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大きな木になった君へ  作者: 虹野暗帯
8/10

不変


 青年と少女が出会って二度目の冬のことです。


 早朝の刺すような寒さと街に降り注ぐ陽光を背に、青年はいつものように少女に会いに行きました。


 病院の中庭に着きました。


 誰の気配も感じられません。


「おはよう」と青年は少女にいいました。


 ですが、少女から返事はありません。


「今日も寒いね」と青年は少女にいいました。


 しかし、少女はなにもいいません。


「昨日、足の具合を病院へ見せに行ったんだ。経過は良好らしいよ」


 それでも、少女は静かなままです。


 青年は少女の声を、あの心休まる声を、もう二度と聞けません。




     *




 二週間前のことです。 


 青年が日の出と同じ頃に、少女に会いに来ました。


 この日はいつもと違い、青年は手提げのバッグを携えていました。


 バッグの中には、以前撮った少女の写真が収めてあります。


 前日に青年は少女と約束したのです。


「前に撮ったわたしの写真、見たいな」


「君の写真?」


「そう。もう瞼を開けることはできないけれど、お兄さんがどんなわたしが写ってるか説明して」


「わかった。じゃあ、明日持ってくるよ」


 そういう約束を交わしていたので、青年は昨日のうちに写真のデータを現像しました。


 写真のなかの少女はまだ胴も腕もあり、可愛らしく微笑んでいます。


 これは少女の髪から咲いた花が綺麗だったので、思わず青年が撮ったのです。


 それを少女に見せる時が来るとは、その頃の青年は思ってもいませんでした。


 病院の中庭は閑散としていました。


 昨晩雨が降ったからでしょうか、薄っすらともやが地面から立ち上がっています。


 青年は、少女に近づいて声をかけます。


「おはよう」


 挨拶してみたものの、少女から何も返ってきません。


 もしかしたら眠っているのかな、と青年は思いました。


 起こすのはかわいそうでしたが、もう一度声をかけます。


「おはよう。朝だよ。昨日、君がいってた写真、持ってきたよ」


 再度話しかけてみましたが、やはり少女から応答はありません。


 青年の頭に、嫌な可能性が浮かびます。


 ですが青年は首を振って、その可能性を否定します。


 いやいや、昨日は普通に話せていたじゃないか、と。


 昨日は、どこに少女の口があるのかわかりませんが、木から声が聴こえていたのです。


 いつも通りに会話が出来ていたのです。


 それが、まさか昨日の今日で話せなくなるはずが。


 青年は三度話しかけます。


「今日の君はお寝坊さんなのかい? いつまでも眠っていると、僕は寂しいよ」


 返事は、いつまで経ってもありません。


 青年は木の幹に触れます。


「もうそろそろ、いいんじゃないかい? さすがの僕も・・・」


 ですが少女はうんともすんともいいません。


 中庭に静寂だけが流れます。


 青年は、幹をまるごと抱きしめてみます。


「ああ、君ってこんなにも大きくなってしまったんだね。僕の腕では収まりきらないや」


 そんなことをいえば、いつも少女は照れ笑いするはずです。


 ふふふ、と噛むように笑うのです。


 でも、そんな笑い声すら聞こえません。


 青年は頑なに抱きしめ続けます。


「僕の声が聴こえているかい? 聴こえていたら、返事してくれよ」


 青年の声はか細く、震えていました。


「なあ、いつまで僕をからかうつもりだい? もう充分だろう?」


「わかった、これは君の新しい遊びだろう。ちょっと質がわるいよ、これは」


「・・・オーケー。僕の降参だ。君の勝ちだよ。なにか欲しいものでもあるのかい?」


「おいおい、勝敗はもうついたよ。もう君の勝ちで終わったよ」


「だからさ、うんの、ひと言だけでも、いって、くれよ」


 青年の言葉は、途切れ途切れでした。


 彼は、気づいていました。


 もう手遅れであることを。


 知っていました。


 いつか、この時が来ることは。


 覚悟もしていました。


 少女と話せなくなる日が来ることを。


 信じていました。


 話せなくなろうとも、泣かないと。


 でも、実際は、そんなこと、耐えられませんでした。


 抱きしめる腕に、これ以上ないほど力が入ります。


 必死に、嗚咽を押し殺そうとしているのです。


 瞼を閉じて、思い切り歯を食いしばります。


 涙を一滴も零さないようにしているのです。




 限界は、間もなくして訪れました。




 青年の腕の力が急激に緩みました。


 青年の目元の力が一気に緩みました。


 青年は足元から崩れ落ちました。


 青年は縋るように木に額を添えました。


 青年は、少女を慈しむように、泣きました。


「ああああぁああああ、うああぁぁああああ・・・」


 彼の声は、誰の耳にも届いていないでしょう。


 目の前にそびえ立つ「木」以外には。




     *




 あの日以来、しかし青年は毎日欠かさず少女だった木のもとへ訪れました。


 クリスマスだろうと、年越しだろうと、変わらず足を運びました。


 そして、少女との約束を果たし続けています。


「わたしは話せなくなるけれど、お兄さんはたくさんわたしに話しかけてくれればいいの」


 いつか、少女はそういいました。


 だから青年は誠実に、堅実に話しかけ続けます。


 傍目では木に話しかける、病んだ青年だと思われているかもしれません。


 それでも構いません。


 青年の前にある木が一人の少女だったと、誰が想像するでしょう。


 あるいは逆と捉えられてしまうかもしれません。


 青年が大切に抱えている少女との想い出はすべて夢で、それをただの木に語りかけていると。


 もちろん青年としては、そう思われるのは好ましくありません。


 事実、その木はかつての彼の伴侶、誰よりも愛していた人だったのですから。


 どんなに周りに馬鹿にされようとも、青年は続けます。


 彼が死ぬ、その時まで。

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