103.愛しい婚約者
(どうしよう)
「ごめんなさい。私、他に好きな人がいるの。貴方の気持ちには答えられないわ」
暫しどうやって切り抜けようか考えた後、無難に断ってみた。手が取られている状態を逆手にとって、立ち上がらせようとしたが上手くいかない。
「大丈夫です! 他に好きな人がいても気にしませんので! なので私と婚約してください」
「ねえちょっと貴方、ずうず────」
エレーナの代わりに強く出ようとしたエリナを手で制する。大丈夫だからと微笑めば、彼女は不満げだが留まってくれた。
(まだ誰にも言ってはいけないと言われたけど……ぼかせば大丈夫かしら)
「ごめんなさい好きな人がいるから貴方の気持ちを受け取れない。というのは半分本当で半分嘘なの」
「でっでは!」
「ちょっとレーナ何を言って」
当たりが再びざわめいてエレーナの方を見ている。まだ何も言っていないのに、周りの貴族は目を見開き、固まっている。中央にいたはずのアレクサンドラとアルフレッドでさえ、こちらに移動しようとしていた。
「私、婚約の話が────キャッ!」
視界が揺れてお腹の辺りに腕が回る。そして何者かにグイッと引き寄せられた。
「──人の婚約者を口説くなんて覚悟は出来ているのか? セバスチャン・ラグダス」
「でっ殿下何故ここに──むっ」
視界と口を塞がれた。それを見た女性陣から悲鳴が上がる。
「約束したじゃないか。殿下呼びは禁止だと」
顔を近づけてくる。
「約束した覚えはありませんっ! リー様が殿下呼びすると問答無用でキ、キスしてくるので仕方なくですよ!」
真っ赤になりながら小声で反論した。
(恥ずかしい。こんな大衆の前で)
「その顔誰にも見せたくない」
言い終わる前に、エレーナはリチャード殿下の胸の中に押し込まれた。視界は皺ひとつない白いシャツで埋まって、トクトクと規則正しい鼓動が聞こえてくる。
逃げようともがくが、殿下はビクともしなかった。
「すまないね。場を乱してしまって」
愛想笑いをしながらリチャードは周りに対して言った。どう反応するのが正解なのか分からない貴族達は、首を横に振ることしかできなかった。
「それについてはまあ、別に。ですが今、殿下はレーナのことを」
アレクサンドラがアルフレッドと手を繋いでリチャードの前に立っていた。
「ああ、正式発表はまだだったね。近々発表しようと思っていたのだが……」
腕の中から解放したエレーナの手を取って隣に立たせた。周りの視線が全てエレーナに集まる。とても居心地が悪い。
「──彼女が私の花嫁だ」
突然の発表に場が静まり返ったと思ったら、にわかに話し声で騒がしくなる。
元から知っていたリドガルドの側近達は、心の中で何故ここで言ってしまうのだ……と嘆いた。
「レーナいつの間に……ギルベルトにも聞いてないわ」
さりげなく近寄って来たエリナが問う。
「あの、一か月前なの。伝えられてなくてごめんね」
はにかみながら答えた。
「ああ、謝らないで。それはいいのよ。一番丸く収まってくれて私はとっても嬉しいから!」
エリナが両手を広げたので、エレーナは彼女に抱きついた。
「レーナ、おめでとう」
そう言ってアレクサンドラも抱擁に加わってきた。
「ありがとう。だけどサーシャの披露宴なのに……」
こんなつもりではなかったのだ。今宵の主役は彼女なのに、リチャード殿下の発言が目立ってしまって申し訳なくなる。
「気にしなくて大丈夫。親しくない貴族達の相手をしなくてむしろ助かった。アルフレッドもそう思ってる」
にっこりとアレクサンドラは笑い、新郎を小さく指した。彼は彼女の言った通り、ほっとした様子で壁の方に移動していた。
「いずれ爵位を継がなければいけないのに、あれで伯爵になれるのかしらね?」
はぁ、とアレクサンドラはため息をつく。
「ああ、アルガーノン様は騎士になったのだっけ」
「そう、お義兄様は別で爵位を頂いたから、タウンゼント伯爵は後継者をアルフレッドに決めたの」
「そうなると今は少し……頼りないわね。そのうち貫禄がつくわよ」
エリナはハンカチで汗を拭いているアルフレッドを見ながら言った。
エレーナが友人達と話している中、リチャードはセバスチャンに凍った視線を送った。
「──まさか人の婚約者に手を出すバカはいないよね」
「ひっ! お酒が回って変なこと言ってしまったようです。冗談です」
転びそうになりながらセバスチャンは人混みに紛れる。
「邪魔をしてすまなかった。彼女は連れていくが、これで失礼するよ。二人とも結婚おめでとう」
笑いながら、エリナ達との抱擁を終えたエレーナを連れてリチャードはさっさと退場した。
「後はよろしく」
「また面倒くさくなる退場の仕方を……わかりました」
扉のところにいたギルベルトに言付ければ、彼の顔には諦めが浮かんだ。
◇◇◇
「リー様何故ここにいらっしゃったのですか。来ないと仰っていたのに」
外に出たエレーナは、人がいないことをいいことにリチャードに不満げに尋ねた。
「臣下の門出だ。最後だけでも参加しようと頑張ったんだよ。それに迎えに行こうと思って」
「必要ないです。エリナがいましたもの」
「ならどうして他の子息に絡まれている。不用心だよ。僕が来なかったらどうしていたのさ」
「1人で対処出来ましたし、披露宴、最後の最後で台無しにしましたよね」
「もう終盤だっただろう? レーナ達の会話が聞こえていたけれど、怒っているようには思えなかったし」
そういう問題ではないと思うのだが……。
「それにあの場でバラしてしまうことでは」
婚約自体はあの時結ばれている。しかし周りには話していなかったのだ。当たり前だが、正式に発表するまでは誰にも言ってはいけないと決まっていたから。
「どうせ明日正式発表するつもりだった。それが1日早まっただけだ。それよりも」
エレーナの左手を掴んだ。
空いていた片手で懐から取り出した小箱を開け、中から指輪を取りだした。
「職人を急かしてようやく完成したんだ」
薬指に指輪をはめるとサイズはピッタリだった。
「綺麗」
薔薇の花びらをモチーフにした指輪はガーネットの宝石と、金細工によってできていた。デザインが薔薇なのはあの絵本を意識しているのだろうか。
自分は本当にリチャード殿下の婚約者なのだと実感がわいてくる。
色んな角度から月に透かして左手を眺めていると、不意に再び掴まれ、リチャード殿下は跪いた。
「リー様?」
「──もう一度きちんと言わせて。エレーナ・ルイス公爵令嬢。貴女のことを愛してる。だから私と結婚していただけませんか」
目を瞬かせ、少しの間リチャード殿下を見つめた。
「──はい、貴方の花嫁にしてくださいませ」
愛する人は花が綻ぶように頬を緩ませた。