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暗号や暗証も無し。暗証や暗号への誘導も無し。


令和1年8月30日

小説家になろうへ投稿


櫛之汲


思想の源流に対する考え方。

湖底湖心と造語のように連ねていうと湖の中心其の底にあるとか意味しているように思います。

湖とは大規模な水とそれを覆う地です。広辞苑でしたか、湖心という語があって、感情の奥底にある中枢のように比喩できそうな語句だなと思ったことがあります。中心かはさておき湖底に泉や伏流水があれば思想の源流といえます。広辞苑とにらめっこしていたとき、文字書きとして、少しは思想的なことを文章に組み込もうと考えていました。湖がその感情主体の器であるのです。水滴が落ちて水中に霧散していくように外発としての思想の水滴や雨は湖の中に霧散して蓄積されますし、澱もしますし、天然自然土が覆う池や沼の水が非循環でないように循環もします。土の底か泉だか湖底の水草だか魚やら生きものが深い藍色の世界に気泡を起こし水面に向かう。混雑した思想の積み重ねの溜まりに気泡で膜を張っております。俯瞰しても水面を伺うばかり、日の光、水鏡にうつる自然の色合い、星々や空や雲の移ろい、影が落ちて、波たちひょうどうする。自らも気泡を出して何とも知れない気泡がわが身を追い越して水面に向かう、思想とは膜を張るものです。それを理解して万象の哀れを思うのです。広辞苑でそんな空想をしました。湖心の語から空想をひろげて私の思想としようと試みたのです。


心を配るとき、思想が溶け込む電子の湖にあっては全てが気泡のようなものですから、その膜が一体どんな構造なのかは関心事であっても清濁あり、併せのんではなりません、散々書いてますが面会や通話なんぞはしてはならないのです。

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