64.拒否する彼女
「レーナの昼食美味しそう! ねえ、少しくれない? 私のもあげるから」
向かい合って座っていたエリナが瞳を輝かせながら聞いた。
「もちろんよ。多めに作ってもらったから」
ヴォルデ侯爵が取り終わったのを確認して、容器をエリナの方へ動かす。エリナも持ってきた物をエレーナの方に移動させた。
彼女の昼食は魚介類を使ったものが多かった。おそらくギルベルトが好きだからだろう。それに加えて激務が多い夫を食事の面でサポートできるような、バランスがとれているラインナップだ。
まあギルベルトがそんなエリナの気遣いに気が付いているのか? と問われれば多分気が付かないで食べている。チラッとギルベルトを見たが、頬張るように口を動かして喉に詰まらせていた。
──ハムスターみたいね。あの両頬の膨らみ
ゲホゲホと涙目になりながら咳き込むギルベルト。その様子を見ていたエレーナは思った。エリナはそんな彼の背中を優しくさすっている。
「あなたね、一気に口に入れたら詰まるに決まっているじゃない。まだ時間はたっぷりあるのだから急がなくて大丈夫よ」
「いや、これを食べたら席を外さないといけなくてね。出来るだけ早く食べ終わらなきゃ行けないんだ」
ごくごくと水を飲んだギルベルトは口を開いた。
「そうなの?」
今初めて聞いたのだろう。エリナは驚いていた。
「うんごめん。せっかくエリナが朝早くから起きて作ってくれたのに……味わう時間がないんだ」
言いながら懲りずに料理を口の中に入れていく。そしてまた喉に詰まらせて噎せる。
「これでも新婚なのに……殿下がこき使うから」
ぼそっとギルベルトが呟いた。
彼は可哀想だとエレーナも思う。けれどリチャード殿下の側近なら仕方ないだろう。それに辞めたいとは言わないのだから、ギルベルトは悪態こそつくもののリチャード殿下を慕っているのだ。
「小さい頃からずっと一緒にいるのだから新婚と言っても今更すぎるわ。ほら行きなさいよ」
エリナはバッサリとギルベルトの言葉を斬った。辛烈だ。
「エリナ酷くない?」
ギルベルトは一緒のテーブルに座っていた幼なじみのエレーナ達を見た。
エレーナはサリアと顔を見合せたあと、首を横に振った。
「……とにかく行ってくる」
そう言い残してギルベルトは一番最初に席を立った。そのまま天幕を出ていく。その後ろ姿は悲壮感が漂っていた。
「ギルベルト、少し可哀想じゃないか? ああ見えて王宮では優秀だと言われているよ」
一部始終を見ていたヴォルデ侯爵はエレーナに尋ねてきた。
「あれが平常運転? なので多分大丈夫ですよ」
ようやく自分も残っていたサンドイッチを取り、深皿にはエリナの作った魚介のポトフをよそう。
パクッと頬ばれば、ぷりぷりの海老が口の中で弾ける。それがマヨネーズのコクと合わさってとても美味しい。
「……よかった」
塩と胡椒、マヨネーズをエビと一緒に混ぜただけだから不味くなる要素はどこにもないはずだが、食べてみないと不安は拭えなかったのだ。
「今度はもっと凝った料理も食べてみたい」
ペロリと口元についたソースを舌で舐めとってヴォルデ侯爵は呟いた。
「そうですね。機会があれば」
婚約するからあるだろう。そうなると練習した方がいいだろうか。リリアンを説得させないとなぁ……とエレーナは考えて、ポトフに差し込んでいたスプーンを止めた。
「──私にもくれないかな」
「でっ殿下?!」
ビクリと驚きで軽く椅子から腰が浮いた。
気がつけば横にリチャード殿下がいる。何だこのデジャブ。舞踏会の時と同じだ。次、同じことが起こったら心臓が止まりそうだ。
「サンドイッチの方が食べたいな」
そんなエレーナをリチャード殿下は気にもとめていない。
「いっいや、こんなの食べさせられません。食べるのであればこちらを」
慌ててサンドイッチの入った容器を後ろに隠し、サラダや肉料理が入っている方をリチャード殿下の前に出す。
「なんで?」
「なんでって……リチャード殿下のお口には合いません」
他の令嬢はおそらく最初からリチャード殿下のために作ってきていて、彼に差し出しているのだ。しかしエレーナは違う。舌が肥えているはずのリチャード殿下には出せないような物だ。
──具材を挟んだだけのもの。シェフ達が作った物の方がいいに決まっているわ。
だからエレーナはサンドイッチを隠す。さりげなく蓋をしてバスケットに戻した。
「私が頼んでいるのにそれでもダメなのかい」
「……ダメです。絶対にダメです」
残念そうにされて、ズキズキと心が痛い。好きな人が悲しそうにしているのはエレーナだってキツいのだ。
心を鬼にして首を横に振る。
「そうかぁじゃあ諦める代わりに、こっちをレーナが私に食べさせてよ」
いいことを思い付いたと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべられてエレーナは固まった。