53.馬車の中で
「……ここで見て見ぬふりをしたら。私がまずいんだよね。お願いだ。私を助けると思ってこの手紙を貸してくれないか」
……彼がなぜまずいことになるのだろう。これはエレーナの問題であって、身に覚えがないのなら別に何もならないと思うのだが。
「ですが大事にしたくないのです。他の方の手に渡るとなると──」
貴族たちは少しの噂でも、話でも、地獄耳のように聞いている。今は何も流れてなくても、彼に手紙を預けたせいでどこからか漏れて、嫌な噂を立てられてしまう可能性だってある。
眉間にシワを寄せたエレーナを見てヴォルデ侯爵は口を開く。
「大丈夫。細心の注意を払うし、彼はそういうの許さないタイプだから。それにあの方は国一の情報網を持っている」
確信めいてヴォルデ侯爵は言いきった。すごい自信だ。
「それなら。私のだとは伏せてくださいませ」
相手が誰であってもこんな汚点になりそうなものをばらしたくない。
「うん」
そう言ったヴォルデ侯爵は懐に差出人不明の手紙をしまった。
そしてしばらく馬車の中は静かになる。
エレーナは侯爵に話してしまったのは最善の選択だったのかと考え始めていた。
人に相談するのは苦手だ。自分の心をさらけ出すようで、不安になってしまう。それでも、今回はヴォルデ侯爵に関係することだと思ったから話した。それに、周りの親しい人達にバレるのも時間の問題だろう。何度も差出人不明の手紙がエレーナに届いていたら流石にデューク達も不審に思うに違いない。
──これで誰からなのか分かればいいのだけれど……
こっそりとため息をつく。エレーナは結構精神的に参っていた。日によって変わるが、ほぼ毎日送られてきている。中には血で書かれている手紙だってあった。受け取った日は思わず悲鳴をあげそうになった。先程考えていたように、事態は悪化しているように思う。
うつむき加減にそんなことを考えていたからだろうか。
心配そうに覗き込まれる。
「昨日は眠れたのか?」
「はい」
「ホントに? とっても眠たそうだが」
クスクスとヴォルデ侯爵は笑っている。からかうように言ってきたのはこの空間を和ませるためだろう。気遣わせてしまって申し訳ない。
──ああ、眠たいのバレてるわ
「昨日は早く寝台に入ったのですが、いつもより朝が早かったので……」
言っている最中にも欠伸が出てきそうになる。
彼を待っていた時と同じように噛み殺せば、じわりと涙が出てきて視界が少しだけぼやけた。
「じゃあ心配で眠れてないとかではないんだな」
「そうですね。すぐに寝てしまいました」
本当は少しの間考え事をしていたのだが、考えるだけ無駄だろうとやめてしまったのだ。その後すぐに睡魔が来てそのまま夢の中に入っていた。
エレーナの取り柄は寝つきがいいことと、エルドレッドと違って起こされれば直ぐに起きられること。
今日も、リリアンが「お嬢様、朝です。起きてください」の声で一瞬で目が覚めた。
元々物音ひとつでも起きることがあったエレーナ。最近は人の声以外ではあまり起きなくなったが、小さい頃は色んな音で起きてしまって寝不足気味だった。
デュークからはエレーナとエルドレッドを足して2で割りたいとよく言われる。
エレーナも、もしそんなことができるならば是非やりたい。
「会場に着くまでまだ時間はある。寝ててもいいよ。何なら肩を貸そうか?」
ヴォルデ侯爵はぽんぽんと己の肩を軽く叩いた。
「いえ、肩は大丈夫です。ですがお言葉に甘えて一眠りしても?」
さすがに侯爵の肩は借りられない。窓により掛かれば寝れるだろう。端のほうに寄って尋ねた。
「いいよ。騎士だとこのくらいの時間帯から起きることもあるんだが、令嬢にはまだ朝早いよね」
「ほんとうにすみません……着いたら声をかけて下さりますと助かります」
「わかった」
了承の言葉と共に侯爵は軽く微笑む。
それを見てエレーナは身体から力を抜いた。窓から差し込む陽光が気持ちいい。瞼を閉じたらすぐに寝てしまった。
すぅすぅと寝息を立てているエレーナを見ながら、侯爵は険しい顔つきになっていた。