20.祝福のことば(2)
酷く狼狽しているリチャードを、母親である王妃──ミュリエルは口元が緩んで仕方なかった。
小さい頃から息子は基本的に何も欲しがらない。文句を言わない。興味を持たない。
言われたことはソツなくこなし、周りの大人達の意図を察する能力も素晴らしい。相手の思考を読んで先回りして行動することも少なくなかった。それは一部の教師から気味悪がられるほど。
だから息子が陰で諸々含めて〝氷の貴公子〟だと揶揄されているのを聞いて、実に的を射ていると名付けた人物を褒めたかった。
おもちゃに無反応の赤子だった頃は、
誰に似たのか?
本当に大丈夫なのか?
感情が欠落しているのか? と心配したが、初めてエレーナを紹介した際の息子の表情を見た時、杞憂だったのだと理解した。
あの日をミュリエルはよく覚えていた。風の中に夏を感じさせる春の時期を。
ヴィオレッタと庭園に現れたエレーナを、視界に捉えると息子は固まった。
そして母であるミュリエルに「母上あの令嬢は誰ですか? 名前は?」と矢継ぎ早に聞いてきた。
普段は何にも興味を示さない息子が、初めて真剣な目をして質問した瞬間だった。名前を伝えれば自分から駆け出して行った。
ミュリエルは嬉しかった。安堵した。我が子はちゃんと心を持っていたのだと。ようやく感情を隠さずに出せる相手を見つけたのだと。
そして今までの興味のなさの反動が、いや、他の物に興味を持つはずだった分がエレーナに注がれていくのを目の当たりにしてきた。
エレーナはそれが珍しいことなのだと気がついていない。普通よりも距離感が近すぎるのに、それに慣れてしまっているから。
だから彼女にとっての息子は、いつも優しい人という印象なのだろう。本当は違うけれど、良い誤解だと思ったので、誤解を解いてあげようとは思わなかった。
色褪せることない、思い出が増えていくようにミュリエルは会う場所を与えた。 微笑ましい二人を夫やヴィオレッタ、時々ルドウィッグと一緒に陰ながら見守ってきた。
唯一息子が慈しみ、愛し、可愛がって、何かあると慌てて。放たれた言葉に一喜一憂し、手元から手放そうとしない特別な存在。
そんな唯一無二のエレーナを傷つけたと思い、凍りついている哀れな息子にミュリエルは助け船を出すことにした。
『──ヴィオレッタがエレーナに祝福の言葉を……とお願いしたのに、貴方一言も言わなかったのよ。どうせ聞こえてなかったのでしょう? 早く言ってあげなさい』
ミュリエルの言葉を聞いてリチャードは呼び掛ける。
『レーナ』
ハンカチを取り出して優しく涙を拭き取る。
『はい』
澄みきった金の瞳はいまだ不安げに揺れている。
『ごめんね。不似合いだから何も言わなかったんじゃなくて、とても可愛くて……綺麗すぎたからなんだよ。言葉に──表せないほど』
本心だった。そうでなければ余程のことで固まったりしない。
リチャードにとってはまだ小さなか弱い天使。
何度もエレーナのデビュタントを想像したが、現実の彼女はそれをゆうに超えてくるほど愛らしい。
『デビュタントおめでとうレーナ。今日の君はとっても素敵だよ。世界で一番可愛い』
仮面を投げ捨てて、といっても元よりエレーナの前ではそんなものは無かったが。
リチャードは祝福の言葉を送った。