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王子殿下の慕う人  作者: 夕香里
本編
30/134

30.逃亡

「っゴホッケホッ! はぁ」


「エレーナ様大丈夫ですか?」


駆け寄ってきたメイリーンに背中をさすられる。


「あっありがとう……ケホッ」


持っていたグラスをテーブルに置いて、差し出されたハンカチを受け取り、口元を押さえる。少し手袋に果実水が付着してしまったが、ドレスは見たところ無事のようだ。


しばらく咳をしていると落ち着いてきた。


「ごめんなさいね。ハンカチ洗ってお返しするわ」


「気にしないでください。それ安物なのでエレーナさんに差し上げますね。お嫌でしたら捨ててください」


(ずいぶんあっさり言うのね)


不思議に思ったが、彼女は屋敷の外にあまり出なかったと聞いている。

もし、その噂が本当ならば他の人と会う機会も少なかっただろうし、少し変わっているのもおかしくないのかもしれない。


(安物……には見えないのだけど)


口元を押さえていた事によって、エレーナの口紅が移ってしまった真っ白なハンカチ。広げてみると光沢があり、手触りから蚕の繭から採れるシルクが素材のようだ。


貴族からすれば大したことないが、品質が一番下のシルクでも市井ではそこそこの値段がする。

小さい頃から品質の見分け方を叩き込まれ、目利きができるエレーナから見れば、これは最高品質に準ずるもの。


おいそれと人様に渡せるハンカチでは無いはずだ。


「そんな事言われてもきちんと綺麗にしてお返しするわね。だってこれ……とても繊細な刺繍が入っているもの」


隅の方にポインセチアと葉が描かれている。特に葉がぐるりとポインセチアを囲んでいるのが、個人的に好きだ。


「そんなっ! 大丈夫ですよ。その刺繍は家にいて暇で暇で仕方なくて私が刺したものですし、大それたものでは無いので」


顔の前で手を振って苦笑するメイリーン。エレーナはその言葉に驚いた。


(メイリーン様が作ったの?)


そんなこと言われても、手元にある刺繍入りハンカチの出来栄えは、手先の器用さを羨ましく思ってしまうほどだった。その道の職人が作ったと言っても十中八九、人は信じるだろう。


貴族の嗜みとしてエレーナも刺繍は手ほどきを受けていて、人様に見せても恥ずかしくないレベルではある。

だけどメイリーンの作品は、自分の作品と比べることもできないほど天と地の差があった。どんなに努力しても越えられなさそうなくらい。


「貴女がそう思っても、私からしたら素晴らしいのよ」


心の底からの本音だ。


「……ありがとうございます」


少し間を置いて萎縮しながらメイリーンは言った。


意識半分にそれを聞き、エレーナはハンカチを握りながら別のことを考え、実行しようとしていた。


そろそろリチャードが戻ってくる気がする。廊下で鉢合わせを喰らう前に、最低でもこの階からは移動しなければならない。


(よし、これならいける!)


軽く脳内シミュレーションをして、息を吸って吐く。そして念の為、わざとグラスの縁に付いていたエレーナの口紅を手袋で拭う。


「──あっ! 手袋が汚れてしまっているわ……少し席を外してもいいかしら? 水にさらして軽く落としたいから」


なるべく違和感がないように言葉を紡ぐ。サッと手袋を脱いで後ろに隠してしまえば、メイリーンには分からないだろうし、手出しができない。


第一、本当に汚れているのだから嘘は言ってない。


「大丈夫ですか……? 王宮の侍女をお呼びしましょうか……おそらく近くに配置されているので」


「必要ないわ。それに私、人に自分の物を預けるの嫌いなの」


心配してくれているメイリーンに対して、良心の呵責が生まれる。人に物を預けるのが嫌いなのでは無い。それはこの場を立ち去る口実だ。


申し訳ないなと思いつつ、やはりエレーナはリチャードを待つなんてできない。したくない。やらない。


自分から針の(むしろ)に喜んで飛び込んでいくほど、心は強くない。むしろ弱い方だ。


「すぐに戻って来ますから」


勿論戻ってくるつもりなんてない。


何かを言われる前に部屋を飛び出す。後ろから声がかかったような気が……ううん、している。しかしエレーナが立ち止まることはなかった。


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