73.正体(1)
「──さま! エレーナさま」
大きく体を揺すられる。
「んっう」
(…………誰? まだ眠いわ)
「起きてください! お願いですから! エレーナさま!」
頭にかかっていた靄が晴れ、鮮明になる音。自分に対する呼び掛けのようだ。
ようやく目を開けるとそこは暗闇の中だった。数度瞬きをすれば段々と暗闇に目が慣れてくる。身体中どこかに打ち付けたようにあちこち痛い。
(なんで……わたし何を……)
横たわっていたらしく、身体を起こす。
どうやら室内にいるようだ。ジメッとした湿気と饐えた臭いに思わず顔を顰めた。すきま風でも入ってきているのか、足は凍りついたかのように冷えていた。
甘ったるい匂いが消えていたので、天幕内ではないらしい。
顔にかかっていた髪が横にずらされる。
「お怪我はございませんか」
はっきりと聞こえた声。
目に入ってきたのはおぼろげに見える人の姿。
白いほっそりとした手が自分の髪を掴んでいた。
「メイリーン様? ────っ!しっ失礼いたしました」
メイリーンの声だったので咄嗟に彼女の名前が口に出た。だが、そこにいるのは艶やかな黒髪を垂らし、ヴェールを被った紛れもないジェニファー王女だった。
薄暗い室内にエレーナの声が反響する。
(なっなんという失態を! 目の前に王女殿下がいるのに寝ているなんて! 穴があったら入りたいわ)
未だ状況が把握出来ていないエレーナはうなだれながら、慌てて距離をとろうとする。しかし後ろは壁であり、頭をしたたかに打ちつけただけだった。
それに何故か両手は前で縄できつく縛られていた。
無理やり動かそうとしたからか、縄が皮膚にくい込んで、転んで擦りむいた時のようにひりつく。
「大きな怪我は……見た感じないようですね。よかったです」
ジェニファー王女のはずなのに、彼女の安堵した声はメイリーンのものだった。ジェニファー王女は喉を痛めて声が出ないはずだ。なのに今はスラスラと話をしているし、こちらの言語で話しかけてきていた。
(どうして? メイリーン様がジェニファー王女なの?)
口をパクパク動かすだけでは声は出ない。エレーナの様子を見て、ジェニファー王女は苦笑した。
一歩後ろに下がり、エレーナと少しだけ距離をとる。
「疑問にお答えしたい所なのですが……今は時間が無いので。あっでもひとつだけ、私はメイリーンです。ジェニファー王女は王宮にいらっしゃいますのでご安心を。今日狩猟大会にいたのはこの私ですので」
──そんなこと言ってる場合じゃないんですけどね。とジェニファー王女に変装したメイリーンは付け加えた。
「言葉より物的証拠を見せた方が信用して貰えると思うんですが……あいにくですね。髪も瞳もこうなので」
彼女はパサリとヴェール外す。そこに現れたのは見間違えるはずのない黒髪で、ジェニファー王女の髪色だ。
メイリーンは白銀なので真反対。瞳の色も紫水で、栗色ではなかった。
目の見えない者以外は容姿を間違えるはずがない。穏やかに微笑む顔つきはメイリーンに似ているかもしれないが。
「メイリーン様と言ったけれど……仮にそれが本当だとしてその髪は──」
「この日のために染めました。瞳の色も変えました」
頭に乗っていたティアラが石の床に落ちて、カツンッと金属音が響いた。
「リリアンネ様は?」
エレーナの頭はパンク寸前だった。目を開けたら牢屋のような場所にいるし、目の前には変装したらしいメイリーンがいる。意味がわからない。
(私監禁されてない? 牢屋に入れられてるのってそうよね?)
拘置されたことの無いエレーナにとって初めての経験。心得なんてあるはずもなく、自分がまさか牢の中に入るなんて想像をしたこともない。
読んだことのある本で、多少造りと何をされるのかを知っている程度だった。
「あーリリアンネはエレーナさまを私と同じ木箱に入れたのを確認したあと、他の馬車に乗りましたよ」
「木箱……?」
「はい。木箱に私と2人すしづめ状態でした。しかも道が悪い場所を通るからあっちこっちぶつけて……人を人として扱ってくれない外道です」
言いつつメイリーンはエレーナの髪に付着していたらしい木くずを摘んだ。