異世界転移で勇者になりました。魔王を倒したら「もう必要ない」と処刑されそうなので、“絶対支配”の力で王国を破滅させます!
王国歴1875年、ついに魔王は勇者に討たれ、大陸は王国により統一された。
人々の命を脅かしてきた魔物たちは、その主たる魔王からの魔力供給を絶たれ、力のほとんどを失った。
“見た目が不快な魔物”は無差別に駆逐され、“素材として利用価値のありそうな魔物”は家畜となり、“かつての魔王軍幹部”は王都の牢屋でギロチンショーの順番待ちをしている。
民は歓喜し、浮かれ、しばらくの間はどこの街でも毎日のように宴が開かれていた。
そんな中、魔王討伐に参加した勇者一行は、王から莫大な褒美を与えられることとなった。
参謀かつ後衛として戦いに貢献した賢者には、かつて魔王が所有していた広大な土地を。
敵の攻撃から味方を守り、傷も癒していた修道女には、教会の大司教の地位を。
城に仕掛けられた罠を解除し、戦闘中は毒などを駆使して縁の下の力持ちとなっていた盗賊には、金と財宝を。
他の面々――戦士や弓使いなどにも、同等の褒美が与えられた。
そして最後に残ったきらびやかな鎧を纏った黒髪の少女――勇者。
旅の途中で得た“神器”と呼ばれる武具を駆使し、間違いなく最も魔王討伐に貢献していた彼女には、さぞ多くの褒美が与えられるのだろう。
欲の薄い彼女は、そこまでの報酬を要求したつもりはないのだが、他のメンバーの内容を聞いていると、やはり期待はしてしまう。
勇者とて人の子、無欲というわけにはいかないのだ。
「勇者よ、お前への褒美はこれだ」
玉座に腰掛ける王が言う。
頭を垂れた勇者に、二人の兵士が近づいた。
そして彼女の手を取ると――手首に、手錠がかけられる。
「え……?」
呆然とする勇者に向かって、王は告げた。
「欲が薄い人間というのは、どうにも御しにくいものでな。魔王を討ち倒すほどの力を持っているとなれば、放っておくわけにもいくまい」
「ど、どういうことなんです王様っ! 私は今日までこの国のために頑張ってきたはずです!」
「それなのだ勇者。“この国”などという形なきものに、己を捧げられるお前が恐ろしい。だからこうするしかなかったのだ」
勇者から、サッと血の気が引いていく。
手錠には魔力を封じる効果があるのか、うまく身動きすら取れない。
彼女は助けを求めるように周囲の仲間たちを見たが、みな揃ってニヤニヤと笑っていた。
誰に対しても優しく接していた修道女ですら、無表情で目を背けている。
「だったら……だったらせめて、元の世界に帰せばいいじゃないですか!」
「できん」
「どうして!?」
「不可能だからだ」
悪びれもせずに言い切る王。
勇者の心に失望が広がっていく。
「嘘……ついてたんですか? 戦いが終わったら元の世界に戻してやってもいいって、最初に言ってたあの言葉すらも嘘だったって言うんですか!?」
勇者は召喚者だ。
異世界から呼び出され、この世界にやってきた。
そしてはじめて、誰かに必要とされたのである。
だから別に、勇者は帰りたいと望んだわけではない。
ただ、旅に出る前に王からそう聞かされたというだけで。
だがそれすらも嘘だったと言うのなら、もはやなにも信じられない。
「……もうよい、連れて行け」
『はっ』
兵士は声を揃え、勇者の両腕を掴み、立ち上がらせた。
力ずくで引き上げられ、彼女の表情が痛みに歪む。
しかしそれ以上に表情を変えたのは、怒りの感情だった。
「ふざけるなぁっ! 私が、私が今日までどれだけ頑張って……! みんなだって知ってるよね? ねぇっ、なんとか言ってよぉ! 友達だって! 戦いが終わったってずっと一緒だって約束したじゃん!」
王の前に跪く仲間たちに呼びかけるも反応はない。
「姫様っ! 姫様も友達ですよねっ? 私は親友だって、そう言ってくれましたよね? ねぇっ!」
続けて、同世代ということで親しくしていた姫にも呼びかける。
すると彼女は今まで見たことのないような邪悪な笑みを浮かべ、口を開いた。
「くふっ、くふふふふっ! 聞きましたかお父様。友達ですって。誰の血を引いているかもわからない馬の骨が、由緒正しい家系の私たちと友達ぃ? バッカみたい! きゃはははははっ!」
それは目の前で対峙した巨悪――魔王の言葉よりもずっと、悪意に満ちていた。
「な……なんで……」
呆然とする勇者。
夢だと信じまばたきを繰り返すも、なにも変わらない。
「はしたないぞ、ティアラ」
「だって、だってぇ、わたくしの演技に騙されてはりきる勇者様の姿を思い出すと、どうしても笑いが抑えられないんですもの。くふふふふっ!」
「演技……?」
「そう、演技! 友情だとか努力だとか熱血だとか、あなたの世界の人間はそういうのが好きなんでしょう? ですからそういう演技をして、最大限にあなたの力を利用させてもらいましたのぉ!」
モチベーションは重要だ。
場合によっては途中で脱走される可能性もあるため、なるべく高い状態を維持しなければならない。
だが、異世界より呼び出された勇者には、この世界を救う強い動機が存在しない。
それを作るために、ティアラ姫はあえて勇者と親しくし、“守るべき相手”として今日まで振る舞ってきたのだ。
「やめて……聞きたくない、聞きたくない――ふぎゅっ!?」
歩み寄ったティアラが、勇者の顎に手を当てると、頬が歪むほど強く掴む。
そして顔を近づけ、さらに口角を吊り上げた。
「いいえ聞きなさい。ただの雑種が、今日までわたくしと友達ごっこができていた。それがどれだけ光栄なことか理解していますの?」
「やだ……ティアラはそんな顔……しないっ」
「ティアラ! ティアラですってぇ! きゃはははははっ、聞きましたかお父様! このゴミ虫、姫であるわたくしを名前で呼びましたわよ!? なんて無礼なのかしら! なんて不躾なのかしらぁ!」
目に涙を浮かべる勇者を糾弾しながらも、ティアラはどこか楽しそうだ。
「だって、そう呼んでいいって……」
「社交辞令ってわかりません? いえ、わからないですわよね、あなたのようなろくな教育も行き届いていない下等な民には」
心の底から蔑み、見下した目で勇者をにらみつけるティアラ。
彼女が「離しなさい」と指示を出すと、勇者の両腕が解放され、床に崩れ落ちる。
座り込んだちっぽけな少女の腹に、ティアラは思い切りつま先をめり込ませた。
「はぐぅっ!」
突然の暴力に、痛み以上に驚き、声をあげる勇者。
「考えてみなさい勇者様ぁ! わたくしを含めた全員が、あなたのことを名前で呼んだことありましたぁ?」
ティアラは勇者を責め立てながら、繰り返し繰り返しその体を蹴りつける。
「ぐっ、うぐぅっ!? ら、らっへ……か、ふ……敬意、がっ……」
「職業は名誉ある称号だから名前より優先される! そう聞かされていたんですのね? そしてそれを、都合よく信じていましたのねぇっ!?」
「ひ、やめっ、べっ、ぐ……!」
「きゃはははははっ! そんなの信じるなんてあなたの脳みそは空っぽですわねぇっ! 少し考えればわかるでしょうっ、それが嘘だってことぐらい!」
気分が高ぶってくると、彼女の足は体だけでなく、顔にまで振るわれた。
さらに痛みに耐えきれず倒れ込んだ勇者の頭を、つま先で踏みつける。
「最初からみな、あなたのことは使い捨てのお人形としか思っていませんわぁ!」
「嘘、らよ……嘘、そんなの……」
「だったら見てみなさい彼らの表情を! 堂々と肩を震わせ笑う賢者! 盗賊! 戦士! あの修道女ですら笑いをこらえているではないですか!」
「み、みんな……?」
すがるように、かつての仲間たちを見る勇者。
だが彼らはティアラが言った通り、みな笑っている。
まるでドッキリのネタばらしを楽しんでいるように。
「なんでっ、なんでそんな顔してるの……? 助けてよ、お願いだからぁっ、ぎゃぶっ!?」
ティアラは靴のヒールを勇者の喉に突っ込むと、そのまま力任せに踏みつけた。
「がっ、がひっ、ひ、ゅ……!」
「あなたはただの魔力塊。魔術の使い方も、知識も無いのですから、神器が無ければただの血が入り混じった肉。そんなものに情が湧く人間なんていませんわ」
「に、にきゅ……?」
「そう、肉ですわ! 使い終わればギロチンに首を刈られて噴水のように血を噴き出すしか使いみちのない! 豚以下の! 虫以下の! 最低最悪の役立たず!」
さらにそれを繰り返す。
勇者は口から唾液混じりの血を吐き出しながら、潰れたカエルのようなうめき声を漏らした。
「もうそのあたりでよいだろう、ティアラよ」
「はぁ、はぁ……申し訳ありませんお父様、わたくしとしたことが。今日まで溜まりに溜まったストレスを解消するには、これぐらいしなければ足りなかったのです」
「いいなぁ、姫様。あたしもやりたかった」
サディスティックな笑みを浮かべ、賢者は言った。
彼女はティアラと普段から本当の意味で仲がいい。
おそらく趣味が合うのだろう。
「あら賢者様、でしたら牢屋に閉じ込めている間に思う存分遊ぶといいですわ。わたくしもそうするつもりですから」
これだけ痛めつけてもまだ足りないというのか。
ティアラは『家畜用の鞭を手配しないと』――などとさらに残酷なことを考えている。
「ふぅ、せっかくの靴が血で汚れてしまいましたわね」
そう言って、彼女は赤く染まったつま先を勇者の頬に押し付ける。
だがうまく血は拭き取れない。
「う……うぅ……」
「まったく、ボロ布としての役割も果たせないなんて」
「はぐっ……」
不愉快そうに頬をけとばすと、勇者は小さく喘いだ。
だが反応は薄い。
こうなってしまうと、ティアラも楽しめない。
彼女は飽きた様子で、兵士に指示を出す。
「連れていきなさい、こんなゴミは玉座の間にふさわしくありませんわ」
姫を見ながらさすがに引いていた兵士たちだったが、素早く動き、また勇者の体を持ち上げる。
そのまま玉座の間を出て、王城の地下牢へと向かうようだ。
「うそだ……うそだ……こんなの、うそだ……」
勇者は意識を失うまでの間、ぶつぶつとそうつぶやいていた。
◇◇◇
――少女の名は、須崎恋奈と言う。
一般的なサラリーマンの家庭に生まれ、ごく普通に育ってきた彼女だが、その人生に転機が訪れたのは高校に入学したばかりの十五歳のときだった。
父親が会社の金を横領し逮捕されたのだ。
しかもその金は全て不倫相手の女につぎ込んでいた。
恋奈と母は被害者だ。
しかし世間から見れば、二人は“犯罪者の家族”に過ぎない。
ほどなくして母は精神を病み、自殺。
一人残された恋奈も高校で生徒だけでなく教師からもいじめを受け、退学を余儀なくされる。
それからコンビニバイトとして一年間フリーター生活を送っていたが、そこでも父のことが知られ、半ば強制的に退職。
同時期に借りていた部屋の大家にもそれがバレて、退去を命じられた。
親戚も恋奈のことを厄介者扱いしており、誰も面倒は見てくれない。
『お母さんと同じところに行こう』
そう決意し、遺書を残して、自分を虐げた高校に復讐をするように、その校舎の屋上から身を投げた。
だが――彼女は死ななかった。
その瞬間、体は光に包まれ、気づけばこの異世界へやってきていたのだ。
恋奈は勇者の素質があると言われた。
事実、異世界から来た彼女には、この世界の人間とは段違いの膨大な“魔力”があった。
だが彼女はその使い方――つまり“魔法”を知らない。
今から学んだのでは、魔王の侵攻を止めることもできない。
だから神器と呼ばれる装備を使い、“魔力を込めるだけで力を発揮する”特性を使って、魔王に挑んだのだ。
もちろん一人じゃ無理だ。
たくさんの仲間と一緒に旅をして、支え合って、助け合って――そしてようやく、目的を果たすことができた。
あちらの世界では得られない達成感があった。
この世界なら、誰も自分の父のことを知らない。
だから今度こそ幸せになれるはずだ――そう信じて止まなかった。
今日が来るまでは。
◇◇◇
「う……あ……ぁ……」
恋奈は目を覚ますと、薄暗くじめじめとした地下牢にいた。
ティアラに踏まれたせいか喉が痛い。
呼吸をするたびにじくじくと痛む。
蹴られた頬や腹にも、同じく鈍い痛みが残っていた。
お腹を手で抑えながら起き上がる恋奈。
「ここ……は……」
喉の傷のせいで、うまくしゃべることすらできない。
かすれた声で言いながら、周囲や自分の体を確認する。
愛用してきた鎧は外されていた。
他の装備も無い。
当然だ、神器があれば、彼女は容易くここから脱出できてしまうのだから。
さらに首輪がつけられ、壁に固定された鎖とつながっている。
その扱いは完全に、獣畜生に対するそれだ。
唯一の救いは、首輪がただの、特殊な効果などないものであることぐらいだろうか。
もっとも、それがあろうとなかろうと、恋奈にここから脱する手段など無いのだが。
「よう勇者様、みじめな格好だなァ」
恋奈が呆然としていると、向かいの牢屋から誰かが話しかけてきた。
青い肌にボロボロの布きれを纏ったその豊満な女性は、元魔王軍幹部、アークデーモンの“ディジーズ”だ。
恋奈とは幾度となく激しい戦いを繰り広げた相手だが、魔王が消えたあとは、ここでずっと処刑の順番待ちをしているらしい。
だが牢にいる間も虐待を受けたのか、アークデーモンの象徴たる立派な角は、半分ほどでぽっきりと折られている。
「アタシは何度も言ったぜ、あいつらは“血”にこだわる。正義よりも理念よりも血なんだってな」
確かにディジーズは、繰り返し恋奈にそう言って、魔王軍に勧誘してきた。
しかし恋奈は耳を貸さなかった。
魔王軍――つまり敵の言葉より、仲間のことを信じていたからだ。
「異世界から来たお前のことなんざ、最初から同じ人間とは思ってなかったんだよ」
「そんな……の……」
「あぁ? まだ信じないってのか? なんつう愚かな……いや、そうでもしないと心が壊れちまうからか?」
「……」
恋奈は目を伏せ、黙り込んだ。
図星だったからだ。
「ま、あいつらもそういうやつを選んだんだろうなぁ。レナ、お前は異世界から連れてこられたんだろ? だったら、元の世界に帰りたいってやつより、この世界に居場所を見出そうとするヤツのほうが操りやすい」
「さいしょ、から……」
「ああ、最初からだ。ずっとそのつもりだったんだよ。人間ってのは、そういう生き物だ」
違う。
そう言いたかったが、今の恋奈には無理だ。
人の醜さの極致を、さっき見せつけられたばかりなのだから。
「お前らはアタシら魔族を悪だと決めつけて戦ってたが、それは違う。あれは戦争だ。そして戦争に善悪なんて無い。勝った方が善で負けた方が悪になるって結果はあるが、戦ってる途中にそんなもんは決められないんだよ」
勇者たちは、なんどか魔族の村を襲ったことがある。
魔族はときに、人を喰らうこともある。
おそろしい化物だから、無抵抗の相手を殺したって問題ない。
そういう、“人として当然の倫理観”が、抵抗感を薄れさせた。
だが――人だって、魔族を喰らうことはある。
豚の姿をしていれば『豚肉だ』と喜ぶし、竜だって『縁起が良い』と鱗や爪、ときには目玉まで奪い取り、肉も『不老不死の妙薬になる』と言って利用する。
そこに、どんな違いがあるというのか。
「勇者って……呼ばれて……浮かれてた……」
「仕方ねえだろ。そこを責めるつもりはないさ、戦争だからな」
「殺さなくていい人たちも……殺してた……」
「そこはお互いさまでもある」
「信じていたものは……ぜんぶ……うそ、だった……」
ディジーズは、恋奈を憐れむ。
そして虚空を見上げて息を吐き出すと、視線を合わせないまま彼女に問いかけた。
「復讐したいって、思うか?」
「……それは」
確かに恋奈は勇者だった。
そう呼ばれたから、そう振る舞おうと努力した。
だからなによりも、自分の倫理観にしたがって“正しさ”を貫き、“嘘”を憎み、初対面の相手にも“優しさ”を与えた。
それが勇者だからだ。
しかし、その仮面が――あるいは重荷が無くなった今、清廉潔白な人間を演じる必要などない。
もとより恋奈は、普通に誰かを憎むこともあれば、怒ることだってある等身大の十五歳の少女なのだから。
「したい。復讐……したい。むかつくから。頑張った私を……踏みにじったあいつらが……憎い、から」
「そうかい、気が合うねえ」
「……?」
「アタシもそうなんだよ。ま、あんたの境遇は前から薄々わかってたからいいとして――国を滅ぼした挙げ句に、仲間や家族の死をまるでショーみたいに楽しむ醜悪な連中が、憎くて憎くてしょうがない」
ディジーズは牙をむき出しにしながら語る。
「潰してやりたいねえ。でもそれは無理だ、アタシとレナの力だけじゃあ、数の暴力に潰されちまう」
「どう、するの?」
「レナ、あんたには確かに膨大な量の魔力がある。でもあいつらはその使い方を教えなかった。なんでかわかるか?」
以前ならわからなかった。
だが今の恋奈にはわかる。
「逆らわないように……するため」
「そうだ。つまりあいつらは、あんたが魔法を扱えるようになることを恐れてる。そんだけの力があるんだよ」
「私に……力が……」
神器がなければなにもできないと思っていた。
だがあくまで、神器は出力装置にすぎない。
その根源は、紛れもなく恋奈の中にある魔力なのだ。
「どうだいレナ、アタシと組まないか? 処刑までどれだけ時間があるかはわからないが、この場所でもあんたの力がどういう類のものなのか、見極めることはできる。見極めれば、鍛えられる」
「……ディジーズ、さん」
「ははっ、呼び捨てで構わないさ」
「ディジーズ……私……手を、組む」
「ひひひっ、いい返事だレナ。じゃあさっそく始めようか、あんたの魔法が、“どういう形”をしているのか確かめるために――」
◇◇◇
ティアラは不機嫌だった。
兵士に家畜用の鞭を持ってくるよう頼んだのだが、父に止められてしまったからだ。
あれは力加減を間違えると、囚人の命を奪ってしまうのだという。
今の弱っている恋奈は、テンションの上がったティアラが鞭で滅多打ちにすればあっさり死んでしまうだろう。
だから仕方なく、部屋から裁縫用の針を持ってきた。
これで恋奈の指を一つずつ突き刺していくのだ。
慣れてきたら、次は釘とハンマーを持ってきてもいい。
それなら鞭よりも手に入れるのは楽だろうし、痛いだけで死にはしないだろう。
もちろん後遺症は残るかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
なぜなら、どうせ数週間後には、恋奈はギロチンにかかることになっているのだ。
ティアラの戯れは、それまでの余興に過ぎない。
「こんにちは、勇者様。ご機嫌はいかが?」
彼女は、楽しそうに鉄格子の向こうで横たわる恋奈に声をかけた。
返事は無い。
これは罰を与えねば。
牢の入り口で受け取った鍵を使って扉を開くと、鎖で繋がれた恋奈に近づくティアラ。
「ほら、お姫様が来たのだから、返事ぐらいしなさいよ用無しのお人形さんっ♪」
彼女は遠慮なしに、恋奈の腹を蹴りつけた。
「うぶっ……」
「ふふっ、よかった。もう死んでしまったのではないかと思って心配しましたのよぉ?」
ようやく反応を得られたことで、ティアラは満足げである。
そして今度はしゃがみこみ、黒い髪を鷲掴みにして、頭を持ち上げた。
やつれた顔が目の前にさらされる。
「くっふふふふふっ、きゃははははははっ!」
そのザマを見て、ティアラは腹を抱えて笑った。
なにがおかしいのか、恋奈にはさっぱりわからなかった。
「近親相姦を繰り返してきた連中の考えることはわかんねえな……」
向かいの牢で黙って見ていたディジーズも、似たような感想を抱いたようだ。
「はあぁ……勇者様は本当に逸材ですわね。召喚されてこちらにきたときから、何度もわたくしに笑いを提供してくださいますわ」
「……」
「ここで無様に命乞いでもしてくれれば、もっと愉快なのですが。ほら勇者様、人形は人形らしく、操る人間の言うことを聞くべきですわよ」
髪を掴んだまま、恋奈の頭を揺らすティアラ。
それでもやはり、リアクションは薄いままだった。
「ふぅ……食事を抜いたのは失敗でしたわね」
それだけではない。
ティアラは牢を管理する人間に、『恋奈が眠らないよう監視しろ』と命令していたのだ。
なので彼女は、投獄されてから、一度もまともに睡眠をとっていない。
消耗しきっているのも当然のことである。
「これでは、指に刺したぐらいでは思うように鳴いてくれそうにありませんわね。あ、そうですわ! でしたらこれはどうでしょうか!」
ティアラはぱちんっ、と手を叩いてはしゃぐ。
よほどの妙案が思いついたらしい。
彼女は「よいしょっ、よいしょっ」と言いながら雑に恋奈の背中を壁にもたれさせ、しゃがみこんで視線を合わせる。
そして、持ってきた針を恋奈の目に近づけた。
「目なら、多少見えなくなっても問題ありませんものね。むしろそちらのほうが、ギロチンでの処刑がいつ行われるかわからないから怖いかもしれませんわ! ああぁ、わたくしったらなんて天才なのかしら! それじゃあ片目に何本まで針が刺さるのか、実験してみましょう!」
一人で盛り上がるティアラを見て、思わずディジーズは「狂ってやがる」とつぶやいた。
恋奈は必死でこの王国を守るために魔王と戦った、肌の色も同じ“同族”だ。
そんな彼女に向かって、罪悪感を抱くどころか楽しみながらこんなことができてしまうのだ。
間違いなく狂っている。
しかしそれが、王国の人間にとっては普通のこと。
恋奈は思う。
こうして客観的に見てみると、部下を守ろうとした魔王のほうがよっぽどまともだったのだな、と。
「さあ勇者様、思う存分、苦痛の音色を響かせてくださいま――」
ぐいっと顔が持ち上げられ、二人の視線が絡み合う。
そして恋奈は――ディジーズから教えられた自らの“力”を発動させた。
「絶対支配、第一段階」
かすれた声でそう言うと、瞳ごしに恋奈の魔力がティアラの体内へと送り込まれる。
「あ……がっ!?」
目を限界まで見開き、ガクガクと頭を痙攣させるティアラ。
さらに半開きの口の端からも、だらりと涎が溢れ、顎から滴り落ちる。
「ガ、ガガッ、グ、ガガガッ……!」
まるで壊れた人形のように無意味な声を垂れ流す。
脳が書き換えられているのだ、こうなるのも仕方のないこと。
そしてリライトが完了すると――ビクン、とひときわ大きく体を震わせ、糸が切れたように体から力が抜ける。
「う……うぁ……」
「ひひっ、やったなレナ」
「まだうまくいったかわからないから」
「間違いなくお前の魔力はその女に注ぎ込まれた」
「でも……ショックで壊れたりしたら意味がないし」
「問題ねえだろ。ほら、起き上がるぞ」
頭を抱えながら、ふらふらと体を起こすティアラ。
彼女は指の間から見える目で、忌々しげに恋奈をにらみつける。
「な、なんですの……? わたくし、どうしてこんなところで寝て……」
前後の記憶は曖昧で、恋奈にされたことも思い出せない。
だが手元にある針を見て、自分がなにをしようとしていたのかはわかったようだ。
「そうですわ! わたくし、あなたのことをいじめに来たんでしたわね。くふふふっ、それではさっそく……」
ティアラは針を投げ捨てると、恋奈の両頬に手を当てた。
そのままなにをするのかと思えば――いきなり顔を近づけ、迷いもなく唇を重ねる。
「ん、ふっ……」
鼻がかった甘い声を漏らすと、さらに彼女は口を開き、恋奈の口内に舌をぬるりと滑り込ませた。
「ふぅっ、んふ……はふっ、むちゅ……ちゅ、ふっ……んっふううぅ……っ!」
まるで恋人にそうするように、必死に恋奈の唇を求めるティアラ。
その手はいつの間にか背中に回され、体同士もぴたりと密着している。
「んっ、んくっ……んふ、ふううぅぅんっ♪」
恋奈も彼女の求めに応じ、舌を差し出した。
するとティアラの声も跳ね、さらに動きが激しくなる。
それから、二人のまぐわいは数分間続き――ティアラのほうから「ぷはぁっ!」と顔を離した。
唇と唇を唾液の糸が繋いで、重力に引かれてすぐに消える。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ティアラは肩を上下させながら、頬を上気させ、潤んだ瞳で恋奈を見つめる。
彼女の心は、今まで感じたことがないほど幸せに満ち足りていた。
「くふふふ……どうだったかしら……んふ、わたくしの拷問は。きゃははっ、声も出ないぐらい辛かったんですのねぇ? 当然ですわ、あれだけ激しくしたんですもの!」
キスを“拷問”と呼ぶティアラ。
恋奈は頬をほんのり染めながらも無言を貫く。
ディジーズは笑いをこらえるため、必死に口を手で覆っていた。
「は、ふ……やはり、あなたのような下等な民が苦しんでいる様を見るのは……ふぅ、最高ですわぁ。勇者様、また明日も来ますから、楽しみにしていてくださいねぇ?」
そう言い残して去るつもりだったティアラだったが――立ち上がろうとして、よろりとバランスを崩してしまう。
どうやら初めてのキスで、腰が砕けてしまったようだ。
だが彼女にその自覚はない。
なぜくらくらするのかもわからないまま、恋奈に拷問をしたつもりになって、牢を去っていく。
彼女の足音が十分に聞こえなくなったことを確認すると、ディジーズは口から手を離し、盛大に笑った。
「ひひひひっ、ひははははははぁっ! いいもん見せてもらったよぉ、レナぁ! お前の力、最高じゃねえかっ! なあ!?」
「……ん」
恋奈は口元を抑えながら、複雑な表情を浮かべた。
彼女にとってもあれは、初めてのキスだったからだ。
「はじめてにしちゃあ上出来だったと思うぜ、アタシはな。第一段階は瞳を経由しての意識干渉。これで相手の常識をひとつだけ書き換えることができる。そして第二段階は、唾液を使ってのさらなる意識の支配! これが完了すれば、最終段階を経ることであいつは魂レベルで完全にレナの支配下に置かれる!」
それが恋奈の魔法――完全支配の能力だった。
魔法には、その人間の持つ深層心理が現れると言う。
彼女がこのような力を手に入れたのは、おそらくこれまでの人生で虐げられてきたがゆえに、逆に“彼らを見下してみたい”という欲求が存在したからだろう。
「でも、キスしないと支配できないなんて……」
「他の方法で唾液を与えられるならいいんだがな。でも、拷問したつもりになって、必死に唇を求めてくるクソ姫様の姿ってのも、なかなか無様で最高だったろう?」
「それは……そう、かもしれないけど」
否定はしない。
さんざん自分を裏切った人間が、無意識下で自分に服従する姿――それを見て、心臓が高鳴らないわけがなかった。
明日以降、更に唾液を通じて魔力を注ぎ込めば、ティアラはもっと恋奈に従順になる。
そうなれば、謝罪も服従も、自殺ですらも思うがままだ。
想像が広がる。
完全に支配できたら、どう扱ってやろうか――と。
「いい顔をしてるじゃないか、レナ」
「えっ?」
「今の笑顔、いかにも支配者って感じで、アタシ好みだった」
「私、そんな顔を……」
指先で唇をなぞる恋奈。
確かにその形は、自分で意識している以上に、曲線を描いていた。
◇◇◇
翌日以降も、ティアラは宣言通りに恋奈の元を訪れた。
その手には、昨日のように針は持っていない。
“拷問”は体一つでも成立する、それを身をもって学んだのである。
彼女は兵士から鍵を借りると、なぜか絶対に牢屋に近づかないように念を押して近づいてくる。
そしてどこか焦った様子で鍵を開くと、大股で恋奈の前に移動し、しゃがみ、視線を合わせるのだ。
すでに呼吸は荒い。
しかし自らの肉体が興奮していることに、ティアラが違和感を覚えることはない。
なぜならこれは拷問だから。
拷問で、サディスティックな欲望が満たされれば、当然そういった欲求も満たされ、体温は上がる。
だからこうして、久しぶりに会った恋人のように恋奈の唇を奪うのも、当たり前のことなのだ。
「ぶちゅっ、んちゅうぅ……っ、ん、ふっ、拷問は……本当に、気持ちいいですわねっ……ちゅうっ、ちゅううぅっ♪」
積極的に舌を絡めてくるティアラ。
昨日よりは慣れてきたのか、その動きは大胆だ。
恋奈も彼女がより唾液を飲みやすいように、舌を差し出す。
「はふぅ……勇者様……勇者様ぁっ……なんて無様な顔っ、なんてみじめな表情っ……! そんなに苦しいんですのねぇっ、むちゅっ、ちゅぶっ、わたくしのぉっ、拷問がぁっ!」
「んっ、ふ、れる……うん、苦しいよティアラ……ちゅぶっ、無様で、みじめで、苦しいよティアラっ……ぷ、はぷっ……!」
さらに慣れると、恋奈に言葉を発する余裕が生まれてくる。
誰が最も無様で、誰が最もみじめなのか――そんなものは見るからに明らかだったが、しかしティアラは“自分が恋奈を苦痛で支配している”と信じてやまない。
必死になればなるほど、恋奈をキモチヨクさせるだけだというのに。
「ちゅぷぅっ、んふぅっ……はぷっ、こんな……甘い味っ……拷問は、甘くて素敵ですわぁ……むちゅうぅっ♪ だったらもっと……もっとぉっ!」
◇◇◇
支配は進行する。
誰にも気づかれないまま、他でもないティアラ自身によって。
「ぷちゅっ、んふうぅ……勇者様ぁ……拷問、いいですわぁ……はふぅ、ん、ふぅ……っ」
もはや彼女は自ら責め立てることすら諦めた。
無意識下の服従が進んでいる影響だろう。
恋奈に押し倒されるような形で唇を差し出し、流し込まれる唾液をこくりこくりと飲み込むティアラ。
「んくっ……んくっ……広がって……あふぅ……むちゅっ、んふ……わたくしの中に……なにかが……広がって……拷問、素敵……」
目はうつろで、言葉もまばら。
それでも体だけは反応を続ける。
だんだんと無防備になるティアラを見ていると、恋奈の中でどす黒い気持ちが大きくなっていく。
◇◇◇
今日は少し違う趣向を試すことにした。
ティアラは「ごうもん、ごうもん」とうわ言のようにつぶやきながら、恋奈に唇を近づける。
二人の距離がゼロになると、自然とティアラの体から力が抜けた。
そしてまた、彼女は押し倒され、恋人に甘えるように首の後ろに腕を回して舌を捧げる。
「ちゅっ、ちゅうぅっ……んふぅ……はふっ、ふうぅ……」
「はぷ……ん、ぷちゅ……ほら、ティアラ」
「ふぁい……」
「呼んで?」
恋奈に命じられると、ぴくんとティアラの肩が震えた。
さらに目がうつろになり、まばたきを忘れたように恋奈を凝視する。
そのまま、彼女はある単語を発した。
「レナ……」
それは恋奈の名前だった。
徹底して“勇者様”としか呼ばなかった彼女が、はじめて恋奈の名前を口にしたのである。
一つのコンプレックスが消えたような気がした。
「レナぁ……ぺちゃ……ちゅっ、くちゅうぅ……こくん……んくっ……んふうぅ……っ♪」
見下される関係から、対等な関係へ。
一つの欲望を満たすと、恋奈の中で、また新たな欲望が生まれた。
「んっ……ぷはっ……はぁ……ねえ、今度は……“様”を付けてみてよ、ティアラ」
支配が浅ければ、抵抗されるかもしれない。
だがティアラは、そんな素振りはみせずに、だらしない表情で口を開く。
「レナ様……レナさまぁ……拷問、させてくださいぃ……っ」
ゾクゾクッ、と身震いするほどの感覚が恋奈の背筋を駆け巡った。
これが――他者を支配する悦びなのか。
一度味わってしまえば、もう虜になるしかない。
恋奈は獣のように荒々しく、ティアラを抱き寄せ唇を奪う。
「きゃあっ♪ んふっ、ぶちゅうぅっ、ちゅ、ちゅ、レナ様っ……んっふううぅっ♪」
◇◇◇
ティアラはその日、いつものドレス姿ではなかった。
給仕が使うメイド服を纏っているのだ。
当然、牢を管理する兵士は怪訝そうな表情をしていたが、姫に逆らえる立場の人間ではない。
いつものように鍵を開いて恋奈の前に立った彼女は、スカートの端をつまむと、メイドが主に向かってそうするように、丁寧に頭を下げた。
「レナ様、今日も拷問をさせていただきますわ」
そんな姿を見せられては、さすがにディジーズも笑いをこらえられない。
「ひひひひっ! いい趣味してるなレナぁ」
つぶやきでもなく、それははっきりとした声だったが、ぼぉっとした表情のティアラは気にもとめなかった。
彼女の眼中にあるのは、恋奈ただ一人。
高貴なる血を持たない恋奈を拷問で苦しめるために、愛しい主を慈しむように優しい口づけを交わすのである。
恋奈の前でひざまずき、頬に手を当て、いつもと違いゆっくりと顔を近づけるティアラ。
「ちゅうっ、ちゅぷっ……ん、ふうぅ……れるっ、ちゅぅ……」
だが頑なに唇を開かない恋奈。
なのでティアラは、ひたすらに唇をなめ続ける。
そのまましばらく続けていると、彼女は捨てられた子犬のような表情になり言った。
「レナ様……拷問を……拷問を、させてくださいませぇ……っ」
「ひひっ……」
牢屋の向こうから、ディジーズの笑い声が響く。
恋奈も同じ気分だった。
もはや拷問という言葉の意味は、完全にすり替わっている。
それに対してティアラは、一生涯、一切の違和感を抱くことはない。
それほど深く、恋奈の魔力は浸透しきっているのだ。
「じゃあお願いしてみてよ、ティアラ。どうしても拷問してほしいなら、それなりのやりかたがあるでしょ?」
「あ……は、はい……っ」
命じられるがまま、ティアラは恋奈から一旦体を離すと、牢の不潔な床の上で膝を畳み、前に手を置く。
そしてそのまま頭を下げ、額を床にこすりつけた。
「後生ですから、どうか拷問させてくださいませ、レナ様。わたくし、レナ様を拷問しないともう生きていけませんの」
「そっか、でも私がティアラに拷問しても、なにもいいことないよね?」
「わたくしにできることでしたら、なんでもさせていただきますからっ! どうか、どうか拷問をっ!」
「わかった。じゃあこんなことしてもいいの?」
恋奈は、土下座するティアラの頭の上に足を置き、以前彼女にそうされたように、ぐりぐりと押し付ける。
恋奈とは違い、一国の姫であるティアラにしてみれば、下賤な民からそのようなことをされるのは絶対にプライドが許さないはずだ。
そしてその“血にまつわる尊厳”は、無意識下まで染み付いているはず。
だが――
「構いません、いくらでも踏んでいただいていいですのでっ!」
ティアラは怒るどころか、自ら踏まれることを望むように頭を押し付ける。
恋奈の魔力は、もはや彼女の肉体も魂も全てを侵し尽くしたと言っても過言ではないだろう。
「ふふふ、健気だねティアラ。最初からこれぐらい従順だったら、私だってこんなことしなくてよかったのに」
「レナ様……?」
「顔を上げて、ティアラ」
「は、はいっ」
「そのまま私に近づいてきて。そう、その調子で、手で触れられるまで……」
膝立ちで近づくティアラ。
その視線は、完全に恋奈の唇ばかりを見ている。
このまま近づけば、またキスをして、唾液をもらえると思い込んでいるのだ。
しかし、ティアラに対してそんな優しさを与える理由は、恋奈にはない。
望むのは愛ある服従ではなく――まず第一に、破滅なのだから。
「いい子いい子。じゃあ、終わらせよっか」
「はぐっ!?」
恋奈の腕が、ティアラの胸に沈む。
その手のひらが、魂の宿る心臓に触れる。
ティアラの体は恋奈の魔力で満ちている。
ゆえに、体の内側に触れるのに、特殊な魔法など必要ないのだ。
「絶対支配、最終段階」
直接魂に触れられたのなら、あとはそこに魔力を注げばいい。
これにて――完全なる支配は成立する。
もはや魂も肉体も意識も記憶も全て、ティアラは恋奈の支配下に置かれたのだ。
ならばやることは一つしかない。
恋奈はティアラの魂の状態を、あえて第一段階の前まで戻した。
「……? な、なによこれ……どうして、わたくしこんな格好で……」
当然、記憶はそのままである。
彼女は正気の状態で、“拷問”と称し自ら恋奈に口づけしたことを思い出す。
「……え? え? なんなのこれ、どうしてわたくしっ、あぁ、ああぁあああっ、いやあぁぁぁぁあああああッ! いやっ、いやっ、いやぁっ! あんな汚らわしい真似を、どうして、どうしてえぇっ!」
髪をかき乱しながら錯乱するティアラ。
その混乱っぷりを見て、恋奈もディジーズもご満悦だ。
「わたくしの唇をっ、高貴な唇をっ、こんな……こんなぁっ! よくもやってくれましたわねっ、レナ様あぁぁぁぁぁあああッ!」
「……ぶふっ! そこはレナ様のままなのかよ!」
「ふふふっ……」
あまりに滑稽な言葉使いに、嘲笑が止まらない。
ティアラは悔しげに歯ぎしりした。
「ぐ……こ、これも……レナさ……っうぐうぅ! あなたがやったことですのね!? 絶対に許さない、今すぐ殺してやりますわッ!」
「どうやって殺すの?」
「そんなの決まってますわ、こうするんですのよっ!」
そう言って、ティアラは恋奈の体に抱きつくと、噛み付くように唇を重ねる。
乱暴に舌をねじ込み、「ふううぅっ、んふううぅっ!」と鼻息を荒らげながらキスを堪能した。
そしてじゅぱぁっ、と体を離すと、すぐさま自分がやったことを思い出し、青ざめる。
「あれ……? わたくし、いま、なにを……」
唾液でべとべとになった口元を触って、それが夢でないことを確かめ、さらに絶望した。
「あ……ああぁ……あぁぁぁああああ! どうしてっ、どうしてえぇっ! わたくし、そんなことをっ、そんなことするつもりではなかったにィッ! 本当に殺してやろうとっ!」
「でも、できなかったんだよね」
「あなた、わたくしになにをしましたのっ!?」
「支配したの、完全に。だから、ティアラは心も体もぜーんぶ私の思うがまま。近くにいても遠くにいても関係ない。もう二度と、元には戻らないんだよ」
「そんな、ことが。そんなことが、あるわけっ……あ、そうですわっ、これだけ大きな声を出していればっ、誰かが助けに来てくれるはず!」
「その心配はいらねえって、アタシの魔法で音は遮断してるからな」
「おかしいですわっ、魔族は拘束具で魔力の放出ができなくなっているはずなのにっ!」
「その拘束具を偽物に取り替えてくれたのはあんただろ?」
ディジーズに指摘され、ティアラの記憶が蘇る。
「そ……そうでした、わ……わたくしが……わたくしが、レナ様の命令で……ああぁ、なんてことを……なんてことをぉっ!」
「もう終わってるんだよ、お姫様。アタシたちにとっちゃ始まりだがな」
「今すぐわたくしを元に戻しなさいッ! さもなくば、この国全てを敵に回すことになりますわよ!?」
「とっくに回してるから問題ないよ」
全ての発端は、恩知らずな王国が、勇者を切り捨てたことにある。
ティアラの言葉は、脅しになどはならない。
「それよりティアラ、どうして私がせっかく支配した心を元に戻したか、わかる?」
「わかるわけありませんわ、気狂いの考えることなんて!」
「そっか。私ね、ティアラのことを本当に友達だと思ってたんだ。この世界で一番大事な友達。だから、裏切られたとき本当に苦しかった」
これまでだって、元の世界で罵倒を浴びせられたことはあった。
でもそれよりもずっと辛かった。
心の痛みとは、落差により生じるものなのだ。
「でもそんな私を、ティアラたちは笑ったよね」
まだ無視されたほうがマシだった。
だが彼女たちはあえて笑ったのだ。
自尊心を満たすためだけに笑って、恋奈の心を不用意に傷つけたのである。
恨まれてしかるべきではないだろうか。
「だから、ティアラにも同じぐらい……ううん、それよりもずっと、ずうーっと苦しんでほしいと思ったんだ」
恋奈は正当な怒りをティアラに向ける。
だが彼女は必要以上に怯えている。
なぜかと言えば、まだ『自分のほうが立場は上だ』と思い込んでいるからだ。
もうとっくに、立場は逆転しているというのに。
ティアラに近づいた恋奈は、胸に手を伸ばし、そのまま体の中に腕を沈め心臓に触れた。
「ひっ……!?」
「今、どういう状態かわかる?」
無言で首を左右に振るティアラ。
「私の手の中に、ティアラの魂がある。魂がぐちゃぐちゃになったら、心臓が動いていても人間は死ぬ。でも安心して、私の力があれば、粘土みたいにこねて、また生き返らせることができるから」
ティアラには、恋奈の言っていることがこれっぽっちも理解できなかった。
「ただし、元の形には戻さないけどね」
ただ唯一――『自分はこれから殺される』ということだけは理解した。
理解、できてしまった。
「ティアラは生まれ変わるの。私に従順で、なにを命令されても絶対に従う、かわいくて健気なペットに」
「あ……頭、おかしいんじゃないですの……?」
「最初にイカれてたのはティアラたちのほうだよ。だから私は、こうするしかなかった」
「やめなさい……お願い、お願いだから……」
「ふふふっ」
微笑みによる拒絶。
それは下手な言葉よりも、ティアラに絶望を与えた。
「本当は、その、わたくしっ、本当はあなたのことを友達だと思っていますの! あれは! あのときは演技でっ、お父様に命令をされてただそういうフリをしていただけで本当はぁっ!」
焦って、取り繕うように都合のいい言い訳を並べるティアラ。
聞くに堪えない。
恋奈は微笑んだまま、体内に沈めた手を握りしめた。
ぐちゅりと、心臓ではないなにかが潰れ、致命的に変形する。
「あひぃっ!? ひぎ、ひぎゅっ、がっ、あぎゃあぁぁぁぁぁあああああああッ!」
ティアラはえびぞりになり、ビクビクと震えながら絶叫した。
もはや姫の高貴さなど微塵もない、獣じみた叫びだった。
「あぎっ、あぎああぁぁあアッ! あががっ、がぎっ、ぎ、ひっ! は、ひ……はひゅ……ひゅぅ……ひゅぅ……あぅ……あぅ……あ……」
しかし叫びも次第に落ち着いていく。
一度握りつぶされた魂に、恋奈の手によって別の形が与えられはじめたのだ。
姿勢も次第に元に戻っていき、ぼんやりとした目で恋奈を見つめる。
「ああぁ……はあぁ……わたくし……は……」
言葉遣いそのものは変わっていない。
しかしその表情は、もはや別人と言っていいほどだらしなく、知性を感じられないものになっていた。
「はぁ……はぁ……あ……レナ、様……えへへ、レナ様だぁ……」
幼い女の子が甘えるように、恋奈にしなだれかかるティアラ。
恋奈はその体を優しく抱きとめた。
「そうだよティアラ、私だよ」
「あぁ、レナ様……レナ様ぁん……」
生まれ変わったティアラは、猫なで声で主の名を繰り返し呼ぶ。
恋奈が下顎を撫でると、さながらペットのように甘えた声で鳴いた。
「にゃあぁんっ♪ 好きぃ、レナ様好き好きぃ……! レナ様の匂い、レナ様の感触、レナ様の暖かさっ、全部好きぃっ」
「ふふふ、すっかり素直になったわねぇ。ティアラは、私のなんなんだっけ?」
「はいぃっ、わたくしはレナ様の犬です! メス犬ですわ! 命令されればなんだってします!」
「死ねって言ったら?」
「この場で首を掻っ切って死にます!」
「国王様――父親を殺せって言ったら?」
「喜んで殺します! わたくしにレナ様に従う以上の悦びはありませんものぉっ!」
ティアラの頭にあるのは、『恋奈に従う』ことだけ。
もはや彼女にとって自分の命に価値などないし、父親も父親として認識していない。
恋奈は魂の再構成がうまくいったことを確信し、愛おしそうにティアラに顔を近づける。
「あははっ、本当にいい子だねぇ。ご褒美にキスしてあげる」
「んあぁっ、レナ様っ! そんなっ、わたくしにはもったいないご褒美……んぶちゅうぅっ、はびゅっ、んじゅるううぅっ……!」
二人のキスは、支配途中よりもさらにはしたなく、下品な交わりになっていた。
ようやく互いの思いが噛み合ったのだから、当然と言えば当然だ。
支配する者と、支配されたがる者。
そんな恋奈とティアラの関係は、一種の“愛”と呼んでも差し支えないものなのだから。
「こりゃまた派手にやったな」
「ぷはぁっ……だってぇ、これぐらいしないと割に合わないと思って。ねえ、ティアラもそう思うでしょう?」
「んあぁ……はぁい、レナ様ぁ♪ わたくしめは自らの立場をわきまえずにレナ様を傷つけたゴミムシですので、尊厳を捨てて犬のように従うことこそ正しい選択ですわぁ!」
「そうだよねぇ。ならティアラ、犬なら犬らしいポーズしてみせてよ」
「かしこまりましたレナ様っ!」
ティアラはごろんと床に仰向けで転がると、足を大きく広げ、腹を見せる犬のようなポーズを取る。
「へっへっへっへっへっ!」
そして舌を出して、荒い呼吸を繰り返した。
「ふふっ、よく似合ってるよ、その姿」
「ありがとうございまずぐうぅっ!?」
そんなティアラの腹に、恋奈の足がめりこむ。
決して単なる暴力ではない。
これは愛情表現だ。
しかも一方的な押し付けなどではなく、お互いが納得した上での。
「はがっ、あぎっ、ああぁっ、レナ様に踏んでいただけるなんでっ、びゅっ、ごうえいっ、れひゅっ!」
踏まれれば踏まれるほど、痛みが強ければ強いほど、それが恋奈から与えられたものならば、ティアラは悦ぶ。
まあ、そう設定したのは恋奈なのだが。
「ははっ、あははははっ! 本当にかわいいなあ、ティアラは!」
本気でそう思う。
こんなにかわいいペット、他に存在しない。
もっと増えたらいいのに。
一人じゃなくて、この王国を覆い尽くすぐらい――
「ま、姫様を手駒にできたんならどういう形だっていいさ。あとはそいつを利用してアタシらの戦力を増やしていけば……」
「うん、王国の全てを支配することだってできると思う」
ディジーズの語る“復讐”という言葉に、いまいちはっきりとしたヴィジョンが見えていなかった恋奈。
だが、この落ちぶれたティアラを作り上げた今ならわかる。
世界が恋奈を拒むというのなら、恋奈が変わるのではなく――世界を変えてしまえばいいのだ。
「さて、次は誰を支配しよっかな」
つま先でティアラをかわいがりながら、恋奈は次の得物に思いを馳せる。
それから彼女が王国の全てを支配するまで、さほど時間は必要なかった――
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