45.アーネストのからかい
「おい、リチャード聞いてるのか?」
リチャードはアーネストのことを気にもとめず、書類にひたすら目を通す。
「──じゃあエレーナ嬢に求婚してくるから」
話を聞くだけ無駄だと思われていることを悟り、わざと煽る発言をしてアーネストは踵を返した。
「は?」
──引っかかったな
思わず口角が上がる。
「昨日少しだけ話したのだが、とっても良いご令嬢じゃないか。しかも、婚約者が居ないときた。求婚するしかないだろう?」
リチャードを煽るためだけに買った薔薇の花束をチラつかせる。
今も人気のある絵本──「花の咲く頃王宮で」が流行ってから、薔薇の花束はこの国で主に求婚する際に使われる。
エレーナ嬢にはお見舞いの品だと言うつもりだが、リチャードに対してはそのように説明するつもりがなかった。
「お前が守っているだけでそれ以外何もしないのならば、私が頂いてもいいはずさ」
室内の温度が下がる。
「冗談を言うな」
「冗談と思ってもらっても構わない。どちらにせよ私はルイス家に行くだけだから」
ひらひらと花束をリチャードの目の前で振ったあと、扉の方へ向かおうとした。
がしりと手が掴まれる。ターゲットは完璧に食い付いたらしい。
エレーナ嬢のことになると従兄弟──リチャードは扱いやすい。
すこーしエレーナ嬢に近づこうとしただけでこれである。従兄弟だから手加減なし、隠そうともしないで殺気立っている。それは先程言っていたように、機嫌が悪いのもあるだろうが……。
もし、エレーナ嬢がアーネストに婚約を申し込み、自分が了承したと知ったらどうなるだろうか。多分アーネストは問答無用で殺されると思う。まあ知られないよう立ち回るし、婚約を結ぶ前に2人を結びつけるつもりだから大丈夫だろう。
自分の身の安全が保証されれば、とてもからかいがいがある人物だ。ギルベルトに言ったら怖いもの知らずだと引かれると思うが。
アーネストはリチャードの感情を知っているし、邪魔をするつもりもない。ただ、中々進展しないどころか、見ていると悪い方向に行っているようだ。だからお節介をすることにした。
これでも従兄弟には幸せになってもらいたいのだ。いつもたぬき爺や狐爺と腹の中を探り合うのは疲れるだろう。アーネストだったら絶対にしたくない。リチャードはいとも簡単に渡り合っているが、すごい才能だと思っていた。
従兄弟には癒しが必要だ。それがエレーナ嬢なのであれば、ちゃんと捕まえてもらわないと困る。
「──アーネストだけで行かせない」
睨みつけられる。
「…………なら先触れを出さないとな。さすがにリチャードが来るとなるとあちらも準備が必要だろう。貴方は王子殿下なのですからね」
すぐ求婚なんてありえないことなのに、嫉妬と不安が入り交じって冷静な判断が出来てない従兄弟。
にやにやしてしまうのが止められない。
軽々しい口調は他の人が見たら不敬だと思われてしまうので、人がいるところでは程々にしているが、2人の時はこれが普通だった。
リチャードも、アーネストの話し方は嫌いではない。こんな風に気さくに話しかけてくれる人は親しい者の仲でもアーネストくらいだから。
アーネストが封筒を差し出せば、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「やけに用意周到じゃないか」
「まさか! ただ持ち合わせにあっただけだよリチャード殿下」
こうなるように考えてここに顔を出したのだから当たり前だ。でなければ殺伐として、側近達が捌く書類の膨大さに嘆く、地獄のような場所に足を運ぶはずがない。
訝しげにリチャードはアーネストを一瞥して、さらさらと手紙を書き、封筒に入れて蝋を押そうとして思いとどまる。
流石に当主であるルイス公爵に許可を得ず行くのはだめだろう。確か公爵の今日の出勤時間は、ギルベルトと同じ時間のはずだ。そうなるとあと半刻程で出勤だ。
(訊ねてから出すか)
リチャードは封を押さずに懐に手紙を入れた。
そこに気の抜けるようなお腹の音が鳴った。
「アーネスト」
「いや、朝早くて何も食べてなかったんだ」
笑いながら頭を掻くアーネストにリチャードは嘆息を漏らした。