刃物を見てもスナイプは動じなかった。
片手で殺せる相手だ。
そう思っていた。
そして、それは事実だ。
とっとと鎮圧しても良いが……。
だが、スナイプは敢えて少女を見守ることにした。
ミュウ
「奪いに来ました」
スナイプ
「俺の貞操を? 痴女かよ」
ミュウ
「違います!」
スナイプ
「夜中だぞ。近所迷惑だ」
ミュウ
「あ……。ごめんなさい」
スナイプ
「で、何?」
ミュウ
「人間から施しは受けられません」
ミュウ
「ですから、奪いに来ました」
ミュウ
「時計を寄越して下さい」
スナイプ
「ああ。時計。時計ね」
スナイプ
「売った」
ミュウ
「えっ……?」
ミュウ
「どうして……売ってしまったのですか?」
スナイプ
「高く買ってくれるって言うから」
ミュウ
「っ……誰に売ってしまったのですか!?」
スナイプ
「嘘だが」
ミュウ
「えっ?」
スナイプ
「家に有るぞ。時計」
ミュウ
「今その嘘つく必要有ります!?」
スナイプ
「夜中」
ミュウ
「あっ……」
ミュウ
「けど、貴方が7割悪いと思います」
ミュウ
「どうして嘘なんてつくんですか」
スナイプ
「お前みたいなちんまいのが必死こいて頑張ってるとさぁ……」
スナイプ
「なんか、からかいたくなっちゃうよな?」
ミュウ
「そんな、『分かるよな?』みたいな顔されましても……」
スナイプ
「分かるよな?」
ミュウ
「分かりません。それに、ちんまくも有りません」
スナイプ
「隠れ巨乳だったか」
ミュウ
「隠しきれないほどです」
スナイプ
「なんセンチ?」
ミュウ
「およそ100センチです」
スナイプ
「ハッ」
嘲笑。
ミュウ
「……命が惜しかったら時計を出して下さい」
少女は包丁の刃先をスナイプの眼前に突き出した。
スナイプ
「どうぞ。お嬢様」
スナイプは枕の下から時計を引っ張り出した。
そのまま少女へと手渡す。
ミュウ
「なぜ枕の下に?」
スナイプ
「安全だから」
ミュウ
「……ありがとうございます。それでは」
少女は時計を受け取るとベッドから降りた。
そのとき……。
ぐぅ。
腹が鳴った。
少女の腹だった。
スナイプ
「腹減ってるのか?」
ミュウ
「何を根拠に言っているのですか」
少女は顔面を真っ赤にしつつ、表情を真顔に保った。
若干汗ばんでいるようにも見えるが、表情だけは揺るがない。
逆に器用だな。
スナイプはそう考えた。
スナイプ
「何って、腹の虫が」
ミュウ
「何を言っているのですか」
ミュウ
「乙女のお腹が鳴るわけが無いでしょう。常識的に考えて」
スナイプ
「それじゃあメシは作らなくても良いな?」
ミュウ
「包丁……」
スナイプ
「うん?」
ミュウ
「ご飯を作らないと包丁が凄いことになりますよ」
スナイプ
「怖い怖い」
スナイプ
「ところで、家に有る包丁はそれ一本なんだ」
スナイプ
「料理するから返してくれ」
ミュウ
「これ、返してしまっても私の勝ちでしょうか?」
スナイプ
「それで良いから」
ミュウ
「では、どうぞ」
スナイプ
「あんまり期待するなよ」
スナイプ
「俺の料理は普通だ」
……。
ミュウ
「ごちそうさまでした」
スナイプ
「おそまつさま」
食事が終わった。
ダイニングのテーブルを挟んで二人は向かい合っていた。
テーブルの上には使用済みの食器と酒だけが有った。
食器は少女のためのもので、酒は男のために有った。
スナイプ
「さて……お嬢様」
スナイプは酒瓶片手に少女を見た。
ミュウ
「その呼び方、不快です」
ミュウ
「私にはミュウという名前が有るのですから」
スナイプ
(人間に名乗る名前は無いんじゃ無かったのか?)
スナイプ
「……ミュウ」
ミュウ
「はい。ミュウです」
スナイプ
「親は?」
ミュウ
「殺されました。あなた達人間に」
スナイプ
「そうか」
ミュウ
「それだけですか?」
スナイプ
「俺が泣いて詫びるとでも思ったか?」
ミュウ
「……いえ。すいません。八つ当たりですね」
ミュウ
「あなたがお父様を殺したわけでも無いのに……」
スナイプ
「理性的で助かる」
ミュウ
「私は……お父様の仇を探しています」
スナイプ
「探してどうする」
ミュウ
「討ちます」
スナイプ
「時代錯誤だな」
ミュウ
「必要なことですので」
スナイプ
「お前の父親は戦場で死んだのか?」
ミュウ
「戦場……」
ミュウ
「そう言って……良いのでしょうか……」
スナイプ
「何だ? はっきりしないな」
ミュウ
「お父様は戦わずして死にました」
スナイプ
「それは……」
ミュウ
「遠方から、卑劣な技で射殺されたと聞いています」
スナイプの顔色が変わった。
スナイプ
「……………………」
スナイプ
「魔王?」
ミュウ
「えっ?」
スナイプ
「お前……魔王の娘か?」
ミュウ
「はい。……分かるのですか?」
スナイプ
「ああ」
スナイプ
「お前の父親を殺したのは俺だ」