16.小さな天使
エレーナがリチャードと踊ったのは初めてではなかった。
過去に一度だけあったのだ。
それもエレーナから誘ったのだが、ヘマをして結局リチャードに助けて貰ったような感じで。
それは自分がデビュタントだった十三歳のときのこと。あの日はデビュタントと花嫁だけが着ることを許される純白のドレスに身を包んでいた。
初めて行く舞踏会に、自分が社交界にデビューする。その事にエレーナはとても興奮し、指を折って日程を数えるくらい楽しみにしていた。
王宮に着くまで馬車の中では「まだ? まだつかないの? 私早く行きたい!」と瞳を輝かせながら王宮を見つめ、両親から微笑ましげに見られる始末。
着いたら着いたで、はしゃぎすぎてヴィオレッタに窘められ、謁見の間にいる両陛下に挨拶に行く。
『あら! 今宵はレーナちゃんもデビュタントなのね! おめでとう!』
『ありがとうございます。ミュリエルさま』
無垢な笑みはいつにも増して可愛く、愛らしい。着慣れていない裾の長いドレスに覚束無い足取りで、両親と手を繋ぎながらミュリエルの方に歩いてくる。
ミュリエルはその笑顔にたちまちやられてしまった。
『可愛いわぁ……! ほんとに可愛い! ヴィオのセンス完璧よ』
『ありがとうエル』
ミュリエルに手を差し出されて、ヴィオレッタは握る。するとブンブン上下に振られた。どうやらとても興奮していて、感情の制御が出来ないでいるらしい。
このようにヴィオレッタの友人──ミュリエルはまるで自分の娘のようにエレーナを可愛がってくれていた。
産まれた時の御祝いはもちろんのことで、ことある事に理由を付けてヴィオレッタを王宮に呼び出し、レーナちゃんを連れて来てと言う始末。
このままいけばエレーナを王家に……と言われるのも、時間の問題だとこの頃からヴィオレッタは思っていた。
そして今夜は愛娘のデビュタント。
周りの貴族に自分の子供を紹介する場所で、財が有り余っているルイス公爵家がお金を注ぎ込んでドレスを作らないはずがない。
生地はルドウィッグが、デザインと装飾品の併せはヴィオレッタが、侍女と一緒にそれはそれは何ヶ月も前から丹念に準備していた。
あれでは無い、これではない、一旦完成しても違和感があれば作り直すよう命令した。エレーナがその場に居なくても、ヴィオレッタは一人で職人呼び、指示を出した。
それは気が滅入るほどの細かい指定で、裁縫職人が夢の中で魘されるほどである。
ヴィオレッタは日に日に目の下のクマが濃くなる裁縫職人を気の毒に思った。だが、それによって妥協できるはずもないので見なかったことにした。
最高品質のシルクで作られたドレスの手触りはとてもなめらかで、やわらかさの中に重厚感と独特の光沢を出している。加えて目を細めないと分からないほど細かい花々の刺繍が施されたスカート部分は繊細で可憐。
前の刺繍はもちろんのことだが、背中は大ぶりの白百合のコサージュと、そこから流れるようなリバーレースのシルクオーガンジーのトレーン。
頭には小ぶりのティアラを載せている。
ミュリエルにはめいいっぱい着飾ったエレーナが、白に包まれた愛らしい小さな天使にしか見えなかった。リドガルドも思わず「なるほど。これは……」と声を漏らしてしまうほど。
もはや周りが見えていないミュリエルは、立ち上がってエレーナの元に来てしまう。膝を折って中腰になったと思ったら、ギュゥゥッとエレーナを抱きしめた。お付きの者が窘めに入ってもガン無視する。
『え? あっ』
突然のことに動揺が隠せないエレーナは両親に縋るような視線を送る。そんな娘にヴィオレッタは「そのままでいなさい」と目だけで言った。
『あっあの……これ……ミュリエルさまに』
ハッと思い出したエレーナは、抱きしめられて身動きが取れない中、慌てて手に持っていた物を差し出す。
それはデビュタント達が王妃に渡す花束だった。白で纏められ、霞草、百合、胡蝶蘭、紫陽花の花が使われたそれは黄色のリボンで結ばれている。
『ありがとう~~!』
頭を下げながら、一生懸命手を伸ばしてミュリエルに渡すエレーナ。彼女は満面の笑みで宝物のように受け取った。
この時点でいつもの姿からは想像ができないほどミュリエルはデレデレになっていた。彼女の頭の中は「友人の娘が可愛い無理尊い」で占められている。
そんな様子の王妃を他の貴族が見たらとても驚くだろう。
現に王妃付きでは無い騎士や侍従達は、目を疑っていた。これが王妃殿下なのか? 普段と全く違うじゃないかと。
反対にお付きの侍女は見慣れているので静かに控えている。というかまた始まったと考えていた。
毎年数が多すぎて処理しきれない花束。いつもは廻廊等に枯れるまで飾っておくのだが、友人の娘で一番のお気に入りの子から貰った物だ。ミュリエルの中で大切にしない理由がなかった。
彼女は小さな花束をドライフラワーにして永久保存することを決めた。それはエレーナが十七歳になった今でもミュリエルの自室に大切に保管されている。