未来
青年と少女が出会って、今日でちょうど一年が経ちました。
一見どこにでもいる女の子だった可愛らしい少女も、今では立派な木になりつつあります。
今は辛うじて鎖骨から上だけが木から顔を出しています。
つややかで美しかった髪も蔦のように、木に纏わっています。
ですが、まだまだ少女の快活さは健在です。
「おはよう、お兄さん」
「おはよう。今日も元気だね」
ここ一カ月、青年は早朝から少女に会いに来ます。
どうして、なんて理由を問うまでもないでしょう。
二人はいつも通り、他愛ない話をします。
それだけで青年も少女も幸せです。
ふと、青年が訊ねます。
「君に、夢というものはあったのかな」
「夢?」少女は可愛らしく首を傾げます。「将来の?」
「そう。なりたかったものとか」
訊いた後で、青年は後悔しました。
完全な木に近づきつつある少女に、そんなことを訊くのは酷だった、と。
ですが、少女はまったく気にせず答えます。
「なかったかな。ずっと木になるんだって考えてたから」
「そっか」
「あ、でもね、してみたいことはあるかも」
「たとえば?」
少しのあいだ、少女は悩みます。
おそらくたくさんあるはずだ、と青年は考えます。
きっと、それは彼からすれば日常的なことかも知れません。
でも少女にはそれができなかったのです。
学校帰りの買い食い、お祭りの屋台の歩き回り、近所のゲームセンターで遊ぶ。
ウィンドウショッピング、遊園地や動物園へ行く、あてもなく電車に乗る。
普通の人にできるはずのことが、きっと、少女には叶わなかったのです。
ややあって、少女は開口しました。
「旅行、かな」
「いいね。どこへ?」
「特に行きたい場所とか、ないんだ。でも、とにかく旅行をしてみたかったかな」
「そっか。強いて言えば、何旅行?」
「食べ歩き旅行、かな」
「食べ歩き、ね」
「食い意地張ってるって思ったでしょ」と少女はいって頬を膨らませました。
「そんなことないよ」と青年は口元を隠しながらいいました。「でも、なんで食べ歩き?」
「やっぱり、食べるのが好きだったからかな。あとは、お兄さんが料理人だったから」
「僕?」
「うん。そして旅先で、お兄さんが開いたお店の料理を食べるの」
「それは」難しいかな、といいかけて、青年は言葉を飲み込みました。「素敵だね」
「でしょう?」少女の目は爛々と輝きました。
少女の望みを出来る限り叶えてあげたいというのが青年の本心です。
でも、少女の望みは青年には幾らか酷でありました。
というのも、彼は生来左足が良くないのです。
一度はスタート地点に立てた夢も、足のために断念せざるを得なかったのです。
そんな彼が自分の店を持つなんて、夢のまた夢です。
しかし「無理だ」とは決して口にしません。
なぜなら少女を悲しませたくないからです。
今の青年に出来る最良の選択は、少女の笑顔を絶やさないことだから。
「いつか、君にも僕の料理を食べさせてあげたい」
「うん。約束ね、お兄さん」
その約束が果たして叶うのか、それは青年次第です。
時は無情に刻み続けています。
青年と少女を、誰も待ってあげられません。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
予定では、あとニ、三話で幕を閉じるつもりです。
どうか最後まで、二人を見守ってあげた下さい。