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大きな木になった君へ  作者: 虹野暗帯
9/10

回帰


 ある病院の中庭に年端もいかない少年と、杖をつく初老の男性がいました。


 彼らが出会ったのもまたその場所でした。


 きっかけと取り立てていうほどのことはありません。


 最初に、何となしに声をかけたのは、少年からでした。


「おじさん、どうして毎日、木とお話ししてるの?」


 少年はまだ二桁にも満たない歳ですが、水色の病衣を着用しています。


 どうやら病に縛られて、病院で過ごしているようです。


 そんな少年の楽しみといえば、病院の中庭でうたた寝することです。


 春の柔らかな陽光の下、羽毛に包まれるような心地がお気に入りなのです。


 でも毎日中庭にやって来ては誰とも話さないのに、木にばかり話しかける男性がいました。


 少年は男性の行動が奇妙に思えました。


 そんなわけで、少年は思い切って彼に話しかけてみたのです。


 すると彼はこういいました。


「君は信じられないだろうけど、この木はね、僕の奥さんなんだ」


「おくさん?」


「そう。君のお父さんにあたるのが僕で、君のお母さんにあたるのが彼女なんだ」


 そして男性は中庭にがっしりと根を下ろした大樹の幹に触れました。


「君が生まれてくるよりもずっと前、僕は彼女とここで出会ったんだ」


 少年は首を傾げます。


「なんでおじさんは、その木が女の人ってわかるの?」


 男性は和やかに微笑みました。


「この木になったのが、とある一人の少女だからだよ」


「女の子が木になっちゃったの?」


「そうだよ。そういう病気だったんだ」


「かわいそう」


 少年は視線を落とし、眉尻を下げました。


「僕もね、最初はかわいそうだと思っていたよ」


 男性の瞳には、目の前の木は映っていないように思えました。


 きっと昔を見ているんだ、と少年は思いました。


「彼女から話しかけられたのが、すべての始まりだった。そこのベンチでね」


「彼女はとても元気な子でね。それに人懐こい子だった」


「何にしても僕を引っ張っていく子でね。最初は大変だったよ、正直」


「会って早々、彼女が僕になんていったと思う? お兄さん、友達すくないでしょ、だよ」


「今でも笑っちゃうよ。でもそこから僕らは仲良くなっていったんだ」


「木になる病の少女のお見舞いという建前で、僕は毎日病院へ訪れた」


「ああ、ちょうどその頃、僕は仕事をしていなくてね。それもあった」


「でも本当は、僕は独りで寂しかったんだと思う。だから彼女のところへ足繁く通ったんだ」


「そんな僕を、彼女は当たり前のように受け入れてくれたのさ」


「ある日のことだ。彼女が恋人になってあげましょうっていったんだ」


「今思えば、なんて恥ずかしがり屋な子だったんだろうって気がするよ」


「素直に好意を伝えられなかったんだろうね、きっと」


「そう、まだ僕も若くて、彼女も僕より若かった。思春期くらいだったかな、彼女は」


「ん? 結局、恋人になったのかだって? そりゃあ、もちろんイエスだよ」


「まったく、無職で無愛想で何のとりえもない僕なんかのどこが良かったんだろうね」


「逆に彼女は人当たりも良くて可愛らしい少女だった」


「学校に通えてれば、間違いなくマドンナだっただろうに」


「まあ恋人になったからといって、することは変わらないんだ。毎日お喋りするだけさ」


「それで・・・そう、恋人になって少し経った頃だ。彼女の病気が進行してね」


「最初は肘にしかなかった木目がどんどん広がって、ついには足が木の根っこみたいになってしまった」


「正直に言うと、僕は最初、彼女のいう病を全然信じていなかった」


「けれど、彼女の変化した足を見た途端、胸が酷くざわついた」


「それからも病の進みは著しくてね」


「さらに少し経った頃、彼女を診ていた医者が、彼女を中庭に植えようといい始めた」


「最初、耳を疑ったよ。そんなの許されるはずがない、人権を無視しているって」


「一方で、彼女はとても嬉しそうだった。ほんとう、不思議な子だった」


「わたし、人類史上初めて木になるの。それが彼女の口癖だったな」


「・・・そうして、彼女は数年でこの大樹になってしまったのさ」




     *




 少年と男性はベンチに腰を下ろしました。


 どうやら男性は足の調子が悪くないらしいのですが、杖を絶えず手放さないそうです。


 少年が話を聞くと、その杖の素材は中庭の大樹からできているそうです。


 少年は男性と木になったという少女の話に、とても興味をもちました。


 男性は決して信じてくれとはいいません。


 ですが、少年は彼が語る話を頭ごなしに信じていました。


 というのも、少年は前々から中庭の大樹に不思議な感覚を抱いていたのです。


 怖いくらい大きいのに、近づくと母に抱擁されているかのような安心感に包まれるのです。


 温かくて、優しい。


 だから中庭でうたた寝するのが好きなのかも、と少年は思いました。




     *




 それから少年は、毎日中庭へ訪れる男性とよく話すようになりました。


「おじさん。木になった女の子のお話、また聴かせて」


「もちろん。じゃあ、まだ君に聴かせていない、それも彼女すら知らないことを話そう」


「えっ」と少年は声を上げました。「いいの? 女の子に教えなくても」


「いや、どちらでもいいんだが、これは彼女ではない人に訊いてほしいんだ」


 だからこの話は忘れないでおくれ、と男性はいいました。


 少年は神妙な面持ちで頷きました。


「もし、もしも僕がこの中庭に一日でも来ない日が訪れたら、僕は死んでしまったと思ってほしい。


 どんなに足が痛かろうとも、雨が降ろうとも、嵐が荒ぼうとも、雪が積もろうとも。


 死んだという可能性以外に、僕がここへ来ない理由はあり得ない。


 その日が来てしまったら、君にお願いがあるんだ」


「ぼく?」


「ああ。他ならぬ、僕の話を信じてくれた君に頼みたいことがある」


 よくわかりませんが、少年は笑顔で頷きました。


「わかった。ぼくにできるなら」


「ありがとう」男性は皺を刻むように微笑みました。


「それで、おねがいって?」


「僕がここへ来なくなったら、あの木の下を掘ってくれないかい?」


「なにか、あるの?」少年は首を傾げました。


「遺書というものともう一つ、あるものが同じ箱に入ってるんだ。それを掘り出して欲しい」


「おじさんがここに来なくなったら?」


「そうだ。頼めるかい?」


「いいよ。ぼくにまかせて」


「ありがとう。頼んだよ」


 少年は小指を差し出して、男声と約束を交わします。


「ゆーびきーりげんまん、うーそつーいたら、はりせんぼんのーます、ゆーびきった」


 つと男性の印象がさらに柔らかくなりました。


 少年と約束したことで、もう心配することがなくなったからでしょう。


「代わりといってはなんだけど、君はなにか欲しいものとかがあるかい?」

 

 男性が少年にお礼をしようと訊ねます。


 しかし少年は首を振りました。


「いらないよ。でも、おじさんの話、もっと聴きたいな」


「それらな、お安い御用さ」


 男性はひとつ咳をします。


「そうだな・・・今日は彼女と出会った日からの出来事を、まとめて話そうか」


 少年の瞳が陽光を反射して、きらっと輝きます。


 そして男性──かつての青年は語り始めます。


「わたしね、木になるの。と年端もいかない、髪の長い病衣の少女はいいました──」


次話完結します。

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