16.大切だから(2)
「どうして笑うの……! 真面目に話しているのよ」
「ええ、分かってるわ。分かっているのだけど、なんというか……殿下はますます過保護になっているのね」
瞳に浮かんだ涙を拭きながらエリナは言う。
「そうみたいだわ。もうね、一人でいる時間が無いに等しいのよ。だから私もたまにはリー様が執務している間に一人で庭園を歩きたいって伝えたのよ」
「それで?」
「──却下されたわ。前、私がこっそり一人で散歩して倒れたからって」
その日は吐き気が収まらず、気分転換に外の空気を吸おうと誰にも告げずに自室を抜け出したのだ。そもそも部屋の眼下にある場所が中庭なので、私室からは目と鼻の先。誰かに行き先を告げなくとも平気だろうと思ってしまったのだ。
結果は最悪。中庭で貧血と寝不足による立ちくらみで倒れたところを発見され、リチャードにはもちろん叱られ、ミュリエルにも心配をかけてしまった。
これは完全にエレーナが悪く、自分の考えが甘かったと猛反省しているのだが……。
(護衛をつけてもダメって言われるんだもの)
エレーナの行動範囲はリチャードの目の届く範囲までに縮小していた。目の届く範囲とは比喩ではなく、言葉通りだ。つまり、本当に、リチャードの視界から片時も外れることを許されないのである。
その話をエリナにすると、彼女はまた笑い出す。
「じゃあ、殿下と一緒に外に出ればいいんじゃない?」
「今、彼は忙しいの……」
きっとお願いすれば快く付き合ってくれるだろう。だが、執務の邪魔をしたくないのだ。ただでさえ自分が体調不良で執務を行えず、その分が彼に回っている。
申し訳なく思い、エレーナも印を押すくらいはしようと書類に手を伸ばせば、没収されてしまう。
──よく食べて、よく寝て、安静にする。
主にリリアン、メイリーン、リチャード。たまに泣きそうなギルベルトから口を酸っぱくして言われる。
ギルベルトの場合はエレーナの心配よりも、主であるリチャードがエレーナの体調によって執務を放棄するのを防ぎたいからだろう。
つわりがいちばん酷かった時期なんて、エレーナが起きている時間は常に隣にいて、眠っている間に書類を捌き、外出しなければならない公務は全て予定を変更させていた。おかげで彼の側近であるギルベルトが埋め合わせのために死ぬ物狂いで働いていた。
「殿下ならそんなこと気にしないと私は思うわ。むしろ作業効率が上がると思う」
「そうなのかしら。元々の執務量が私の比ではないから……」
下手したらエレーナの通常の量の三倍くらいをこなしている。うだうだと言い訳を口にするエレーナに、エリナは呆れた眼差しを向ける。
「ねえレーナ、話を聞いている限り、殿下の行動はちょっと重たすぎるきらいもあるけれど、殿下が頑ななのはきちんと理由があってのこと。貴女の体を心配して強く言ってるのよ。最近はそうでもないけれど、私から見ても痩せすぎだったし、いつ倒れてもおかしくないと不安だったから殿下の心情もよく分かるわ。だから今回は貴女が譲歩するべきだと思うわ」
エリナに諭され、しゅんとしてしまう。
「そうよね。頭ごなしに否定されてついカッとなってしまったの。私が悪いわね」
「……あの、私から一言よろしいですか?」
ここまで二人の話を聞き役に回っていたリリアンがおそるおそる手を挙げる。
「殿下は今回の件で大切に思うあまり、エレーナ様の気持ちを尊重せず、押しつけてしまったことを反省されています。今日私がここに寄越されたのも、エレーナ様がご満足されるまで公爵邸に滞在を許可するという言伝と、身の回りの世話をしてあげてほしいと。後ほどメイリーンも参ります。それと……」
そこまで話して、リリアンは少し言いづらそうに目を伏せる。
「それで?」
「殿下はエレーナ様が王宮に戻るかどうかはエレーナ様の意思にお任せするとのことです」
その言葉に、エレーナは思わず息を飲んだ。
リチャードがそんなことを言うなんて。最近の彼を考えれば、すぐに迎えを寄越して無理やりでも連れ戻そうとするはずだし、彼にはそれが出来るのに。
「……そうなると私は帰らないわよ? まだ許していないもの」
頬を膨らませながらも、彼の変化が嬉しくないわけではない。ただ、ここで安易に許して戻るのも癪だった。
そんなエレーナの気持ちを察したのか、エリナが小さく笑う。
「正式な許可がでたのなら、しばらくは実家でのんびりするといいわ。せっかく公爵邸に戻ってきたんですもの、久しぶりに家族に甘えてもいいんじゃない?」
「……そうね」
エレーナは少しだけ考え込むように視線を落とし、ゆっくりと頷いた。
「リリアン、リー様に伝えてちょうだい。私はもう少しここで過ごすつもりだって。でも、私に何か弁明したいことがあるのなら、聞く用意はあるから公爵邸にお越しくださいって」
「かしこまりました」
リリアンは深く頭を下げた。
(……リー様はどんな顔をするのかしら。話したいことがあるならこっちに来てと上から目線で呼びつけるのはやりすぎかもしれないわ……。ただ私も言い過ぎてしまったけど、やっぱりリー様も悪いと思うの。これくらい許されるわよね?)
──と、ちょっぴり罪悪感を抱えながら久しぶりに家族との団欒を楽しむことにしたのだった。