37.入浴と傷
押してくれているのはリリアンで、エレーナの隣をデュークが歩く。
「まず身を清めましょう。お湯を今温めていますので」
「うん。お願い」
いつもより視界が低いので顔を上げて答えた。
座ったり走ったりしたので全身が少し土臭い。
このまま自室に行ったら部屋を汚してしまうし、妥当な判断だと思う。
それに自分自身お風呂に入ってスッキリしたかった。
脱衣場に着くとデュークは外に控えていますと言って外に出ていった。代わりにリリアンと付いてきた数人の侍女が入浴の支度を始める。
ふわふわのタオルに、替えの服、湯冷め防止用の膝掛け。それを右にあった戸棚に侍女は置く。
「お手をどうぞ」
「ありがとう」
車椅子から降りて、柔らかいバスマットの上に立つ。そうすればあとは侍女が脱がせてくれる。着る時には時間がかかったドレスも、脱ぐのは数分で終わる。結わえていた髪が下ろされ、巻かれていた包帯も取られる。
その際にリリアンは顔を歪ませ、瞳に涙を溜めていた。グッと堪えるように目元を押さえたあと、何もなかったかのように仕事をこなす。
──まだ……気にしているのね。
主の身体に傷を作ってしまった事実は、エレーナが想像するよりもはるかにショックなのかもしれない。
オマケに傷が増えているのだ。なんだか申し訳なくなってくる。
だけど別にエレーナは怒っていないし、傷ついてもいない。他の令嬢ならばお仕置きをする人もいるらしいが、そんなことして何のためになるのだろうか。主従関係が悪化するだけだと他の人の話を聞く度にエレーナは思う。
浴室に入ればあたたかい湯気がエレーナを包む。猫足バスタブに身を沈めるのは、傷口に染みるからと禁止された。
石鹸の匂いと……入浴剤だろうか? バスタブの方から柑橘系の爽やかな香りが匂っていた。
普段よりは素早く入浴を終える。ゆったりとした寝間着に着替えたあと、リネン製のタオルで髪を拭きながら自室に向かおうとした。
「お医者様はもう来ているかしら?」
本当に入浴が終わるまで廊下で待っていたのか、部屋から出た瞬間現れたデュークに尋ねる。
「先程ご到着されました。応接室に案内しております」
「じゃあそのまま行くわ。あの方の前ならこのような格好でも大丈夫でしょう?」
柄が付いていない白いモスリンのワンピース。それが今のエレーナの服装だ。髪は乾かぬまま下ろしているし、お世辞にも客人の前にいけるような格好ではない。
けれどこんな夜更けに来てもらったお医者様は、お父様が子供の頃からずっと見てくれている方だ。エレーナにとって第2の家族のような人。別に見られてだめなものは無いし、わざわざ着替えるのはめんどくさい。
それにお医者様には定期検診で素肌を晒していたりする。恥じらうという面では今更でしかないのだ。
まだ乾ききっていない濡れている髪を弄ぶ。
「……今回限りですよ」
「いつもでもいいのよ?」
「馬鹿な事を言わないでください」
深いため息をつかれる。コンコンとデュークがノックして応接室の扉を開けば、白髪の多い、気の優しそうな老人が、持っていた薬品をテーブルに置いてこちらを見た。