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大きな木になった君へ  作者: 虹野暗帯
7/10

回想


 青年と少女が出会って、一年半が過ぎました。


 まだ夏の面影が残る時期ですが、夜になると過ごしやすい気候の頃です。


 季節が進むように、少女の病は非情に、進行の歩みを止めませんでした。


 今ではもう、少女の顔だけが残されている状況です。


 顔といっても、少女が動かせるのはもはや口だけです。


 口もなんとか動かせる程度です。


 何も知らない人が見れば、木の幹に仮面マスクが埋められているようにしか見えないでしょう。


 目は閉じたまま、あの可愛らしい笑顔も作れません。


 ですが少女のはつらつさは声にのって、なおも健在です。


「こんばんは、お兄さん」


「こんばんは」


 青年はいつもと変わらないスーツを着て、夕方ごろに少女のもとへ来ました。


「今日は来るの遅かったね。何かあったの?」


「ごめん。ちょっと野暮用でね」


 ふうん、と少女は言及しませんでしたが、内心は気になって仕方がありませんでした。


 青年も少女が木になっているのは、何となく予想していました。


 でも、あえていいませんでした。


「遅れたお詫びといってはなんだけど、今日は僕もここで一晩すごそうと思ってるんだ」


「いいの?」少女の声は少し驚いている様子でした。


「うん。本当なら、毎日ひと時も欠かさずここで過ごしたいところなんだけどね」


「それはさすがに、お兄さんの体が心配だよ」


「そういわれると思った」青年はつい笑ってしまいました。「でも今日はいるよ、ずっと」


「虫に刺されちゃうかもしれないよ?」


「気にしないよ。どうだっていいよ、そんなこと」


 準備の良いことに、青年は前もって虫よけスプレーもしてきたのです。


 二人が同じ夜を過ごすのは初めてのことです。


 とはいっても、いつもの日中と過ごし方はして変わりません。


 取り留めのない、でも言葉ひとつひとつに愛を感じさせるお喋りをするだけです。


 いつも二人は会話のテーマを決めて話していません。


 でも今日だけ、青年がテーマを持ち出しました。


「想い出について、語り合おう」


「想い出?」


「そう。けど、僕は君の想い出を一方的に聴きたいだけなんだ」


「お兄さんの想い出は?」


 瞬間、青年は自嘲的に笑いました。


「残念ながら、二十数年生きてきた僕に想い出という想い出がないんだ」


 青年は、実は幼い頃から独りだったのです。


 彼が孤独なのは、少女に出会った頃から始まった話ではないのです。


 親という存在はいたものの、彼らが青年を家族として受け入れることはありませんでした。


 彼の親は、いつまでも色あせない恋に夢中でした。


 そこに家族愛というものは存在せず、父は母に、母は父しか眼中になかったのです。


 彼らの恋の結果、生まれたのが青年でした。


 愛が存在しない二人のもとに生まれたのですから、青年は愛情をもらえずに育ちました。


 むしろ自分たちのあいだに立つ邪魔者として扱われていたのです。


 なので、青年が幼い頃に家へ帰っても、両親は出迎えてくれませんでした。


 愛情を貰えずに育った青年は、学校でも人付き合いがほかの人のようにうまくいかなかったのです。


 長年、学校でも家でも独りでした。


 しかし青年は寂しいと感じたことはありません。


 なぜなら最初から独りだったのですから、それが当たり前だったのです。


 家族も友人もいない彼に、想い出というものは何一つとして残せませんでした。


「というわけで、僕に君と出会う前の想い出というものはないんだ」


 人並みの想い出がないことに、青年は今さら後悔なんてしていません。


 彼の過去は存在していないのです。


 彼にとって過去とは、少女と出会った日から始まったのです。


「だから、人がいう想い出というものに興味が湧いてね。可能なら、君の話を聴きたいんだ」


「いいけれど、正直、わたしも想い出なんてそれほどないよ」


「ということは、一つくらいはあるんだろう?」


「うん」


「なら、ぜひ聞かせてほしい」


 初秋の夜、虫たちが織り成す音楽をよそに青年は少女の言葉に耳を傾けました。


「わたしの木になる病気が判明する前、まだどこへ行くにもお母さんと手を繋いでた頃のことなんだ。


 昔からわたしって、気になったことはとことん気になっちゃう性格だったの。


 その日もお母さんと一緒に買い物へ出かけてた。


 買い物の途中、商店街のマスコットキャラクターが目に入ってね。


 もう体が自然に、ふらっとそっちへ吸い寄せられちゃったんだ。


 マスコットキャラクター追い駆けてるうちに、けっきょく迷子になっちゃった。


 いつもそばにいるお母さんはいないし、なじみのない場所だったから不安になって泣いちゃったの。


 ひとりで、寂しくて、怖くて、道の端っこでうずくまって泣いてた。


 けれど、ひとりの高校生くらいの男の人が優しく声をかけてくれた。


 どうしたの、なんで泣いているんだいって。


 わたしがなんていったのかは覚えてないけれど、その人はこういったの。


 そっか、なら一緒にお母さんを探そう、もう大丈夫だよって。


 そのあと、その人はわたしと手を繋いで、お母さんが見つかるまで一緒に探してくれた。


 しばらくして、お母さんと合流して、その人は手を振って去って行った。


 今でも覚えてるんだ。


 その人の手がお母さんと同じ温かさで、優しさに溢れていたって」


 これがわたしの数少ない想い出のうちの一つかな、といって少女は語り終えました。 


 青年は少女の想い出に、つい拍手を送りました。


「いい想い出だね。映画の中にでも出てきそうだ」


「ワンシーンで終わっちゃうよ」


「いや、僕が聞きたかった想い出は、まさにそういうものなんだ。


 日常のなかにある、何気ないワンシーン。


 君は僕の心の中をすべて知ってるみたいに、どんぴしゃりの想い出を語ってくれたよ」


 ありがとう、と青年は少女に感謝しました。


「お兄さんは、昔からこの町にいたの?」


「そうだね。生まれも育ちもこの町だよ」


「なら、もしかしたら、わたしを助けてくれたのがお兄さんだったのかもしれないね」


「そんなことあるかな?」


「運命的でロマンチックじゃない。そういうことでいいの」


「君がいいなら、それでいいんだ」


 青年は和やかに微笑みました。


 少女の話に出てきた男の人と、今の青年の年齢を考えると、青年という可能性もあり得るでしょう。


 しかし、青年には想い出、すなわち過去がないのです。


 何年も前に青年と少女が出会っていようとも、彼らには確かめようがありません。


 だとしても、それはそれでいいのかもしれない、と青年は思います。


「さあ、今夜は時間が許す限り、たくさん話しをしよう」


「ええ。わたしの知らないお兄さんのこともいっぱい教えてね」


「もちろん」


 夜はまだまだ長く続きます。

予定より話が伸びてしまいましたが、あとニ、三話でピリオドを打つ予定です。

どうか最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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