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王子殿下の慕う人  作者: 夕香里
番外編
113/134

06.私だけが知っている(2)

────どうして私や周りが誰一人気が付かなかったのに、レーナはすぐ分かったの?



(そんなの決まってる)


 目の前の婚約者は以前、エレーナのことを一目惚れだと言った。


 リチャードと違って、エレーナは初めて出会った庭園でのお茶会を鮮明には記憶していない。朧気に会話をした記憶はあるが、内容までは思い出せない。


 そのくらい遠い過去なのに、そこからずっと想われていたなんて、今でもまだ信じられない。

 しかもエレーナに至っては、恋が芽生えても最初から自覚していた訳ではないのだ。


(そうは言っても、出会ってから私は────)


「何年、一緒に過ごしてきたと言うのですか。リー様と同じくらい形は違えど、ずっと好きで追いかけてましたもん」


 〝リチャード殿下〟が出席する行事には参加しなくて良い物も参加して。

 剣術大会に出ると知ったら一番見やすい席を探し、視線が合っただけで嬉しくて嬉しくて手を振って。

 夜会では挨拶の際に褒めてもらえるよう身支度して。


 何をするにもリチャードを気にし、目で追いかけていた。楽しかった思い出も、彼が関わっているものが多い。


 それに────


(他にも素晴らしい殿方は居たはずなのに)


 思い返せば見目麗しい、秀才だと謳われる人を見かけても特に心が踊る兆しはなく、それよりも彼の笑顔と優しい眼差しが自分に向くことを願っていた。


 ふわふわと寝台に付けられたカーテンが風によって揺らめく。


 告白してから会う度に性懲りも無く『愛しているよ』と囁く彼も彼だが、自分も自覚してなかっただけで中々の一途らしい。


(だって……ね?)


 楽器が弾けるようになってまず最初にお披露目したのも、エレーナがよく話す異性も、指を刺しながら初めて縫った刺繍入りのハンカチやデビュタントのダンスだって。


(ぜんぶリーさまなのですよ)


 それだけ一緒に過ごしてきたら、ちょっとの変化でも体調の良し悪しは手に取るように分かるのだ。乙女の恋心から来る観察力を舐めてもらったら困る。


 リチャードの額を撫でる己の指には、自分達の関係性を証明する婚約指輪がはまっている。

 最初は付け慣れなくて違和感があったが、今では付けていない方が落ち着かない。


 その変化にくすぐったいような、思わずジタバタしたくなる気持ちになったのはつい先日のこと。



「大好きですよ。世界で一番」



 面と向かって伝えるのはまだ恥ずかしく、一方通行でしか伝えられない。だけど今後歩む人生には余裕があるから、何度も直接伝えられるから。今回ばかりはこのような形式で一方的に告げる事を、どうか見逃して欲しい。



「──愛してます。早く良くなって、これを機にきちんとお休みくださいね」



 すると額を撫でていた手首を掴まれて──


「!?」


 世界が反転し、寝台の方へ引き寄せられた。息が詰まりそうになり、何が起こったのか直ぐには把握出来ない。


(あれ、私何で)


 目の前は白いシャツ。布越しに体温が伝わってきて、ようやく理解する。


(リー様の胸の中だ)


 見上げれば瞳を閉じた端正な顔があった。けぶるような睫毛が小刻みに揺れている。

 一瞬狸寝入りでエレーナの発言を聞かれたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。


 だが次の瞬間、リチャードはうっすら瞼を開けて紺碧の澄みきった瞳がエレーナを視認する。


「……リーさま?」


 呼べば、彼はくしゃりと顔を歪ませた。


 それは一度も見たことがない表情だった。


「レーナ」


 エレーナを抱き込み、肩の辺りに顔を埋めて、震える声色でか細く呟く。


「──死なないでレーナ」


 泣きそうな──切実な願いのこもった言葉はエレーナの心臓をぎゅっと締め付けるには十分だった。

 

(熱で……朦朧としておられるのね)


 夢の狭間で。もう終わった過去のことが目の前で起こっていると勘違いしているのだろう。


 生死をさまよったことは過去に一度だけ。狩猟大会で巻き込まれたあの事件。

 エレーナはミュリエルとギルベルトから少しだけその時の彼の様子を教えてもらっていた。


(ずっと私のそばを離れようとしなかったって)


 食事をとるのも忘れて、夜も寝ずに、手を握ったまま目が覚めるのを待っていたと。


 リチャードの表情は分からない。ただ、よりいっそうエレーナを抱きしめる腕に力がこもる。


「…………私はレーナがいないと生きていけないんだ」


(まあ)


 弱音が混ざった告白に目を見開いた。


(私がいないと生きていけないですって? そんなまさか)


 魘されて冗談を──とは言いきれなかった。それだけ真剣な声だったのだ。


「レーナが巻き込まれたのは私の落ち度で…………目を覚ますなら何でも差し出すから。神よ、お願いだ」


 リチャードは震え、弱々しい声が──漏れる。


「貴方の御許(みもと)に私の最愛を連れていかないでくれ」


 自身の半身がもぎ取られるかのように。


「……行ったら駄目だ……まだ駄目だよ。もう一度、お願いだから私に……レーナの笑った顔と美しい瞳を見せて」


 苦しそうに唇を震わせて。


 声に滲む憔悴と切実さ。もう終わったことで、どうしようもないのに、聞こえてくる度エレーナの心はいっぱいいっぱいになってしまう。


(全く違う)


 これまで自分が見てきたリチャードは、いつもちょっと余裕があって、優しくて、困っていたら助けてくれる兄のような姿だけ。

 婚約者になって兄という印象は消えたが、それ以外は変わらない。


 懇願も、歪んだ顔も、震えている姿も。


──エレーナの知っているリチャードではない。


 だから瞳を開けて涙声で抱きしめられたあの日も、存在を確認するように、感情のままにぎゅうぎゅう抱きつく彼に驚いた。


(私が思っていたよりももっとずっと)


 巻き込んでしまったという罪悪感も相まって、リチャードの心には悔恨が深く根を張っていたのだ。


 それを今、エレーナは知った。


 しばらく彼の腕の中で大人しくしていたが、抱きしめる力は緩まない。


(無理やり脱出することも出来るけれど)


 あんな寝言を聞いてしまったら。彼が起きるまで動かない方が良い気がして。

 この状態があまり良くないことだと思いつつも抱きつかれたままになる。


(どうしたら悪夢から解放してあげられるかしら)


 再びリチャードを見上げる。熱に魘され険しい顔つきで、額から汗がつたい落ちる。


 いてもたってもいられずポケットに入っていたハンカチで汗を拭い、そうっと彼の頬に触れる。ぴくりと頬が動き、ゆるりと瞳が開く。


 その目は焦点が合っているようで合っていない。


 そうして譫言を繰り返す。


「──離れていかないで。何も、伝えきれていないのに」

「安心してください、離れる気はありませんから。これからもずっとリー様の傍におります」


 優しく赤子をあやすように。


「だからリー様もご覚悟くださいね。私、嫌がられても死者の世界まで意地でもついて行きますから。これからの人生を()()()に捧げますよ」


 リチャードの隣がエレーナの居場所。これが変わることは無い。


 ひっそりと誓えば、朦朧としたリチャードに声が届いたのか表情が和らぐ。


「それ……は良い、ね。死んでも、会えるのであれば、悲しまなくて……すむ」


 それっきり寝言は止まる。


 トクントクンと規則正しい心音が聞こえてくる。風通しを良くしようと開けていた窓から、ボーンボーンと鐘の音が時刻を知らせる。


(あと一時間くらいで人が来るかな)


 ほとんど形骸化しているが、王宮では文官達の就業時間が決まっている。その時間を超えると残業となり、特別手当が支給される。とはいえ、文官の人数と仕事量が合っていないので、王宮に出仕する者はほとんど就業時間を超えて仕事をこなしていた。


(きっと最初に入ってくるのはミュリエル様か殿下付きの侍女かギルベルト)


 ならくっついて寝ていても何とかなるだろう。一番可能性として高いのは事情を把握し、迎えに来てくれると言ったギルベルトだから尚更。


 この時点でエレーナは寝台から出る案を追い払った。何か文句や説教を受けたら耳から耳へ聞き流そう。


 それに、一緒に寝ているのが婚約者なのだ。別の男ではないのだ。怒られたとしても、こってり搾られはしないはず。


(最悪、リー様が求めてきたって全部彼のせいにしてしまおう──寝惚けていたとしても事実だしね)


 そう考えて、リチャードに抱きつかれたままエレーナも微睡みの中へ誘われていった。




◇◇◇◇



 一際大きく鳴った鐘の音でふっと夢から覚めたリチャードは瞳を開けた。


(………自室?)


 ぼんやり見えるのはリチャードの部屋の壁である。小窓は開いていて、傾きかけた太陽の光が差し込んでいた。


 寝返りを打とうとして違和感に気がつく。

 右腕に文鎮が乗っているのかと錯覚するほど何か重いものが乗っているのだ。


(何だこの柔らかさ)


 加えて嗅ぎなれたようで慣れていない甘い匂い。

 

「え、なぜ」


 ぎょっとしたリチャードは目を見開いたまま固まってしまう。強く目を擦り、瞬きをしてもう一度目を凝らす。


 だが、見えている物は変わらない。


 そこにはすぅすぅ寝息をたてるエレーナがいたのだ。ぴったりリチャードにくっついて瞳を閉じている。


(……記憶が飛んでるな)


 どうしてもエレーナに会って、体調が悪いと自覚したところまでしかハッキリとは思い出せない。そこから後は、何か苦いものを飲まされた記憶が若干残っている。恐らく薬かそれに連なる物だろう。


 こんな抱き合って寝ていた理由は不明だ。


(とりあえず離れたほ────)


 左手で彼女の頭を押え、身体の下敷きになっている右腕を引き抜こうとして────


「エレーナ! 殿下の分も終わらせたすんばらしいほど優秀な私を労うよう、後でさりげなく助言し……」


 バンッと大きな音を立ててドアを開けたギルベルトは、次の瞬間エレーナに覆いかぶさっているリチャードを目に捉えた。


「…………あ、お取り込み中! すみませんまた後できますっ」


 回れ右をして一目散に逃げ出した。


「ギルベルト、あいつ勘違い……後で潰す」


 条件反射的に寝台の下に隠してある剣を手探りで探す。けれども体のだるさは変わっていないので、まとも動くことが出来ない。おまけに頭が割れるように痛く、追いかけることを諦めた。


 このまま何も見なかったことにしてエレーナの隣で横になろうかとも思ったが、また他の者に誤解されるのも嫌である。

 リチャードは起きた時にズレたシーツを元通りにし、寝台の端に腰掛ける。


(どうしたものかな)


 気持ちよさそうに眠っているエレーナを起こすのは忍びない。


「廊下ですれ違った涙目のギルベルトに押し付けられて参上しました〜! あ、エレーナ様まだ寝てます?」


 にこにこ笑みを携えて現れたのはメイリーンである。侍女に扮していたのかお仕着せ姿だ。るんるんと軽い足取りでリチャードの居る寝台に近づき、横から覗き込んだ。


「あらら、ぐっすりですね」


 感想を述べるのみで何も突っ込んでこないだけギルベルトよりはマシだった。


「殿下の寝台なのでエレーナ様を起こしますか?」

「…………いい、自分が場所を変える。隣、使えるよな?」

「はい。ギルベルトに伝えておきますね」


 隣の部屋は客室という名の無人の部屋だ。調度品は整えられ、定期的に掃除されているので綺麗な状態であるが、使われてない。静かに眠るにはもってこいの場所だろう。


 リチャードは少しよろめきながらも立ち上がった。


 そしてちらりと振り返る。


 さらさらとした天鵞絨の髪が、こぼれるようにシーツの上に流れている。その愛らしい寝顔は彼女が成人しても天使のようで、リチャードからしたらずっと眺めていられる絵画のような光景だった。


 自分が抱きしめて離さなかったと推測は出来るが、それにしてもそのまま一緒に寝てしまうなんて無防備すぎではないだろうか。


(私だから大丈夫だと思ってるのかな)


 自分に対して警戒心がないのはありがたいが、リチャードだって所詮は男だ。

 この場合、無理やりにでもリチャードを引き剥がしにかかるのが正解である。大声を出して人を呼ぶのでも。


(世間体や説教を受ける可能性を考え…………レーナに至っては大丈夫か)


 ミュリエルのところに報告が上がっても、にやにやしながら笑っている想像が容易にでき、逆にリチャードをからかって来るはずだ。


 リドガルドはリドガルドで的外れな発言をするだけで、怒ることなどほんの少しもありえない。ああ見えてリドガルドもまた本当の娘のように、エレーナを可愛がっているのだ。


 この国で一番の権力を保持し、義父母となる王と王妃がそのような感じなのだから、小言を言ってくる者もいない。

 

「殿下、悪戯はお止めになられては? 疲労と診断が下されましたが、もし風邪だった場合移りますよ」


 彼女の寝顔に口づけしようとしてメイリーンから横槍が入る。


「今更じゃないか? さっきまで一緒に寝てたんだぞ。誰も止めさせなかったのか?」

「それは様子を見に来た王妃殿下がそのままにしておいてと命令を下されましたので」


 どうやらこの状況は公認だったらしい。来たのなら起こしてくれればいいものの、起こさないのがミュリエルらしかった。


 ふふっとメイリーンは笑って、隣の部屋に移動しようとするリチャードに手を貸した。


「私もおふたりの様子を見に来ましたが、結構ぎゅうっと殿下が抱きついてましたよ。仲がよろしいようで臣下としては大変喜ばしい限りですね」


 軽くにやついているメイリーンに対し、リチャードは一言だけ返す。


「…………記憶から消してくれ」


 その後、リチャードはエレーナに対して何かしてしまったか尋ねたが、彼女は微笑みながら首を横に振るばかり。


 それでもどうにかして聞き出せたのは「これからもずっとお傍に居させて下さいね」それだけだった。

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