写真の一瞬と文字の一瞬
暗証も暗号も無し。暗証や暗号への誘導も無し。
令和1年9月1日
小説家になろうへ投稿
櫛之汲
天然自然から一瞬を切りとることが難しい。絵にならない。
天然自然を文字にしてみると、どれだけ不自由かわかる。
手書きならいろいろ表現に幅がある。フォントがあって、行間があるし、句読点の慣習がある。語句の数も到底足りない。
一列当たりの文字数も少ない。人が本紙や画面をみて、文字を文章の連なりとして把握しやすい視野角があって、それが狭い。句読点がないと読みにくいというのも表現の幅が狭まる要因である。
以下のように。
天然自然から一瞬を切りとることが難しい絵にならない天然自然を文字にしてみるとどれだけ不自由かわかる手書きならいろいろ表現に幅があるフォントがあって行間があるし句読点の慣習がある語句の数も到底足りない一列当たりの文字数も少ない人が本紙や画面をみて文字を文章の連なりとして把握しやすい視野角があってそれが狭い句読点がないと読みにくいというのも表現の幅が狭まる要因である。
句読点がないと読みにくいというのも文章が下手だからというのもあるしかして上手いとしてもたぶん疲れてしまう。細かな移ろいいく自然の景観に筆の限りを尽くし思うままに書けたとしても。視野にも写真のように集中して焦点が移ろう、一定ではない視野を文章にしていくことが難しい。遠近感を光の導線を絵画にするように構成情報が多過ぎて、文字にあてはめると読みやすさわかり易さ慣習から言葉の数から溢れてしまう。どこを重視して切りとるかが関心事になる。しかし、そもそも忸怩たる思いになる。一瞬といいつつ、何文字書くのかということになるわけで、だからこそ、文字に価値があるのです。矛盾が矛盾ではないのが、文字という表現。そこは失望であり、ファンタジーに取り組むなら思うに特別の価値がある。