89.見舞人
父に言われて眠りにつき、目覚めた後に、王宮の侍医に見てもらうと、エレーナは帰宅許可を貰えた。
そして次の日、ルドウィッグとエルドレッドと共に帰ってきたのだ。
許可を貰ったと言ってもそれはあくまで場所を移してもいいということ。自身が動くことは禁止され、寝台から車椅子に移る際はルドウィッグに抱えてもらったし、馬車の乗降もエレーナは足を使わなかった。
帰宅直後は目覚めたばかりで動く気力もなく、そのまま自室に直行した。その際にリリアンには1年分の涙を流したのではと思うほど号泣され、しばらく彼女の胸から離してもらえず苦笑した。
体調を元に戻すにはベッドの上の安静が必須で、1週間ほどはずっと寝台の上にいた。ようやく歩いてもいいと許可をもらっても、毒がまだ抜け切ってないせいか手が震え、歩くのが億劫でほとんど動かなかった。
その間にはエリナを筆頭に友人達が泣き腫らした目をしながらお見舞いに来てくれていた。一番凄かったのはアレクサンドラだ。
「レーナぁ。ごめんなさい。私が貴女を一人で行かせたからっ!」
枕を支えにして身を起こしたエレーナを、抱きしめて泣き続けるアレクサンドラ。彼女を宥めるのは大変だった。
「貴方のせいではないわよ。そんなに泣かないで」
マシュマロのように柔らかい頬を掴んで、無理やり視線を固定させる。
「だっだっひぇ。わひゃしがいたら……」
「一緒にいたらサーシャまで巻き込まれてたかもしれないわ」
「でっでも」
エレーナの説得では納得してくれないようだった。他の友人たちも彼女達のせいではないのに、謝られ、少し居心地が悪かった。
体に障るからまたお見舞いに来るわ、と次の見舞いの約束を取り付けられ、友人たちが帰った3日後のこと。
今度は正規のルートで先触れを出し、ルイス家にエレーナのお見舞いにやってきたリチャード殿下は、リリアンに花束を渡した後、寝台の隣に腰掛ける。
エレーナはリチャード殿下が見舞いに来ると知って、胸につっかえていた疑問を晴らすことに決めていた。
「リリアンネ様は何処に?」
その前からさりげなくお父様やエルドレッドにも探りを入れているのだが、頑なに口を割ろうとしない。いつもは口が軽そうなヴォルデ侯爵も教えてくれない。こうなったら一番この件を詳しく知っていそうなリチャード殿下に聞くしか無かった。
「…………レーナは会えないかな」
しばし沈黙した後、リチャード殿下はエレーナの手を取って撫でながら言った。こそばゆさに手を引っ込めそうになるが、リチャード殿下は離してくれない。
仕方が無いので抵抗を止めた。
「何故ですか」
本人に聞きたかった。殿下から少しだけ教えてもらっても腑に落ちない。やっぱりそんなに恨まれる覚えはないのだ。
それを見越してなのか、リチャード殿下はエレーナに釘を刺す。
「会えないものは会えないよ。私のせいでもあるが、今回ばかりは許せないから。それに、彼女は罪人だ」
にっこり微笑んでいるはずなのに怖い。
「……罪状は?」
「──人身売買」
「人身……売……ばい?」
想定もしていなかった罪状で、首が横に曲がった。エレーナはてっきりジェニファー王女の誘拐罪だと考えていたのだ。
「とにかく、レーナは何も知らずに元気になってくれればいいんだよ。みんな君が早く良くなるのを待っているのだから」
下ろしていた髪に触れられ、耳にかけられる。そしてリチャード殿下は1輪だけ手元に持っていた花をエレーナの耳元に差した。
不可抗力で近づいてきた顔に、エレーナは顔を赤くした。最近リチャード殿下との距離が分からない。小さい頃と同じくらいだといえばそうなのだが、それにしては少し殿下が纏う雰囲気に違和感が残るのだ。
(おかしい。リチャード殿下には他に慕う人がいるのよ。期待してはいけないわ)
手で顔を仰ぐ。
「顔が真っ赤だ。どうしたの?」
知ってるくせに。わざとなくせに。本当に不思議そうにくすっと笑う殿下は意地悪だ。
「もういいです。教えてくれないのなら出てってくださいませ! リリアン、お客様のお帰りよ!」
グイッと殿下の身体を押して、リリアンに言い付ける。
「そうだね。疲れるだろうから帰るよ」
あっさりと立ち上がった殿下は自身の体を押していたエレーナの手を取って、滑らかな手のひらにくちづけした。
「そんな表情をほかの男に見せてはいけない。分かったね?」
わなわなと震えるエレーナの耳元でリチャードは甘く囁く。
(そんな顔ってどんな顔?)
分からないが、きっととても赤くなっているに違いない。
「──こっこういうのは殿下の慕う御方にやればいいのでは!?」
気付けば言っていた。殿下は面食らったようだ。
「僕の慕う人ならレーナはいいの?」
「かっ構いません! わっわたしには関係の無い……ことですっ!」
「そっか。今、レーナ言ったからね。発言撤回はできないよ」
「もちろんですよ」
何かが吹っ切れたらしい。太陽のような笑顔を向けられて眩しすぎて困る。
リリアンに助けを求めれば、彼女は全く違う方向を見ていた。まるで「自分は何も見てません。居ないものとして扱ってください」だ。
(主人のピンチなのに!)
裏切り者め、と睨むような視線を送ればようやくリリアンが動いた。
「お嬢様は見送りが出来ませんので、代わりに私が下までお送りいたします。どうぞお帰りはこちらです」
扉を開ける。
「じゃあねレーナ。やっぱり君を手放すことはできなそうだ」
そう言いながら伸ばされてきた手を捕まえた。二度三度あれば、エレーナだって何をされるか分かる。今度こそ己の心臓のためにも阻止せねばという気持ちから、手に力が籠ってしまった。
リチャード殿下は振りほどこうとはしなかった。笑いながらいとも簡単にもう片方のエレーナの手を捕まえ、逆にエレーナの自由を奪った。
「なっ! 卑怯です」
「先に捕まえたのはレーナだろう?」
「それはそうですけど……殿下の方が強いじゃないですか」
これではわがままを言う子供じゃないか。この歳にもなってもリチャード殿下には軽くあしらわれている。
「…………リチャード殿下」
水を差したのはリリアンだった。
「ああ、今度こそ行く」
エレーナの拘束を解いて、寝台のそばを離れていく。
「殿下、お見舞いありがとうございました」
別れの挨拶を口にすると、リチャード殿下は手を振って部屋から出ていったのだった。