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王子殿下の慕う人  作者: 夕香里
番外編
119/134

10.最愛の人の妻になった日

 その日は雲ひとつない快晴で。青空が見渡す限り広がる空模様だった。


 開かれた窓から涼しい風が部屋に入り込んで、広がるヴェールがふわりと舞い上がる。

 エレーナはヴェール越しに一度、生まれてから今まで過ごしてきた屋敷に対して頭を下げた。


「──お嬢さま」

「ええ、行くわ」


 リリアンの手を借り、裾を踏まぬよう気を付けながらエレーナは屋敷の外に出る。


「お嬢さまとてもお綺麗です。私……わたし、今死んでも悔いないです」


 すでに号泣しそうなリリアンを見て、エレーナは声を上げて笑う。


「ダメよ。一緒に来てくれるのでしょう?」

「もちろんです。お嬢さまの侍女を辞めるつもりはありませんから。今日の挙式だって、参列しますし」


 リリアンの服装は、いつものお仕着せではなく、きちんとした正装用のドレスだった。


 そう、今日は待ち望んでいたエレーナの結婚式なのだ。


 スタンレーでは王家に嫁ぐ者は皆、自邸から王家遣いの馬車に乗って教会に訪れる。

 

 エレーナも先例に漏れず、真っ白なトレーンを土で汚さないように侍女達が総出で抱え込み、邸の前に横付けされた馬車に近づくと、見知った顔の相手がいた。


「やあ」

「アーネスト様」


 いつも来ている騎士団服よりももっと糊のきいた真っ白な正装。一度も着たことがないかのような、シワひとつない服装だ。


「少し早いけれど、結婚おめでとう」

「ありがとうございます」


 少し微笑む。そして乗りやすいように差し出された手を取り、タラップに足をかけた。


「静かだね」

「私しか邸にいませんから」


 家族は既に教会に向かい、邸宅にいるのは使用人とエレーナだけだった。


「お嬢様ご成婚おめでとうございます。幸せになれますよう祈っております!」


 使用人のひとりが声を上げたのに続き、全員から祝いの言葉を貰う。

 中には幼い頃から知っている者もいて、もう会うことはほぼないのだと思うと寂しく、じわりと涙が滲んでしまう。


「みんな、今までありがとう」


 馬車がゆっくりと動き始める。エレーナは窓から身を乗り出して、送り出してくれる使用人達が見えなくなるまで手を振り続けた。


 エレーナが公爵邸に戻ることは無い。失恋したと思って大泣きした自室も、エルドレッドと遊んだ部屋も、エレーナの花壇も、余程のことがなければこのままお別れなのだ。そのことが酷く悲しいと同時に大好きな人と結ばれる幸福が交互にやってくる。


 ぐちゃぐちゃな感情に整理がつかず、胸がいっぱいになった。


「使用人達とも仲がいいんだね」

「はい、とても」


 震える声で返事をする。

 感傷に浸ってしまい、瞳に溜まった涙が頬を伝いそうになる。


「……無理に我慢するより、流してもらっていいけど、泣き跡は残さないでくれよ? 私が泣かしたんだと勘違いしたリチャードに殺される」


 軽い口調で言いながら、ハンカチを差し出すのはアーネストなりの優しさだ。エレーナは礼を言って、ハンカチで目元を拭った。



◇◇◇



 ──馬車が止まる。


「エレーナ嬢、準備はいいか? ここから出たら周りは人で溢れている」


 小さい窓からでも市井の者が教会の外で新しい花嫁を一目見ようと待ち構えているのが分かった。


「はい」


 溢れそうだった涙はハンカチで拭ったので化粧が落ちていることは無いだろう。事前に言われていた注意事項と段取りを頭の中で振り返って頷く。


「では行こう。花婿がお待ちだ」


 アーネストが扉を開け、彼に続いてエレーナも外に足を踏み出した。

 風が吹き、薔薇の刺繍が施されたヴェールが空を舞う。


 現れた花嫁に、わああっと歓声が上がる。

 エレーナはその声を背中で受け止め、待っていた父の腕に自身の腕を絡めた。


「レーナ、とても綺麗だよ。殿下にあげるなんて勿体ないくらいだ」


 ヴェール越しの父は感極まって涙腺が崩壊しそうになっていた。


「ふふ、リチャード殿下の所に嫁げるのはお父様のおかげです。今までありがとうございました」

「……なんかもう会えなくなる気分になるよ」

「会えますよ。王宮で」


 会う回数は減るが、ルドヴィッグは文官である。つまり仕事場は王宮であり、毎日とはいかなくても機会はあるだろう。エルドレッドも来年には王宮に出仕する。

 ヴィオレッタとは激減すると思うが、それは仕方のない事だ。


 父と話し込みすぎたようで、長いヴェールを持つはずの幼子たちが、自分たちの出番はまだかとウズウズしているのを視界の端に捉えた。


「お父様、行きましょう」

「そうだね。行こう」


 二人はゆっくり歩き出した。すると控えていた子供達が横から現れ、風に揺蕩っていたエレーナのヴェールを手に取る。



 扉が開かれ、ファンファーレが鳴り響く。



 入場の音楽が奏でられ、招待客の視線がいっせいに開かれた扉の外──王子殿下の花嫁に向かう。

 その中にはエレーナの友人達もいて、彼女達は夫と共にエレーナの結婚を自分のことのように喜んでいた。


 この国の王太子の結婚式ということで、教会内の雰囲気は外とは違って厳かである。話をする者は居らず、エレーナに視線が集まっていた。

 

 ウェディングドレスは歩きにくい。ヴェールは言わずもがな、ドレスの裾も引き摺るくらいに長く、普段よりもゆっくり彼との距離が縮んでいく。

 それに伴ってエレーナの心臓も鼓動を大きく、早くなっていった。


(本当にリー様の妻になるんだわ)


 まだ実感は湧かない。ウエディングドレスに身を包んだ時もまるで自分とは違う誰かが結婚するかのようだった。


(ああ、あと少しね)


 緊張で手が震え、転んだらどうしようかと不安な気持ちに襲われていたエレーナだが、ヴェール越しに、ほほ笑みかけるリチャードを見た瞬間、不安は跡形もなく消え去った。


 慈しむようなその視線は小さい頃から追いかけてきた彼で。同時に、向けられているのは慈しみだけでは無いのだと、エレーナはもう知っている。


 あと数歩で生涯の伴侶となるリチャードの元に着き、エレーナは父から彼に引き渡される。そうなったらずっと見守ってきてくれたルドヴィッグの役目も、リチャードに引き継がれるのだ。


 ──もう隣に父が並ぶことは無い。


 ルドヴィッグの場所は全てリチャードに代わるのだ。


 涙目になっていた父を思い出して、エレーナの瞳にも再び涙が滲む。


「お父様」

「何だい」


 小声で問いかければ、ルドヴィッグもエレーナにしか聞こえない程度の大きさで応えてくれる。


「私、幸せになります。ずっと見ててくださいませ」

「勿論だよ。私の可愛い娘なんだから。幸せになりなさい」


 その声は少し震えていた。その微妙な変化に気がつき、エレーナの瞳からも少しだけ温かいものが流れ落ちそうになった。


 そうこうしているうちに、リチャードの元にたどり着く。ルドヴィッグの腕が離れていき、代わりにリチャードの腕に自分の腕を絡める。


「レーナ、とても可愛いよ」

「ふふ、リー様こそかっこいいです」


 二人の会話は招待客には聞こえてないはずだが、仲睦まじい新郎新婦の雰囲気は感じ取っていた。


 粛々と式は進み、あとは誓いのキスだけになる。


 リチャードがエレーナのヴェールをあげ、頬に手を置く。


 破裂しそうなほど大きく跳ねる心臓を無理やり抑えて、近付いてくる顔にエレーナは瞳を閉じた。


 永遠とも、一瞬とも思える時間が過ぎ、柔らかな感触が唇に落ちて離れていった。


 ゆっくり瞳を開ければ愛しい彼が微笑んでいる。


「絶対に幸せにするから」


 そう宣言する夫に、エレーナは満面の笑みを向けた。


「私、この時点でこれ以上ないほど幸せですよ」


 拍手が上がる教会内で、エレーナは少し背伸びして彼の耳元に口を持っていく。


「リー様が思っているよりも、もっとずっとあなたの妻になれて嬉しいのです。ふふっ」


 幸福が溢れてくる。


 そうしてリチャードと手を絡めた。


 エレーナは大切な人達に見守られ、名実ともに愛する人の花嫁になったのだった。


区切りがいいのでここで番外編を終わりにするか悩みましたが、私が書きたいのでもう少しだけ続きます。お付き合いいただける方はどうぞよろしくお願いします〜!

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