07.贈り物事情(2)
王族の誕生日が近づくと、王宮前の広場に贈り物を預かる場所が作られる。
生ものなどはダメだが、市井の者でもプレゼントを贈ることができるのだ。
毎年量が多くて大変だと言っていたから、きっとエレーナの物も大量のプレゼントの中に埋もれるだろう。
直接渡すことが出来ない物を持っていても仕方が無いので、エレーナはそれを狙ってこっそり並んだ。
十数分並んでエレーナの番になる。
「ここに内容物とお名前を」
「はい」
筆記具を貸してもらい、名簿に文房具と記載する。
(なまえ、は偽名使ってもいいかな)
どうせリチャードの所には届かないのだから。
ここに並んでいる者達は承知の上だ。一つや二つならまだしも、数百個の贈り物を、忙しい王子殿下が全て開封するのは困難である。
それでも、彼らは「贈った」という事実が欲しくて並んでいるのだ。
それに大半の物は孤児院や教会に寄付されると公言されている。最初からそちらに流れることを見越して、王子殿下に贈る者もいるくらいだ。
危険なものでもないし、中身を調べられて後から呼び出しを食らう可能性も低いだろう。そうなれば偽名だと発覚することも無い。
(本当の名前を書いて私だと分かったら面倒くさくなりそう)
プレゼントを管理するのは、エレーナも見知った顔が多くいる騎士団だ。後々、どうして手渡しをしなかったのかと追求されるのは避けたい。
エレーナは暫し逡巡して、名前の欄に本名をもじって『レイナ・フロイス』と書いた。
「おねがいします」
(これでよし)
くるりと背を向け、馬車に戻ろうとしたその矢先。
「…………エレーナ様?」
帽子を目深く被っていたのに呼び止められ、ビクンと肩が震えた。振り返るとそこには見知った騎士がいた。
「クラウス卿……?」
(会いたくなかった)
非番だったのかラフな格好だ。剣も携帯していない。
彼はエレーナが何故ここにいるのか瞬時に理解したらしい。眉を寄せて困惑した表情を向けてきた。
「どうしてこちらにいらっしゃるのですか。エレーナ様なら直接お渡しすれば──あっ待ってください!」
(クラウス卿ごめんなさい!)
心の中で謝って脱兎のごとく逃げ出した。もう設置された箱の中に入れたのだから、他の人の物に紛れてクラウスが見つけ出すのは困難だろう。
人をかき分け、クラウスの視界から外れる。エレーナは待機していた馬車に乗り込み、急いでルイス邸に帰宅したのだった。
そうして埋もれたと思っていた万年筆が、どういう訳か彼の手元に渡ったのを知ったのは、リチャードの誕生日から一週間後のことだった。
ルドウィッグが家に忘れた書類を届けに来たら、廊下で失礼なまでにエレーナのことを指してくるギルベルトと遭遇し、あれよあれよという間にリチャードの執務室に案内されたのだ。
そうして書き物をしていたリチャードを視界に捉え、目を見張った。
(なんで殿下が持ってるの!?)
そこそこの値段がして、且つ、数本しか販売していないと店員は言った。他の人と被ることは考えにくい。
「あの、それ」
「これ?」
リチャードは握っていた万年筆を傾けた。
エレーナはこくりと頷く。
万年筆はすっかりリチャードの手に馴染んでいた。
「誰かさんから誕生日プレゼントで貰ったんだ」
にっこり笑っているのに悪寒がする。
(……もしやこれバレているのでは)
ふっと過ぎった想像に、つま先から体温を奪われる。
そんなはずない。ありえない。そう自分自身に言い聞かせる。
(だってあの時既に箱の中には三桁を超える数の贈り物が入っていたわ)
あの中からピンポイントでエレーナのを見つけるのは困難を極める。中身を全部ひっくり返すくらいのことをしないといけない。
(もしかして筆跡から……いや、まさか)
箱とともに『お誕生日おめでとうございます。今年もリチャード殿下にとって素晴らしい一年になりますように』と書いたメッセージカードを添えたのだ。
その筆跡でクラウスが勘づいた可能性はあるにはある。
エレーナは内心の動揺を悟られないよう取り繕う。
「ご使用になられているということは、気に入られているのですね。きっと贈った者も殿下に使ってもらえていると知ったら喜ぶでしょう」
「とても気に入っているよ。ただ、残念なことに偽名だったらしく、実在しない人物なんだよ」
リチャードは万年筆を置いて、まっすぐエレーナを射抜く。
「──私が尋ねて、名乗り出てくれるなら直接お礼を言いたいくらい感謝しているよ」
室内の気温が数度下がったように感じた。
居合わせたリチャードの側近達が手を止め、書類で顔を隠しながら、ちらちらエレーナを見てくるのは何故だろうか。
しかも、その目が切実に何かを訴えている。
ギルベルトに至っては自分の命がかかっているかのような目でエレーナを見ていた。
「…………リチャード殿下がお探しになられれば、名乗り出ると思います……たぶん」
言えるはずもない。無理である。だからああして手放したのに。
(ほんの僅かな可能性として、他の人が贈ったのかもしれないし)
沈黙が僅かな間部屋を包み、破ったのはリチャードだった。
「ところで、レーナはくれないの?」
──あげました。殿下が持っているそれです。
と、エレーナは心の中で即答した。
「それはですね。最近忙しく……て。ルイス公爵家としてはお送りしましたが、私個人は用意できてないのです」
視界の端で怯えたように首を横に振る側近達が目に入る。『そうではない』と口が動いていた。では一体どう答えるのが正解なのだろうか。
「それに、殿下は皆さんから沢山いただきますよね? 何をあげたらいいのか分からなくて。被ってしまっても……」
言い訳がスラスラ口から出てくる。
「以前、市井の者や貴族から贈られる品々が多すぎて扱いに困ると仰っていましたし。なら、贈らない方が良いのかなと」
「──廃止だね」
「はい?」
「それが理由で一番欲しい人から直接貰えないのであれば構わないだろう」
「?」
リチャードの言っていることが理解出来なかったエレーナは、頭の中にクエスチョンマークを増やすことしか出来ない。
対して、側近達は頭を抱えて机に突っ伏した。
「今年は残念だよ。でも、忙しかったなら仕方ないね」
ペラリと書類をめくる音が異様に大きく聞こえる。
そうしてリチャードは椅子から立ち上がった。
「殿下?」
エレーナの呼び掛けには答えず、リチャードはエレーナの正面に立つ。
そうして白の手袋に覆われた手がエレーナの頭を優しく撫でた。
「だけど、来年はレイナ・フロイスなどという架空の人物からではなくて、レーナから直接貰いたいな」
「…………」
「レーナ?」
満面の笑みが怖い。
(ひぃ、全部バレてるわ。意味なかった……)
こうなるのであれば最初から直接渡せばよかったと思っても、後の祭りである。
こうなることを見越してエリナはあの日、エレーナに助言したのだろうか。
心が狭いというのはよく分からないけれど、敏感というのは当たっている。そうでなければレイナ・フロイスの正体がエレーナだとは辿り着かない。
「…………執務の邪魔になりますので私はこの辺で失礼します」
頬が引き攣りそうになりながら曖昧に微笑む。
こうして何も知らない風を装って逃げるように退出し、後日遅れて別のプレゼントを贈ったのが一昨年の出来事である。