文芸への読書観に関したエッセイ
暗号も暗証も無し。暗号も暗証への誘導も無し。
令和1年8月24日
小説家になろうへ投稿
櫛之汲
憧れる本を小学生のころに突如読んだ。低学年時の読書経験は貧しい乏しい。私はいつも基本乏しいのですが。
私の読書観をすこし書いていきます。以下の読書観は映画やアニメや劇や漫画でも読書観が抜けないのです。
読書歴といえるほどのものでもないです。
幼児期は読書量はおそらく人並みであった。仕掛け絵本を読んでもらいそのことに大いに笑む。何度も頁を括り飛び出す仕掛けに興味が尽きない。ぐりとぐらなんかも読んだし、ナルニア国物語の絵本も読んだし実母に読んでもらったりもしました。不思議の国のアリスは病院の待合室で読んだことがある。持病もないが思えば風邪ばかり引いていていたのか病院の待合室でよく読んだ。NHKの子供向けの放送も結構視聴したように思う。特に人形劇が好きだった。私は男性だが、少女が活躍するようなおジャ魔女ドレミ的なものもセーラームーンも、そしてウルトラマンや戦隊モノもよく視聴した。借りたのか鉄腕アトムも一時期1話か2話分途中のものを観たが断片的だった。リボンの騎士もみたような気もするけどこれも鉄腕アトムのように断片的だ。借りたのかどうか知らないがゲゲゲの鬼太郎はそこそこ観た。おそらく幼児のころに日本昔話も観た。小学校低学年になってもNHKの日本の昔話は観た。みつばちマーヤ花咲き爺さん風の又三郎竹取物語かちかち山浦島太郎や桃太郎や打ち出の小槌がでる握りがころがっていく話などは読んでもらっていたように記憶するというか昔家に絵本があった。幼児がよむものが20冊くらいは少なくともあった気がする。思うに我が父母はある程度親ばかであったし祖父母叔父叔母も孫ばかであったのです。
小学校低学年のとき借りて観たナウシカも印象深い。ジブリは有名なのは借りたと思うしほぼ好きです。高校生になるまではルパンは面白いけど苦手でした。けどコナンは安心して見れました。
小学生のころ、しんちゃんドラえもん名探偵コナンとかは自ら録画した。セーラームーンからおジャ魔女ドレミも当時でているところまですべて借りて観たくらい両親と共にアニメがあるビデオ屋に通っていた。ガンダムも初期のだけ全て借りたがバトルシーンしか見なかったのは単純な理由で戦争の話でその言葉遣いが嫌だったキャラが死ぬし。父と母も初期がいい他は別にといっていた親子だけあって感性が似ている。今でこそ児童文学の文学性や作風が好ましいとおもうけど、小学生の私には児童文学には縁がなかった。サブリナを観て喜んでいたのである。ただディズニーにも縁がなかった。アニメの棚にあっても借りようとは思わなかった。理由としては近代現代に近いディズニー的な眠れる森の美女の話の構造が嫌いだった。ディズニーよりもセーラームーンや戦隊モンが好ましいと思った。アラジンとかトムとジェリーは観たが。ミッキーやらミニーとは何なのか理解していなかった。クマのプーさんは観たし感動していた気もする。ミッフィーも観ていた。ムーミンは馴染めなかった。忍たま乱太郎が割と楽しみだった。笑点とサザエさんは親戚揃ってよく視聴した。ヤッターマンはほとんど観なかった。アメコミみたいなものも観なかったが病院に行くと放送していたのか録画されたものが流されていた。割と新しい方のマンガだとらんまも借りて視聴していた。その時の週刊誌のマンガのアニメとは縁がなかったし買い与えてもらわなかったし週刊誌の存在も意識しなかった。昔のアニメにはまり文庫や新刊本をねだることもなかった。私は日頃学習する小学校低学年時の国語の教科書にあるような作品は自ら読まない子だったが兎に角いろいろアニメを観ていた。おもちゃのなんだっけとか、花より団子とか女の子向けも観た。ジャンプ作品だとこち亀はアニメを観た。ワンピースは観なかったから話題についていけないでいた。メガレンジャとかに比べてカーレンジャーの異質さを語りたかったけど、合体ロボは良かったですね、ろぼが車だったり修理工場の設定は根源否定ですが終始ダサかったです。小学生低学年もっと幼かったですか脚本がカオスでしたね、あれこれはギャグ作品ではないかと。カーレンジャーも戦隊ものかよう知らないですがカブトの話も設定はどうでもよかったけど脚本が異質でしたね。ダイナは普通でしたけどウルトラマンティガも変でしたよね。昔のアニメと比べてなんか変なヒーローものだって思いました。この感覚を小学校の低学年くらいに同年で共有したかった記憶がありますが周りでは週刊誌のマンガ原作やそのアニメやケータイ小説や少女コミックのアニメやらが話題にあがった。周囲は話題にするのはグロテスクな話が好きみたいでリアル鬼ごっことか怪談ゾンビホラーの話とかでそういう話もそうした作風も根っから苦手だったし作品が気持ち悪いと内心思った。まだドラクエのストーリーとかリロアンドスティッチとかの方がいいのにと思った。私の残虐性ばかり誇大な殺人やグロテスクや現実味のあるバイオレンスや裏社会の話などへの毛嫌いその辺は徹底していた。テレビでサングラスの外人が血を流していなくともカーアクションや銃撃戦をしていたらすっとリモコンをとってチャンネルを変えるほどだ。バイオハザードなどが小学生でも流行っていると知り正気の沙汰とは思えなかった。皆がロクヨンやその次のボックスでルイージマンションや大乱闘、プレステで銃ゲームやプレステ2で新しいドラクエやクラッシュの続編やカーゲームやらバイオハザードなんかをしているとき私はゲームボーイやスーファミをしていた。悲しいことにゲームアニメマンガでは話が全く合わない。アドバンスだという時期には、ゲームボーイで初期のポケモンすら碌に遊ばないで最速を目指しすぐにクリアして図鑑は放置しポケモンも即効で飽きたどれだけ話題になろうとアドバンスなんて要らなかった。もっぱら遊戯王のゲームボーイアドバンスカセットでCPU相手にカードを集めていたりドラクエのモンスターPT版で片手間にレベルをあげてみたりレアモンスターを配合したりした。遊戯王がアドバンスでもあると知り買ったくらいだった。アーケードもやらない自らもやらない。祭りの金魚すくい輪投げや温泉とかのモグラたたきとか出店の射的とかが好きだった。クレーンゲームは曾祖母と祖母がとってくれたけど、欲しくなかったのでそれをいっても祖母がよく遊ぶのでそれを観ていた。ボードゲームも全くしない。ウノさえ修学旅行前までその存在さえ知らなかった。チェスも存在を知らないのであった。将棋と囲碁だけはそういうのがあると知っていたし、将棋だけは実父の従弟と実父が曾祖母と祖父母の家で総計2時間くらいは少しさした、自ら経験した対局数は10回か20回かそこらで対局をみたのがそのうち5回くらい。親戚でトランプのババ抜きはそこそこ遊んだ。大富豪なんぞは中学の就学旅行までしらなかった。きっと世間知らずな子であった。テーブルトークRPGはわりとその存在は小学校高学年などに早くから知ったがクラブで同じ子が話題に出して言っていたから知るのだが今も一度も行ったことがなく、大人になるまでルールブックさえ買おうと思わなかった。買ってみたのもファンタジーを調べてみたら小説の参考になるやもしれぬという気持が起きたからであった。人生ゲームもすぐにやめてジェンガもしない。ベーゴマのプラスチックみたいなのとかロックマンやデジモンとか何が面白いのかわからない。正直、家にあった少女漫画とか昔の戦隊モノとか美容院とか床屋さんとかにあるこち亀のほうが面白い。ヤンキーマンガは何を目当てにしているのか理解できなかった、人情ものを求めてなぜわざわざ睨みをきかせ皺を寄せた野蛮そうな高校生が主役のマンガを読むのか不思議だった。1993年生まれの当時小学生の私にとって人情物はそれぞれ十数話みて飽きたが水戸黄門と暴れん坊将軍など時代劇や結構読み込んだりアニメをみたこち亀で間にあっている。人形劇は好きだったがひょっこりひょうたん島は何がいいのかわからなかった。ちびまる子ちゃんはよく観ていた。スーファミは下手だけどドラクエ123以外とドンキーコングばかり遊んでいた。ヨッシーのクッキーは難しすぎたし将棋ゲームはたまに思い出したように遊んだが人とも10回くらいしか対戦していない上でもって全く勝てないわけで1度遊んで数ヶ月は遊ばないというのを繰り返す。ムドーを何回倒したかわからない。パパスの悲劇も何度も観た。世がニンテンドーのボックスだのXboxだのプレステ2だのDSだののときプレステのドラクエ7は10回くらいはクリアしているクリア後もダーマ神殿付近とメタルキングのみでレベルを上げ続けたし職もモンスター以外はコンプして攻略本にあるスライム系統のコンプ難易度の高さに絶望したし輝く息マダンテ修得で満足することにした石板もコンプしたし泣いた。他に小学生のころは大乱闘とサルゲッチュとクラッシュと遊戯王のプレステ初期とそのプレ2のもの以外遊んだ記憶がない。私のPSのコンシューマーゲーム歴はドラクエ8で完全停止したくらいだ。Wiiは初期のものだけ買ってスマブラXやマリオギャラクシーやペーパーマリオに1年2年で飽きて碌に遊んでない上に手放した。ロクヨンのドンキーの難易度がトラウマであるのでその後は任天堂ゲームはなるべく避けた。有名どころだとファイヤーエンブレムやゼルダをプレイしたことがない。FFはずっと気になっていてもドラクエ馬鹿なプライドがあってしなかったが、大学生くらいのころ純うーるという絵師さんのイラストのファンになりFF遊んでみようかと思うも思いとどまり結局ドラクエだけでいいと思ってしまう。ドラクエだって美麗イラストや動画がつけば負けてない……筈だ、FFについては本当に無知でTwitterのtauya@takuya4313から純うーる先生にエールを送りたくて装備品を調べた程度。小学校高学年のころアークザラッドは初期と2作目を遊ぶ。もちろん機種は周回遅れで。アーケードはずっと遊ばず。温泉に行ったらSTFを遊ぶくらいで、スーファミのストリートファイターは弱すぎてCPUにも連戦していくとぼこぼこにされる上に説明書がなく技が狙って出せない。大学生になってラノベを読むまで待ちガイルさえ知らなかった上にストリートファイターの新しめのものはゲームセンターのアーケードでしか遊べないくらいに思っていた。東方は高校生くらいに存在をしるけど遊ぶことはなく、絵師がよく描くのだなくらいでキャラクターに愛嬌があり印象だけはよかった。中高はその当時はやったマンガさえ読まなかった。相変わらずグロテスクへの耐性は皆無デスノートはLの映画まで人がノートにより良く死んでしまう以外の内容を理解していなかった。こち亀やネットで読むウェブ版workingくらいは読んでいて、コナンさえ読まない。ジャンプを買ってもらうのも小学校低学年を過ぎて一度だけだったしお小遣いで買うことも数えるほど。入院したときに買ってもらったがサンデーは自分で買ったことがない上にコナンも中古で買う。ゲームカセットもドラクエ8以外はほぼ中古。小学館の雑誌も講談社の週刊誌もラーメン屋さんや床屋さん美容院でしか読んでないくらいだった。素人オブ素人ながら講談社のマンガは全体的に職人肌だなとは思高校卒業まで深夜アニメは観なかったというか存在を知らなかった。角川作品をほぼしらないほどだった。高校生の頃はやはり俺の青春ラブコメは間違っているを教室で読んでいる素性を知らぬ学友がいてラノベの存在を知るほどであった。あのマンガみたいな表紙の本はなんだと気になってそののち古書店や新刊をおく本屋でラノベを知るも頬が染まった何かのラノベのキャラの表紙をみて卑猥なのかと思いとどまり棚に戻した。さながら少年誌作品の愛蔵版をみてカルチャーショックを起こした感覚であったしその記憶がよみがえった。エロ本への耐性がないわけではなかったが、子どもの頃の商業アニメをみていた思い出があり拒否感抵抗感があった。ガンダムのバトルシーンしか再生しなかったように壮大な設定があってなぜお色気があるのかエヴァの良さがわからないくらいであった。苺百パーセントやらこち亀やら、らんまはわかるけど、エヴァは嫌だとお色気ならお色気だけでいいと思ってしまいきり。そこが当時はなぜか不可解であった。銀玉とBLEACHだけは買ったしBLEACHは映画も観た泣いたし泣けてくる。児童文学を読むのは大学生からだ。不思議の国のアリスの原文をすごく時間をかけて英文が苦手だったが訳しながら読んで宝島や宮沢賢治の本を一冊だけ読んだ。あとは児童文学の学術書を読んでそれきり。ルイスキャロルとスティブンソンの訳文が好きなだけである。正直他は流し読みしかしていない。グリム童話はぺらっと。イーリアス?や世界の国々の神話は大学で一ページ数秒で流し読んだ内容は把握せずにどんな感じか語句が使われるか見た。日本の児童文学は読んでいない。女性作家の本は多少の所蔵はしているけれど女性作家や女性向けの作風は少女漫画を読み自分には決してあの感性を真似できないことは分かっていたから手を付けなかった。ぺぺぺっぱららぱらぱらと文の調子を読み、あらすじだけ読んで後書きを読むくらい内容は感性が違い過ぎて脚本ともいっていいし時代小説っぽいなと。似たように時代小説も所蔵している程度だ。アニメ風イラストを使う文芸書でもラノベ感覚で読むとラノベよりもより脚本っぽいし含蓄がありビブリや古典部凄いなと思ったりしていたが、一般文芸的な読書歴は秘密であるがものすごく浅い読書歴である。国文学への知識は相当に浅い。中学にあがってもまだ親しみがあったが高校では打って変わり小学校のころはこころよく思った四字熟語や漢文調に対しては古文やら漢文の文法を教えられて嫌気がさしていた国文学も同様で日本の文学や英文あらゆる文法の解説冊子が大嫌いだった。接続がなんだの助動詞だのなんだのサ変だラ変だマイナー変格活用を詠唱させられて仏教のお経をよく分らず読まされたころを思い出して無意味に思えて嫌気がさした。だから明治文豪の漢文調の現代文は難語があって四字熟語や慣用句や旧字がまあ新鮮だった。和歌やら俳句やらもよかったが国語教育のなかでは唯一の興味関心としての救いだったが同時に飽きるのも早い。文明論集や、短編集のなかの「雛」を読んでこれ以上はないなと決めつけた次第です。漢文はまだ面白いのがあるやもとの期待はあったが、まあ普通に暮らしていて馴染みがないわないわ。宮沢賢治のひらがなを多用する詩は良さが理解できなかった。彼を称えた解説文章もエロスだなんだと一義でない多様な意味合いをもつ語を駆使しているが全く賛同できない。宮沢賢治の本文はその文体や表現の美しさに全く理解できないものでもないが、語呂もよく読み上げて美しく心情豊かで文体もいいし地の文は質が高いが物語り自体は読みたいとは思えない。英文学のネイティブの尊ぶ音感的な文章センスがあるのはわかるがそれまで。確かに素晴らしいが宮沢賢治はその一冊だけだが合わないから本好きとしても俄かなのだと我ながら思う。戦隊モノやセーラームーンやこち亀みたいな日向性が感じられないのです、あまりにも詩的でありそこに考えさせすぎるのは苦手なのです。とはいえ私はなぜか真似しようとしても戦隊モノのような作風にできないのですが。どうも風景や地の文か会話文で諄い描写をいれないと気が済まない、いいやそういう風にしか表現できない。白砂のシェスタでは叔父である官者とあるくだけで主人公を旅に出すことすらできないでいました、いいやそんな危ないよと作品の世界感でも現実でも道徳的にありえないと思って書けない、これは小説を書く思いであったのにそれにもかかわらず王道を書けずに文字書としての深刻な悩みでしたし、未だに冒険の意味で旅するのは書けないのです。
小学校時代の文芸書への失望が未だに私の創作への態度にも影を落とすのです。
文芸への失望その言葉を大枠で表すと文章が映画やアニメや映像や漫画やイラストなどの絵に勝てないことでもありますがそれだけでは説明できません。
娯楽に関しては、異様にグレるだとか裏社会らしさだとか狂気だとかグロテスクだとか刺激だけのものに拒否反応が強いのです。
連続殺人や残虐な戦争映画や暴力をするヤンキーもの猟奇殺人やゾンビやホラーが大嫌いです。グロテスクなバイオハザードはすこしファンタジーなストーリー性があるけどそうであってもリアル鬼ごっこやら反社会な借金取りや麻薬だの要素や浮気だのバイオレンスなのがでてくる文芸なんぞそういうのは嫌いです。しかしSFは戦隊モノのように現実身がなく芝居っぽくてそこが助けとなり忌避はないです。私はジャンルを問はず読みます。そこは大学に通いラノベを知りラノベに児童文学の要素を感じてそれがきっかけでジャンル問はず読むことは確立できたのですが未だに苦手意識があります。あくまで読めるしいろいろ小説を書くためにあるいは知見を拡げたいがために読もうとするしとりあえず書店で苦手なジャンルの含む文芸も他の文芸共に買うだけで読みたいわけではないのです。科学知識も疎いけどSFアニメのなかで本で続きがあるいはこの構想でノーカットで読みたいと思うのは印象深いのはガリレイドンナくらいでした。軍らしさがあり戦い過ぎですのでガンダムはなじめませんなんとなく一部のキャラが野蛮です。
書店の棚にあるタイトルがどれもくだらないそう思えたのです。タイトルからして内容はグロい刺激物ばかりです。どんな話だかわからないタイトルや帯やあらすじが少ないのです。殺人事件とか書いてあったりします、台無しです。SFにしてしまえばありなのですが、殺人グロテスクグレてる反社会的というのはそんなものはそもそも話として読みたくないのですが。令和になる前にも殺人がないミステリーを謳う作品が新刊を扱う書店でも増えてきましたが嬉しい限りです。まあ検閲規制していくというのは考え物というかよろしくない価値観ではありますが。眠れる森の美女が簡略化されていきなおかつ改変されて王子が眠る美女に口づけるところが目立つようになるくらいに、殺人グロテスクグレてる反社会的という小説は気持ちが悪いのです。道徳がない道理がない流れに無理がるのです、文の運びに流れもなってない道理もない上に所詮フィクションですし嫌悪まではいかないのですが生理的に受け付けない。ゾンビをみたような、あとは初めて知る惨いカルチャーショックとも違う、なんというか、忌避感覚があります。
文明論集でいう、その場その場で書き手に善か悪かで動きかされて物語が人間に至っていない、という感じがするその表記振りがしっくりしますが、なんだか人にも至っていないし動物としてさえ無理があるし無理があると登場人物に対し自覚させて意図して理不尽無理が通る作品の構図に呆れます。そうした架空への趣向も人間にあると理解できなくはない、しかし筆舌に尽くし難く思えて単に気持ち悪いのです。ジャンルは問はず読むのですが、文芸へのある種への失望ともいえる忌避感情こればっかりは一生治らない気がいたします。