04.初めて知る事実(2)
誰だって思うだろう。この歳になって王族で婚約者がいないのはおかしいと。ましてや彼は王太子なのだ。花嫁を迎え入れない選択肢は有り得なかった。
だからきっと何か理由があって公表できていないだけなのだ。
隣国の王女様はまだ滞在しているらしいし。結局はそういう事だとエレーナは思っていた。
「……決まっている令嬢はいないよ」
クスリと笑いながら、リチャードはまるで妹にするようにエレーナの頭を撫でた。上から降りてくる手に反射的に目を瞑る。
小さい頃から見てきたから分かる。彼は嘘をついていない。その事に安堵している自分がいて、我ながら未練がましいなと感じてしまう。
「だけど────」
「え、今なんと……?」
続けられた言葉にエレーナは目を見開いた。
「慕っている令嬢はいるよ」
言葉はたちまち鋭利な刃物となってエレーナの心に突き刺さった。
感情が、表情が、急降下した。
自分で失恋を確信した時の悲しみとは比べられないほど、グッサリ刺さる。
自分は馬鹿だ。阿呆だ。間抜けだ。やっぱり慕うご令嬢がいるんじゃないか。一番近くでリチャード殿下のことを見てきたと思っていたけど、それはエレーナの勘違いで彼にはもっと親しい人がいる。
それを知ってしまって、信じたくなくて、今にも泣き出したい衝動を必死に抑え付けて、笑みを貼り付ける。
この国の中でリチャードと一番爵位と年齢が釣り合いそうなのはエレーナだった。何故なら近い年齢の令嬢達は既に婚約もしくは結婚していたからだ。
だからもしかしたら、奇跡が起きて、彼の婚約者になれるのではないかとこの歳にもなって、微かに希望を抱いていた自分に気が付き、恥ずかしくなる。
羞恥心と二度目の失恋に打ちひしがれ、表情を失いつつあるエレーナとは反対に、他の人には内緒だよと微笑むリチャードの温度差が激しい。
だが、幸いなことにエレーナは淑女教育の一環で、感情が表に出ないよう抑える教育を受けていた。そのことが功を奏し、彼女は普段より少しだけ表情が無くなる程度に抑えることが出来た。
エレーナは心の中で自分を叱咤する。泣いてはいけない。笑って、言葉を紡がなければ。
「隣国の王女殿下だと思っていましたのに、違う方が居たのですね」
純粋に、驚いているように、抱いている感情は表に出さないように、少し空元気な声を出す。
「隣国の王女ではないよ。あの方は少し事情があって通常よりも滞在はしているけど。それに僕の気持ちは父上も母上も知っているから」
「陛下と王妃様も知っているのにその御方を殿下はずっと待っていると?」
驚きだ。そんな鈍い令嬢がいるなんて。
「そうだね。ずっと気づいてもらえないからいい加減直接アプローチしようかなって。僕も周りもそろそろ我慢の限界だから」
周りと言うのはきっと後継者問題を心配している小煩い大臣たちのことだろう。そこまで言うのなら、慕う令嬢がリチャードの気持ちに気づいたら、即婚約が発表される。
そうなったら……笑顔でおめでとうございますと言えるのだろうか。いや、多分言えない。だって今でさえ泣き出しそうなのだから。
書類を握る手に力が篭もる。
「エレーナ!」
「あっお父様」
突然名前を呼ばれて、いつの間にか地面を見ていた顔を上げる。すると正面の扉が開き、中から出てきたのはエレーナの父であるルイス公爵だった。公爵は娘のエレーナに気づくと慌てて駆け寄ってきた。
「エレーナ、書類はあるかい!?」
「ええ勿論です。どうぞお父様」
すぐさま手に持っていた書類を渡す。
「ありがとう。これから会議なのだがこれがないと財務のログウェアルを納得させるどころか、逆に詰められるところだったよ……で、殿下は何故エレーナと?」
「レーナが道に迷っていたようだから案内を。レーナ、一週間後の王宮の舞踏会は来るよね?」
「行きますが……」
唐突に話題に出た舞踏会。そんなことを考える余裕なんて、リチャードの発言で身も心も滅多刺しにされた今のエレーナにはなかった。
だけど年に一回の王家主催の舞踏会だ。行かない理由はない。既に参加する趣旨の返信を両親が手紙で送っていた。
「そうか。ならよかった」
「よかった……とは?」
キョトンと首をかしげれば、殿下は「内緒」とだけ言ったのだった。