46.苦労人のギルベルト
「……朝ごはんくらいきちんと食べろ。騎士なのに倒れたらどうするんだ」
「今日は騎士じゃないさ。非番だ」
屁理屈を……そう言っているのにきちんと腰に剣を携帯しているところが騎士なのだろう。
「まあいい。食べていけ」
リチャードは万年筆にキャップを付けてその場に置く。そして立ち上がり、アーネストに付いてくるよう手招きした。
「王宮の食事って美味しいよな。特にオートミール」
浮き立った足でアーネストはリチャードに付いていく。食堂は執務室がある階の一個上だ。まだ朝早くだからか、普段は忙しなくメイド等が上ったり降りたりしている階段も、静まり返っている。
「お前……これのために来たのか?」
そう思ってしまうほど、リチャードには嬉しそうに見えた。主目的を忘れていそうなほど。
「いいや、目当てではなかったけど食べられれば嬉しいなとは少し思ってた」
食堂の前にいた給仕係に2人分の朝食を頼んで中に入る。
しばらく待っていれば作りたてだと見て分かる、湯気が出た料理を給仕が運んできた。
本当にお腹がすいていたらしく、目の前に料理が置かれた途端、アーネストは無言で口に料理を運ぶ。
リチャードも朝早くから作ってくれたことに感謝を伝え、黙々と食べた。
1時間ほどで席を立ち、先に公爵のいる部屋に訪れれば彼は既に出勤していた。
「これはリチャード殿下、いかがなさいました? 書類に不備でも……」
不自然なほど目を逸らしながら、ルドウィッグはリチャードを迎えた。
「いや、不備ではない。公爵に許可をいただきたくて来た」
「何の……許可でしょう」
後ろにいるアーネストを、ルドウィッグはちらりと見ながら答えた。
「ヴォルデ侯爵が今日エレーナ嬢の見舞いに行くようで、それに私も付いていきたいのだが、当主に許可をもらわずに訪問するのも如何なものかと」
──そもそも当日になって先触れを出すこと自体があまり良くないことなのは置いておく。
「あっ大丈夫です。構いません」
正直に言ってリチャード殿下と侯爵の組み合わせに、今は遭遇したくなかったルドウィッグ。口を滑らせるよりは全てマシだと即答した。
「本当にいいのか? ならここに一言書いて欲しいのだが……」
差し出された先触れの中身をよく確認せず、ルイス公爵は手に持っていた万年筆で一言添えた。あとで妻のヴィオレッタやデュークから叱責を喰らいそうだが、目の前の王子殿下と比べたら怖さの軍配は後者に上がる。王子殿下に婚約の件がバレなければどうにでもなる。
「これで宜しいでしょうか」
「うん。ありがとう」
リチャードは蝋を借りて、その場で封をする。
「邪魔して悪かった。それでは失礼」
そう言ってルイス公爵の職場から外に出て、廊下で1人の従者をリチャードは捕まえた。
「これを速達でルイス家に」
「ルイス公爵は今日出勤予定ですが」
従者は驚いて聞き返す。
「いや、ルイス公爵ではない。エレーナ・ルイス宛に」
「────かしこまりました」
それ以上何も尋ねず一礼し、従者は手紙を届けるために去っていく。あの様子なら30分程で公爵邸に届くだろう。
そのまま執務室に戻るとギルベルトも出勤していた。
「殿下……私には幻覚が見えている気がするのですが……」
書類の山を見ないようにしてぎこちない動きでギルベルトの顔がこちらに向く。
リチャードは様々なことが折り重なって機嫌が悪かったので、彼の現実逃避を容赦なく一刀両断した。
「ギルベルトの分だ。今日中に終わらせて。ほら、早く始めないと終わらないよ」
親切心から──ギルベルトからしたら悪魔の所業にしか見えないのだが、自席に座ったギルベルトの正面にリチャードは書類の束を置いてあげた。
「殿下……さすがに終わりません。通常業務もあるのです。昨日の件で貴族達だってここに押しかけてきますよ」
「私が直ぐに終わったのだからギルベルトだって終わらせられるさ」
殿下と凡人を同等だと思わないで欲しい。人がみんな殿下と同じ仕事量をこなせるのなら、朝から晩まで働かなくてすむ。
ギルベルトの懇願は立て板に水だった。だが悲しいことにこの仕打ちに彼は慣れていた。心が追いついてなくても、自然と手がペンを握る。書類の上にインクが文字になって綴られる。頭はどうやって貴族たちの質問攻めから逃れるかのシミュレーションが開始される。
「そうだ。ギルベルト、リチャードの身を借りていくよ」
ソファに座ったアーネストが、彼の心に追い打ちをかけた。
「えっ」
「ルイス公爵家に行くんだが、リチャードも付いてくるらしい。先触れを出したからもう少ししたらここを出る」
机上に置かれていた菓子を1つ摘みながら、アーネストは説明を加えた。
「そんな……私と後に来る者は殿下のとばっちりと機嫌直しのためにこれを全て終わらせなければいけないのに?」
ギルベルトは口から本音が漏れてしまった。
「────無駄な口を叩けるということは、余裕があるのか? お望みなら量を増やしてあげることも出来るよ」
毒をたっぷりと含んだ悪魔の微笑みだ。ギルベルトは身を震わせた。
「いえ、大丈夫です。お気を付けて」
視線を書類に落として、ギルベルトは何も見なかったことにした。見なかったことにすれば何も起こらなかったことになる。
そんなこんなで部下に大量の仕事を与え、少しの間時間を潰したあと。
リチャードとアーネストはルイス公爵家を訪れたのだった。