婚約
並んで眠っていた青年と少女、二人が目覚めたあとのことです。
少女は青年がデザインした指輪を大変気に入りました。
「お兄さん、こういう道でも生きていけるんじゃないかしら」
なんていうほど、少女は喜んでいました。
「僕はそこまで単純じゃないんだ。残念ながらね」
「そうかしら」少女は微笑みました。「ありだと思うんだけどな」
「スカウトマンに声をかけられたら、そうするよ」
「アクセサリーのスカウトマンなんているの?」
「どうだろう。露店でも開いたら、その道のプロに声をかけられることはあるだろうけど」
「じゃあお店開いてみてよ」
「気が向いたらね」青年は苦笑しました。
それから、青年は少女の協力を得て指輪を作り始めました。
問題であった「どこに指輪をはめるか」も、実は解決していました。
少女の木の幹に一本だけ、まるで指が生えたかのような枝が、少女の指を担うことになったのです。
位置的にも少女の腕があったところで、もしかしたら少女が意図して生やしたのかもしれません。
どうであれ、指輪作成を隔てる問題は何一つとしてありません。
青年は慎重に、慎重に、少女の髪に咲いた花を摘みました。
花々はとても彩が綺麗です。
桜のような色の花、紫陽花のような色の花、紅葉のような色の花、水仙のような色の花。
一色だけでなく、四季を彷彿させる花がたくさん咲いていました。
「宝石みたいで綺麗だね」
「お兄さんは、わたしを喜ばせるのが上手ね」
「本当のことだから、僕としても喜んでくれると嬉しい」
そんな話を交えながら、青年は着々と指輪づくりの下準備を進めていきます。
少女の髪も一本拝借して、いよいよ指輪づくりが本格的に始まりました。
失敗しないよう、青年は集中して挑みます。
ですが気負い過ぎないよう、肩の力は抜いて、気楽に頑張ります。
少女の足もとに座って、毛糸のマフラーを編むみたいに、地道に進めます。
時間が経ち、お昼ごろ、少女がいいました。
「お兄さん。今日の朝、わたし、夢を見たの」
「奇遇だね。僕も夢を見たんだ」
「ほんと? どんな夢だったの?」
青年は休憩がてら、創作の手を止めて少女に寄りかかりました。
「とても幸せな夢だったよ。全然覚えていないんだけど、幸せだったことは覚えてる」
春の心地よい日和に日向ぼっこするような、穏やかで温かな幸せでした。
夢に少女が出てきたことは間違いないだろう、と青年は思います。
今の僕に幸せが訪れるのだとしたら、そこに少女が関わらないわけがない、と。
「それで、君はどんな夢を見たんだい?」
青年が問いかけると、少女は瞼を閉じて語り始めました。
「わたしが世界樹になって、たくさんの動物がわたしのそばに寄ってくるの。
羽ばたき疲れた鳥の羽休めの場所で、走り疲れた犬の昼寝の木陰。
もちろん人もいて、子供が木登りしに遊びに来るの。
晴れた日はそよ風で葉を揺らして子守唄を。
雨の日はみんなの傘の代わりになってあげて。
雪の日は白粉したわたしに、人々がイルミネーションを飾って、夜の世界を照らす。
誰かの憩いの場になってあげて、話を聞いてあげるの。
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、寂しいこと、つらいこと。
どんな話でも、じっと耳を傾けて、話し終えるまで聴き続ける。
そして彼らが話し終えたら、わたしは彼らのすぐそばに果実を落としてあげるの。
彼らはその果実を食べて、美味しいっていってくれる。
元気が出たよっていって、彼らは明日も頑張って生きるの。
そんな、みんなの支えになったわたしの夢だったよ」
少女は語り終えると、閉じていた瞼をゆっくりと開きました。
青年の目には、少女が薄っすらと涙を浮かべているように見えました。
気のせいだろう、と青年は胸にそっとしまいました。
「素敵な夢だね」
「うん」しかし、少女は寂しそうに笑いました。「でも、悲しいんだ」
「それは、どうしてだい?」
少女の意外な言葉に、青年は驚きました。
「みんなが幸せなのだろう?」
「そうなんだけど、その世界にはお兄さんがいなかったの」
「僕?」
「ええ。お兄さんがいない世界は、ひどく色あせていたの。昔の映画みたいに」
「白黒?」
「そう。映ってる誰もが幸せそうに笑ってるけど、全部灰色だった」
なんだか世界そのものが嘘みたいだった、と少女は小さな声でいいました。
青年は、しかしとても嬉しく思いました。
少女の中で自分がそこまで大きな存在になっていることを、誇りにさえ思えました。
「僕はここにいるよ。でも、いつか僕だって死ぬときがくる」
「それはいやだなあ」
「死ぬときは君のそばで、朽ちるように死ぬことにするよ」
「そうしてくれると嬉しいな。ずっと一緒だね」
「うん。そのまま僕は君の一部になるんだ。そして君は世界樹のように大きくなるんだ」
「なるほどね。そう思うと、寂しくないわ」
そういって、少女は心から嬉しそうに笑顔を浮かべました。
「さて、そろそろ指輪を再開しようかな」
「頑張って、お兄さん」
青年は笑顔で返して、指輪づくりに専念しました。
*
ひとつの指輪が完成するまで、三日かかりました。
きっと手先が器用な人なら、一日で終わっていたかもしれません。
青年もそこまで不器用な人ではありません。
ですが丹念に、入念に、慎重に作っていました。
心を込めて作るものに多くの時間をかけるのは、料理の世界でも同じだったのです。
なので、青年はゆっくりでも魂を込めるように、時間をかけて作成しました。
少女だけの指輪であれば三日で終わっていたのですが、青年は自分の分も作っていたのです。
結果、指輪づくりを終えるまでに一週間かかりました。
出来上がった指輪は、それはそれは美しい、花の指輪に仕上がりました。
青年は指輪を少女に見せました。
「すごい。とてもきれい」
と少女は感嘆の息を漏らしました。
「これを、君の指にはめていいかい?」
「ええ。もちろん」
青年は少女の木の幹から生えた枝に、指輪をはめてあげました。
大きさはぴったりでした。
「お兄さん、ありがとう。わたし、生まれてきて今が一番幸せだわ」
「それはよかった」
そして青年は自分の左薬指に、少女と同じ指輪をはめました。
「これで、僕らは結婚したことになるのかな?」
少女の定義する結婚は、同じ指輪を互いの指にはめることなのです。
「うん。お兄さんと出会った頃にいったことが本当になったね」
「ああ、伴侶だっけ?」
「そう。でも、今思えば夫婦っていうほうが素敵かなあ」
「そっか。なら、僕らは晴れて夫婦になれたわけだ」
青年がいうと、少女は嬉し恥ずかしそうに、くしゃっと笑いました。