14.ふたりが3人になった日(2)
「吐き気があると聞きました。他に何か体調に変化は?」
エレーナの手を取り脈を測りながら侍医は質問していく。
「日中の眠気と体のだるさかしら」
侍医の診察の手が止まる。
「…………つかぬ事をお聞きしますが」
「何かしら」
侍医は、前置きを置いて部屋の外にいる騎士達に聞こえないよう声のトーンを落としてとあることを尋ねてくるのだ。
「ええっと……そんなの先月来たに決まって」
何故そんなことを聞いてくるのか分からず、首を傾げながら指を折って数える。
それに対してリリアンとメイリーンはいち早く何かを悟ったらしい。心配そうだった表情から、嬉しそうに頬を紅潮させ始めていた。
「あら、記憶が無いわ」
おかしい。たまに周期が乱れることはあったものの、こんなに長い時間来ない時期はなかった。
「王太子妃様、本当に来てないのですね」
「多分……寝不足かと思ったけど、そのせいで体調が悪いのね。どうすればいいかしら」
「落ち着いてください。事が事なのでもう少し詳しく診察させて頂いてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんよ」
神妙な面持ちで侍医が話すので、エレーナは悪い病気なのかと思い、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「では失礼します」
もう一度脈を測り、仰向けになってお腹の辺りを触られ、熱があるか計られる。
「王太子妃様」
「はい」
「最終確認です。眠気、食べると吐き気、それと……月の障りは来ていない。これらは確かですね?」
真剣な目付きで問われると不安になってしまう。
「間違いないですが。あの、そんなに深刻で?」
「いいえ。どうやら今日は素晴らしい日になるようです」
目の前の侍医は神妙な面持ちが一転して満面の笑みを浮かべ、頭を垂れる。
「──おめでとうございます。ご懐妊ですよ」
侍医が告げた言葉に歓声が続いた。隣にいたリリアンはメイリーンと手を取り合ってその言葉を繰り返したのだ。
「エレーナ様! 懐妊ですって! おめでとうございます!」
ポカンとしているのはエレーナただ一人で。
「か、懐妊? 誰が?」
「王太子妃様ご自身でございます。二ヶ月は経っておりますね」
「わ、わ、わたし?!」
何を言っているのかは理解出来る。ただ、頭の中はパニックだ。
「初めての妊娠で不安なこともあるでしょうが、全力でお支え致しますのでご安心を。妊娠初期は流産しやすいのであまり無理な行動はなさいませんよう」
エレーナの挙動不審を不安からだと受け取られたらしい。安心させるように手を握られ、さすられる。
「いや、待って、え、あ」
「こうなったらリチャード殿下にお伝えしませんと! すぐに書簡をお送りいたします」
リリアンが意気込み、駆け出しそうだ。
(ああ! まずい!)
「だっ、ダメっ! それだけはだめ!」
嬉々として部屋を出ていこうとするリリアンを反射的に引き止めると、歓喜の声がピタリと止み、一瞬にして静かになる。
「エレーナ様、これを報告せずに何をしろと仰るのですか? まさか、殿下が帰ってくるまでお伝えしないおつもりで?」
「そうよ。考えてみて。リー様は絶対、組まれている行程をなかったことにして帰ってきてしまうわ。貴女たちも想像が着くでしょう?」
夫であるリチャードは今、王宮に居ない。
彼は一ヶ月の日程で地方や外国の視察をしている最中で、ちょうど今は他国の視察をしているところだろう。
視察に行くということはエレーナを連れていかない限り一ヶ月会えないということ。その事もあって、リチャードは最初視察に行くことも前向きではなかった。
加えて国内の視察だけならまだしも、リチャードの預かり知らぬところでいつの間にか国外まで訪れる日程になっていたのだ。
事前に伝えてると潰されてしまうことをよく理解していたギルベルトを筆頭とした側近達は、先に相手国に書簡を出し、リチャードの外堀を埋めたのだった。
それだけ絶対に行かないといけない理由があったのだが、諦めきれないリチャードを宥められるのはエレーナしかいなく、送り出すことがどれだけ大変だったか……。
そんなところに入ってきためでたい話題。しかも誰もが待ち望んでいた初子である。これを機に彼が帰ってくるのは容易に想像がつく。ギルベルト達がそれを止められないことも。
「…………絶対に帰ってきますね」
「うん。私もそう思う。それに──」
お腹に手を当てる。当たり前だけれど、膨らみはまだない。
「妊娠初期は流産しやすいって聞いたことがあるわ。もしかしたら彼が帰ってくる前に流れてしまうかもしれない」
出産とそれに連なるものは命懸けだ。どんなに腕の良い医者が診てくれていても、途中で子が流れてしまうことはよくある。
「そんな不謹慎なこと言わないでくださいっ! 大丈夫ですよ」
「でも事実としてあるでしょう? ぬか喜びはさせたくないの」
お願い、と顔の前で両手を合わせる。
「分かりました。それに関してはエレーナ様に従います。ですが王妃様にはお伝えしませんと」
「そうね」
娘のようにエレーナを可愛がってくれるミュリエルのことだ。きっと彼女も自分のことのように喜んでくれるだろう。
「私から報告に行くわ。リリアン、お会い出来るか尋ねてきてもらえるかしら」
「かしこまりました」
リリアンが部屋を退出する。
「ねえ、侍医」
「はい、如何致しましたか王太子妃様」
「あの……ね、ほんとうに腹に子がいるの? 風邪ではないの?」
怠さと吐き気は普通の風邪でも出る症状だ。未だに信じられない。
「いますよ。きっともうすぐお腹も膨らみ始めるでしょう」
優しく諭すように侍医は言う。
そこで扉が大きく開かれる。リリアンが戻ってくるには早すぎる。一体誰だろうかと目を向けると、大慌てで入室してきた人物を制止する声が響き渡った。