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王子殿下の慕う人  作者: 夕香里
番外編
120/134

11.ぬくもりとともに

 カーテンの隙間から寝台に陽の光が注がれる。


「朝か」


 元々眠りが浅いリチャードはそれだけで夢から覚醒する。少し眩しさを感じつつ瞳を開ける。するといつもと違うことに気がついた。


 自分の胸元にもう一人、温もりを共有している寝顔がある。一瞬何故だろうかと驚き、身を強ばらせるが誰なのか分かると力が抜けていく。


「そうだ。レーナはもう私の妻なんだね」


 ふっと微かに笑いながら小さく呟いた言葉は、二人しかいないこの穏やかな空間に溶けていった。


 昨日、周りに見守られながら伴侶になる誓いを立てたエレーナが、すぅすぅと安らかな寝息を立てながら自分の胸の中で眠っている。


 リチャードは彼女を起こさないように体を離し、上半身を起こした。


 窓を閉め忘れていたのか、小鳥のさえずりが聞こえてくる。太陽の位置からしていつもより寝すぎたようだ。といっても普段の朝が早すぎるのであって、時計を見ると一般的な起床時間だった。


 他に物音がしないことから侍女達が外に控えている気配もない。どうやら初夜ということで気を利かせてくれたらしい。


 喉の乾きを覚え、寝台の隣に置いてある水差しを手に取る。カランコロンと氷がぶつかり合う音。欠片が水と一緒に注がれる。


 冷やされていた水はすぐコップに結露を生み、それを持つリチャードの体温も奪う。一杯、喉を鳴らしながら飲み、コップを水差しの横に置いた。


 ふぅと息を吐いて今日の予定を確認する。


 結婚したからといって執務を休むことは出来ない。しかも普通の執務に加えて、婚姻に関わる書類等が重なるので捌く量は必然的に増える。


 今日もギルベルトが来たら山のように書類を積まれるはずだ。


 忙しいには忙しいが、嬉しい悲鳴だ。あくまでもリチャードの中では。

 強いて言うならば、今日くらいは休みたい。一日くらい愛しい妻といることを許して欲しい。


(ギルベルトに泣き付かれるから無理だろうな)


 一旦寝台から降りてクローゼットに向かう。そして着替えを済ませてようやく辺りを見渡した。


 いつもと何ら代わり映えしない。


 天気、空気、調度品。


 ただ、リチャードの左手にはエレーナとお揃いの指輪が光っている。

 



 そして寝台にいる彼女の存在だけが昨日と違う。

 



 その変化にリチャードは無意識のうちに頬が緩んでいた。


(妻……何だよな私の)


 リチャードがエレーナの寝姿を見るのは初めてではなかったが、片手で数えるほどしか見たことがない。

 今までは貴重な体験で、これからは当たり前になるはずの光景。その幸福を噛みしめるように味わう。


 存在を確かめるように、彼女の左手の指輪に触れた。


(可愛いな)


 端に腰かけて数分眺めているが彼女は起きそうにもない。穏やかな眠りについている。

 何時間でも眺めていられそうなその愛らしい姿に、リチャードは欲が出てしまった。


 エレーナに手を伸ばす。そのまま絹糸のような髪の毛のひと房掬えば、さらさらと手の中からこぼれていく。


 感触が気に入ったリチャードはその後も掬う動作を何度か行い、その度に髪に口づけをした。

 すると一部が陶磁器のような彼女の顔に落ちる。


 髪を払おうとリチャードは起こさないようにゆっくりと頬に触れた。


「んぅ」


 ぴくりと動き、掠れた甘い声が彼女から漏れる。

 起こしてしまったのか不安になったが、瞳は閉じられたままだ。


(危ない)


 そう思いつつも彼女の頬は柔らかく、もっと触りたい衝動に駆られる。



 ──触るか触らないか。



 心の中で押し問答をし、最終的にリチャードは欲に負けた。一度だけなら起きないだろうと手のひらを彼女の頬に滑らした次の瞬間だった。


「ふふっつめ……たぁ……ぃ」


 蕩けたようで、舌っ足らずで、甘えるような声が自身の耳に届いた。


 寝惚けているのだろう。秋に差し掛かったといってもまだ気温は高い。


 コップで冷やされたリチャードの手が気持ちいいのか、手を離す前に捕まり、頬にすりすりと擦り付ける。

 

 リチャードにとって彼女がする仕草は全てが可愛いのだが、これは破壊力が凄い。

 人よりは感情を隠すことに長けている自分でもうっすらと頬が赤くなり、隠す必要も無いのに口元を覆う。


(起きてるのか? 違うよな……まったく、私が悪いがこれは反則だよレーナ)


 リチャードの手はもうぬるくなっていたが、エレーナは両手で自分の手を包み、頬に擦り寄せ、幸せそうにふやけた表情をしている。


 自分にとって天使の微笑みだ。可愛くて可愛くて仕方がない。

 これが毎日見れるなんてなんと幸福な事だろうか。彼女が起きていたら、間違いなく唇を奪っていたことだろう。


(これ、離そうとしたらどうなるかな)


 悪戯心が働いて手を解こうとすれば、甘えるようにか細く喉を鳴らし、少しだけ両手に力がこもる。


 彼女は自分より五歳も年下だが立派な淑女である。なのにそこだけを見るとまだあどけなさが残っていて、まるで──行かないでと言っているかのような仕草に心臓が高鳴った。


 リチャードはポスンっと音を立てて頭を寝台に埋めた。

 そうして同じ高さからエレーナの寝顔を眺める。


(きっとここに従兄弟であるアーネストがいたらここぞとばかりにからかわれるな)


 想像してリチャードは笑う。そうしてこの穏やかな時間が永遠に続けばいいのにと思ってしまう。けれども、幸福な時間は緩やかに終わりを告げた。


「いま……なんじ……?」


 瞼を震わせたが瞳は閉じたまま、掠れ気味にエレーナは尋ねる。


「──朝だよ。起きるかい? まだ眠るのならそれでもいいけど」


 そっと耳元に囁く。


「ううん、リリアン……まだねむ……く……て」


 言いつつも微睡みの中から少しだけ抜け出したらしい。リチャードをいつも彼女に仕えている侍女と間違えたエレーナの瞼が微かに開き、濡れた黄金の瞳が見え隠れする。


「そうか。ならおやすみ。私は執務があるから起きるよ」


 寝台に広がるなめらかな髪を掬う。


 リチャードは顔を近づけ、愛しい新妻の唇に優しく、啄むような口づけをした。

 途端、見ていて面白いほどエレーナは大きく目を見開く。


「っ!??? で、でんっ、リーさ……ま!?」


 至近距離にあるリチャードの顔と己が包み込んでいる手が誰の物なのか、そして今何をされたのか。


 昨日これでもかというほど口づけをしたのに、まだ慣れていないらしい。


 唇に触れ、ずささっと後ろに後退したエレーナが寝台から落ちそうになるのでぐっとこちら側に引き寄せた。

 ぽすんっと音がして華奢な身体がリチャードの胸の中に収まる。


「ごめんなさい、あのっ、驚いてしまって」


 ぎゅっとリチャードの服を握りながらエレーナは俯く。


「うん、分かってる。私も起きた時に驚いたからね」


 にっこり笑ったリチャードはエレーナの手に自身のを絡め、その甲にキスを落とす。


「おはよう」

「……おはようござい……ます」


 度重なる失態と至近距離に端正な夫の顔があり、エレーナの顔は真っ赤だった。消え入るような返事が返ってくる。


「昨夜は無理をさせてしまったけど、身体は大丈夫?」

「さく……や? あ、」


 記憶を辿ること数秒。熟れたリンゴのように再びエレーナの顔全体が赤く染め上がる。

 小さくなる彼女にくすりと笑いがこぼれた。


「だ、大丈夫……です」


 エレーナは身近にあったシーツを被り、リチャードから顔を隠した。


「執務があるのですよね? 行ってらっしゃいませ」


 ちゃっかりリチャードが言った言葉は覚えていたようだ。振ろうと思ったのか、自分より一回り小さい手がにゅっと伸びてきたので絡め取った。が、一瞬にして逃げられる。


「──包まってないで出てきて」

「嫌です」

「なら、こうだね」


 シーツの端を引き寄せれば、形だけ抵抗していた彼女の頭から滑り降ち、両手を膝の上に重ね、伏し目がちなエレーナが現れた。

 差し込む陽光によって寝台に広がる金の髪が輝きを増したのに加えて、肩からずり落ちそうな純白のネグリジェを着ている姿は、身内贔屓を抜いても美しかった。


 天使というより女神が地上に降り立ったかのような。


 その首元に赤い花が咲いているのが見えて、リチャードは満足感から口元が緩む。きっとこの後、彼女は鏡の前で顔を真っ赤にさせるのだろう。

 そうして、着替えを手伝いに来たリリアンに指摘されて恥ずかしがり、今晩リチャードを涙目で責めてくるに違いない。


(まあわかりやすい所に付けたのはわざとだけど)


 元々独占欲が強かった自覚はある。

 なのに、婚約してから拍車をかけて強くなっているのだ。これくらいは許して欲しい。


(本気で嫌がるようなら止めるけど……)


 そんなことをリチャードが考えているとは露も知らず、間を置いてエレーナは口を尖らせ、潤んだ瞳を向けてくる。


「嫌だと言ったのに……リーさまは意地悪……です」

「ごめん。許して?」


 睨みつけているつもりだろうが、全く怖くない。むしろもっと向けて欲しい。

 からかおうかとも思ったが、流石に嫌われそうなので止めた。


 そこで時計が目に入る。


「…………そろそろ本当に行かなければ」

「もう……ですか?」


 きょとんと小首を傾げ、寂しそうに瞳を揺らしたのは無意識だろう。庇護欲をそそり、抱き締め──いや、理性が飛びそうになるのをグッとこらえる。


「捌かないといけない書類が多くてね。レーナはゆっくり朝の支度をしてね」


 言いながら腰を浮かせるとエレーナの方に引き寄せられた。


「どうかした?」

「お時間は取らせませんので耳を、貸して、ください」


 不可解に思いながら言われた通りにすれば、彼女は深呼吸をしてからリチャードの耳元に口を近づけた。


「が、頑張って……くださいませ。旦那さま」


 言葉の意味を理解する前に視界が彼女によって塞がれる。唇と唇がふれあい、ふんわり揺れた髪から淡い香りが鼻を打つ。


 柔らかな感触が離れていき、視線が合った彼女はリチャードにふにゃりと笑いかけた。そして恥じらうようにシーツで顔の半分を覆った。


「あの、リーさま?」


 硬直してしまったリチャードを見て、失敗したと思ったのかエレーナは静々とこちらに寄ってきて慌て始めた。


「メイリーン様に聞いたのですよ。何をすればリーさまは喜ぶのかと」


 どうやら何も言ってないのにこの行動の理由を教えてくれるらしい。エレーナは遠慮がちにリチャードの裾を握った。


「そしたら『朝、そう呼べばイチコロです。ついでにエレーナ様からキスすれば殿下は一日上機嫌ですよ』と言われて……いつも、もらってばっかりだから……とても恥ずかしいですけど、喜んでもらえるならって」


 メイリーンのにやにやしながら入れ知恵をしている姿が頭に浮かぶ。


「嫌……でしたか? 私からされても嬉しくないですかね……」


 今にも泣き出しそうに、上目遣いに、自分を見てきたらもう無理だ。感情のままに彼女を抱きしめた。


「──可愛いね。とっても可愛い。嬉しいなんて通り越してる。今死んでも悔いはないよ」

「よ、喜んでもらえたのなら私としてもした甲斐があって良かったです。なので離してください。執務に行ってください」


 照れ隠しなのかつっけんどんな言い方だ。


「いいや、もう一回さっきの呼び方してくれるまで離さない」

「あれは……ちょっと……心の準備が必要で……うぅぅ」

「ん? 言ってくれないの? ──私の妻なのだろう?」


 さっきのは本当に心臓に悪かった。仕返しとばかりに最大限甘く囁けば、エレーナはこそばゆさそうに体を震わせた。


「行ってくださいぃぃぃ! 無理! 心臓がもたない!」

「なら呼んでって言ったじゃないか」

「いじわるぅ。なんでこんな……うぅ…………だ、旦那さま」


 エレーナは耳まで赤く染まった。


「言いましたよ! 言いました!」

「──私の妻はとても可愛いね。愛してるよ」

「〜〜〜っ!」


 胸の中でバタバタ暴れる自分の愛しい人に、リチャードは声を上げて笑ったのだった。


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