14.ふたりが3人になった日(4)
王宮のエントランスに一台の馬車が横付けされる。御者が馬車の扉を開け、降りてきた人物にエレーナは微笑みかけた。
「リー様お帰りなさいませ」
人目も気にせずエレーナをふわりと抱き上げたリチャードは、そのまま愛しい妻の唇を奪ったところで違和を持つ。
「レーナ、もしかしなくとも痩せたかい?」
ぱちぱちと瞬きをしたエレーナは口元を緩めた。
(もうっ早すぎるわ)
これでは驚かす所では無い。
「あら、バレてしまいました。見抜かれないと思いましたのに」
こてんと首を傾げ、ふふっと笑い声をあげる。
大好きな夫はエレーナのことになるとどんな些細な変化でもあっさりと気づいてしまうのだ。
(それでもまださすがに妊娠には気づいてないようだけれど)
お腹の膨らみは僅かだ。エレーナでさえ、体型の変化に気づかないほどなのだから。メイリーンに指摘されてようやくもしかしたら……? となるくらいだ。
まだまだ腹に子がいる自覚はないのだが、今までよりもぐったりとしている日が多くなり段々と身体は変化している。
「どうしてだい? ただでさえ細いのに、手に取っただけでも折れてしまいそうだよ」
「教えてほしいですか?」
「もちろんさ」
「なら、まずは下ろしてください」
地面に足を着けたエレーナはくるりとその場で回った。それをそばに控えていたリリアンがハラハラしながら見守っている。おそらく、足をもつれさせて転ばないか心配しているのだろう。
「どうです? 気づいたことありませんか」
「初めて見るドレスだね。似合ってる」
上から下まで真剣に妻を見つめていたリチャードは神妙そうな面持ちで答えた。
「それ以外で他には?」
「レーナがいつにも増して美しい。キスしたくなる」
そしてまたエレーナの唇を奪ってくる。
「もうっ! そういうことじゃないんです!」
エレーナは顔を真っ赤にしながらポカポカとリチャードの胸を叩いた。
そんな夫婦喧嘩と呼ぶには程遠い、睦み合う二人に出迎えた他の侍女や文官たちはメイリーンとリリアンを除いて退散する。
「リー様は鈍感だということが分かりました」
何も知らないリチャードにドレスで隠れている腹の膨らみを見抜けというのは理不尽であったが、エレーナは頬をふくらませて夫の腕に自身の腕を絡ませた。
「お外は暑いですし早く中に入りましょう」
そうして眉間に皺を寄せたままぐいぐいと宮へ足を踏み出すエレーナに、リチャードは慌てて声をかける。
「レーナごめん私が悪かったよ。本当に分からないんだ。正解を教えてくれないかな」
「では、このドレスの構造を考えてくださいませ」
もう一度リチャードはエレーナの服装に目を落とす。リチャードが視察に行っている間に購入したものなので彼は知らないはずだ。
「…………締め付けが少ない……?」
断言はできないみたいだ。顎に手を当てて考え込んでいる。
「それで?」
促すとピタリとリチャードの足が止まってエレーナはますます口元が緩みそうになる。彼が真実に辿りつくのはもうすぐだ。
普段、これよりも難題な執務をそつなくこなすのに、真剣に悩んでいる夫が面白くてくすくすと笑ってしまう。
「普段のレーナならリボンは腰に巻いている。けど今日のドレスでは胸の下で腹部が圧迫されないようにな────」
はっとリチャードは息を呑む。錆び付いた機械がそれでも動き出すような音が聞こえてくるくらい、ぎこちなくエレーナに向く。
もう一生見ることは叶わないような反応に、声を上げてエレーナは笑った。そうして眦に溜まった涙を拭って上目遣いに愛しい新たな命を告げるのだ。
「もう一人、私達に家族ができるとしたらリー様は喜んでくださいますか?」
懐妊が発覚した当初、エレーナは如何にリチャードを驚かせるか日夜計画を練っていたのだが、そんなことに時間を取るくらいなら迎えた時にいち早く知らせたいなと思い、結局何もせずに伝えようと決めたのだった。
それにエレーナがサプライズを計画したら、きっとそこに辿り着く前に勘づかれてしまい、ここまでの反応は引き出せなかっただろう。
たっぷり数十秒。いや、一分は経っただろうか。リチャードは盛大なため息をついて顔を覆った。
「レーナ、ここで言うことじゃないよ……」
「ごめんなさい。帰ってきたらすぐに教え……──ひゃあ!」
途端エレーナはリチャードによって抱き抱えられた。
「り、リー様?」
「歩いたら転ぶ可能性があるだろう? もし転んだら、赤子にも影響が出てしまう。抱き抱えた方が安心出来る」
リチャードは続ける。
「出迎えてくれたことは本当に嬉しいよ。けど、君とお腹の子の方が大切だ。こんな暑いところに居させられない。早く涼しい部屋に移動しなければ。メイリーン」
「はい」
「寝室は適温かい」
「もちろんです。それとエレーナ様のご体調についてお伝えしてもよろしいでしょうか」
「それは重要だ。余すことなく教えてくれ」
「め、メイリーン?」
縋るようなエレーナの視線にメイリーンはすまなそうに目尻を下げたが、次の瞬間には躊躇なく裏切った。
「リチャード殿下が着いて早々エレーナ様の体重についてご指摘されましたが、主治医によるとエレーナ様のつわりは一般的なものよりも重たいようです。この数週間、食事の度にほとんど吐かれてしまい……なのに元気だと言って青白い顔で執務をこなそうとするので全員でお止めしている状況です。昨日も私が目を離した途端、無理をしようとして倒れました」
(あっそれは言わない約束!!)
絶対に心配するから内緒ねとお願いしたはずなのに。恐る恐るリチャードを見上げると冷たい声が降ってくる。
「へえ」
すうっと目が細められた。
「だからこんなにも軽いんだね。私が一日中そばにいた方がいいかな」
(ほらこうなるじゃない!)
「メイリーンの話には少し語弊があるわ! 私全然元気よ?」
「──メイリーン」
「エレーナ様のお言葉は現状あてになりません」
「ならレーナ、しばらく寝台から下りるのを禁止にするね」
「えっ」
リチャードはにっこりとエレーナに微笑みかけるが、その瞳は笑ってない。
彼は本気だ。これはまずいと必死に頭を働かせる。
「う、運動! お腹の子のためにも適度に歩くのは必要だと思うの! 庭園の散歩くらいはいいでしょう?」
「考えておくよ」
ああこれは許してくれないタイプの「考えておくよ」だ。
そのまま足早に寝室に急ぐリチャードの背からメイリーンに恨めしげな視線を送る。けれどもメイリーンはリリアンと顔を見合せて、笑顔で「諦めてくださいエレーナ様」とリチャード側に立ってしまう。
(み、味方がいないわ……)
この場には居ない義母のミュリエルも、こればかりはエレーナに付いてくれず、むしろリチャードに賛同するだろう。今も張り切ってエレーナの分の公務などをこなしてくれていた。
(うう……どうしてこんなことに)
心配してくれるのは嬉しい。嬉しいのだがいつにも増して過保護に拍車がかかっている。抵抗も虚しく、そのまま寝台に下ろされその日は一歩も歩くことを許してもらえなかった。
十月十日。こうして色んな人に見守られながら、エレーナは新たな家族を迎えることとなるのだった。