07.贈り物事情(1)
馬車に乗っていたエレーナは、王都の中心部で馬車から降りた。両隣にはお店が立ち並んでおり、人々は楽しそうに買い物をしている。
「エレーナ様」
「はい」
「どちらのお店に行かれるのですか」
そう尋ねてきたのは王家直属──黒の騎士団所属のコンラッドだった。彼は今日、エレーナの護衛としてお出掛けに付き添っている。
「まだ決めてないの。ごめんなさい。こんなことに付き合わせてしまって」
「いいえ、お気になさらず」
気さくな笑顔を浮かべた彼は、車道側に立ってさりげなくエレーナを歩道の内側に寄せた。
ルイス公爵家が雇っている護衛ではなく、黒の騎士団のコンラッドなのは、エレーナがリチャードの婚約者になったからである。
とはいえ、まだ婚約者であるのだからルイス家の騎士を護衛にしてもよかったし、そちらの方が普通なのだが。
リチャードはあろうことか正式な婚約を結んだ三日後に、顔馴染みのコンラッド卿とクラウス卿をルイス邸に寄こしたのだった。
それ以来その二人、もしくは何故かメイリーンが同伴しないとエレーナは出掛ける許可が降りなくなってしまった。
公爵家の娘という立場でも、身代金目的の誘拐の危険はある。今までも護衛付き、もしくは侍女付きでなければ外出が出来ないのは当たり前の事だった。
加えて王太子の婚約者という肩書きは、よりいっそう悪い輩に狙われる危険性があるのも分かる。分かるのだが……。
(なら、私の家の騎士でもいいじゃない。わざわざ忙しいクラウス卿達ではなくても)
黒の騎士団所属の騎士はいつ見ても忙しそうだった。一応団長はヴォルデ侯爵──アーネストであるが、実質リチャード直属の少数精鋭の騎士団。
本来ならばリチャードの護衛が第一任務。エレーナの方に割ける人員など居ないはずなのだ。
(ほんとリー様は心配性なんだから)
エレーナはむっと唇を尖らせた。
そうは言っても、大怪我をしたあの事件からそれほど月日は経っていない。寝言を聞いてしまったし、巻き込まれる要因を作ったリチャードが、他の者よりエレーナの身の安全に過敏になるのも仕方の無いことである。
エレーナだって、もし彼が自分のせいで事件に巻き込まれてしまったら。その後は過剰であっても、護衛を付けようとする。
だから「傍に彼らを」とちょっと震えた声で懇願し、ぎゅっと抱き締めてくるリチャードに「いらない」とは言えなかった。
(さて、どうしようかな)
青い日傘をくるくる回しながらエレーナは考える。
今日の目的はリチャードへの贈り物を買うことなのだ。
何故かと言うと──
(リー様の誕生日、近いのよね)
ばたばたしていたらいつの間にか一ヶ月切っていたことに気がついたのが一昨日。
慌てて運良く何も予定が入ってなかった今日、街に繰り出したのはいいものの、今年は何をあげるか決まっていなかった。
関係性が変わって、婚約者となった訳だが、過去恋人がいなかったエレーナには何を渡すのが最適解なのかを知らない。
(この道の専門家というか、お店の人に聞くのが一番かしら)
彼らは接客で何百人ものお客の応対をしているから、どのような傾向が好まれるのか知っているはずだ。
エレーナはコンラッドを引き連れて、とりあえず一番大きい店舗に足を踏み入れた。
すると直ぐに店員がエレーナに近寄ってきたので、これ幸いと尋ねることにした。
「殿方への贈り物として人気がある物は何でしょうか」
「お客様が送る相手はご兄弟、それとも友人、恋人どれでしょう」
「えっと、あの…………婚約者です」
〝婚約者〟と他の人に紹介するのはまだ気恥ずかしくてくすぐったい。
「では婚約者様は騎士、又は机仕事が多い文官、それともほかの職業でしょうか」
「剣は……時々握られていますが、長時間書類仕事や会議をしていることが多いです」
「それならカフリンクスもっと身近なものなら万年筆はどうでしょう」
(万年筆は一昨年誕生日プレゼントとしてあげたのよね)
失恋だと勘違いしていた時期である。いつまでも一介の公爵の娘から貰っても困るだろう。そう思って贈り物はやめようとしていたのだが……。
エレーナの思考は過去に戻る。
ギルベルトに贈る誕生日プレゼントを購入する為、着いてきて欲しいと頼んできたエリナと街に行った時のこと。
エリナが万年筆をギルベルトに贈るということで文房具の置いてある店に入った。彼女がショーケースと睨めっこしている間、エレーナは店内を見回っていた。
「わあ」
(殿下の色だ)
目に止まったのは紺碧色の万年筆だった。持ち手のところは金箔を使って蔦の模様が描かれており、金色のペン先にはスタンレーの国章が彫られている。
クリップには万年筆と同じ色の蒼石が埋め込まれ、天冠には国花であるグライシェリア。
まさにこの国の王子であるリチャードを模した物のように思えた。
ずっと眺めていたからだろうか。店員がエレーナに近づいてきた。
「──何かお気に召す物がありましたか?」
「えっとあの、この万年筆を見せてもらうことは可能でしょうか」
ガラス越しに指す。
「可能ですよ。少々お待ちください」
柔らかいクッションの上に置かれた万年筆がショーケースから出された。ペン先が照明の光を反射してキラキラ輝いている。
(どうしよう)
今日はエリナの付き添いで買い物などするつもり無かったのに。近くで見ると欲しくなってしまい、チラリと値段の書かれたプレートを確認する。
(…………これくらいなら私の手持ちでも買えるわ。って、今年は渡さないと決めたじゃない)
ぶんぶん首を横に振るが、目は万年筆に釘付けだった。
迷いに迷っているエレーナを見て、店員はこのお客は押せば商品を購入すると思ったのだろうか。接客用の笑顔を顔に張りつけ、エレーナに迫る。
「これは最新型の物でして、書き物をすることが多い男性の方達から大変好評です」
「え」
鬼気迫る話し方に加えて突如流暢になる店員に、エレーナは少し呆気に取られた。
「尚且つ贈り物としても人気でして、普通の柄ですと入荷後直ぐに完売してしまいます。こちらはその中でも特注品でお値段が張りますが、その代わり書き心地は抜群。手を痛めにくいものです!」
「あ、私……買わな────」
「──お客様」
「ひっ」
気がついた時には代金を支払い終わり、手の中には万年筆の入った箱。すっかり口車に乗せられてしまった。
(買ってしまった)
渡す勇気などもうエレーナには残っていないのに。
「レーナは何を買ったの?」
先に買い物を終えたエリナがエレーナの手元をのぞき込む。
「…………エルドレッドにあげる万年筆」
「そう。リチャード殿下用ではないのね。それとも別で用意してあるの?」
「ううん、今年は殿下に渡さないわ」
手元にある、押し負けて買ってしまったプレゼント。今だけ記憶から消した。
「レーナ…………」
衝撃を受けたかのようにエリナが口元を覆う。
「まさかとは思うけど他に慕う人ができたの? やめておいた方が相手のためよ。それか徹底的に隠し通すのを推奨するわ」
「いないわよ。誕生日プレゼントに関してはギルベルトには渡すかもしれないけど」
「…………私の婚約者、殿下にいじめられてしまう運命か」
不思議そうに目をぱちくりさせてエリナを見つめる親友は、己に向けられる恋心にとんちんかんなので致し方ない。
他の子息と恋に落ちたのならばまた違う結果になっていただろうに、エレーナは他の男性に見向きもしない。ずっとリチャードを慕っている。
(早くくっつかないかしら)
そう思いつつ、エリナはひとつ助言した。
「誕生日プレゼントを贈らないのであれば、それ相応の覚悟を持った方がいいわ。あの方はレーナを甘やかすけど、こういうことには敏感で、心が狭いのよ」