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大きな木になった君へ  作者: 虹野暗帯
10/10

永劫

 とある町の片隅にある病院の中庭に、いつの間にか植えられた一本の木がありました。


 由緒ある種の木ではありませんし、曰くが流れているわけでもありません。


 ですが、その木の前に立つと安らかな心地に包まれると病院関係者に評判でした。


 春の麗らかな日のことです。


 お昼ごろ、ひとりの青年がその中庭へ訪れました。


 彼はネクタイなしの紺のスーツ姿で、小さいシャベルを片手に携えていました。


「例のおじいさん、とうとう昨日来なかったわ」


 青年が見知った看護師さんからその連絡を受けたのは、昨晩のことです。


 ああ、ついにこの日が来てしまったのか。


 受話口を耳にあてながら、青年は感慨深くそう思いました。


 本来なら今日も仕事があった青年ですが、急遽お休みをいただきました。


 彼がまだ幼い時分、例のおじいさんと交わした約束を果たすためです。


 なので不吉でない色のスーツにシャベルといった不可解な格好だったのです。


「相変わらず立派な木だ。安心感すら、あの頃と変わらない」


 青年もかつてこの病院に入院していた一人だったのです。


 幼少時代に苦しめられた病も、今では嘘だったみたいにきれいさっぱり消えました。


 例のおじいさんとの約束を守るためにはずっと入院しているのが堅実的な方法でした。


 しかし、病が完治してはそうもいきません。


 だから青年はお世話になった看護師さんにお願いしておきました。


 例の、毎日中庭にやって来ては木にばかり話しかけるおじいさんが来なくなったら教えてくれ、と。


 看護師さんからその連絡がこないことを祈るばかりでしたが、とうとう来てしまいました。


 青年は大きな木の足もとに膝を突いて、両手を合わせました。


 この木が一人の少女だったと知っているのは、今や彼以外に誰もいません。


 数分間保ち続けた姿勢を解いて、青年は小さなシャベルで木の足もとを掘り始めました。


 ですが青年はうっかりしていたことに、肝心の掘らなければいけない正確な場所を知りませんでした。


 約束を交わしたおじいさんには、もう訊けないでしょう。


 仕方がない、と青年は帯を締め直します。


 誰かに掘り起こしてもらうのが前提なのですから、そう深くない場所に箱は埋めてあるはずです。


 遅くとも今日中には見つけられるだろう、と青年は一生懸命掘り続けました。




     *



 青年のシャベルが箱を掘り出したときには、空はすっかり暮色に染まっていました。


 青年は凝り固まった背筋を伸ばして、額の汗をシャツの袖で拭います。


 手元にある箱は、菓子入れの缶だったようです。


 少しだけゆすってみると、中からはカサカサと紙切れの音がしました。


 青年はベンチに座って、ひと息つきました。


 いよいよ箱を開ける時が来たのです。


 中に入っているものを、彼は半分知っていました。


 一つは遺書だとおじいさんから聞いていましたが、もう一つのほうを彼はまだ知りません。


 箱は長年閉まりきっていたため、なかなか空いてくれません。


 苦戦の末に青年はようやく箱を開けられました。


 やはり白い封筒が中にありました。


 青年はまずそれを手に取って、中の便箋を取り出しました。


 綺麗な字で書かれた遺書に、青年はゆっくりと確実に目を通していきます。



「        様へ


 これを読んでいるということは、きっと、愛する彼女のもとへいけない日が僕に訪れたのだろう。


 読んでいるのが誰だかわからないけれど、僕の友人であることに間違いない。


 僕がこの箱のありかとお願いをしたのは、そういう人のはずだから。


 さて、さっそくだけど僕のお願いを聞いてもらいたいんだ。


 もしも本当に僕が死んでいるのだとすれば、最初に僕を見つけてもらいたい。


 住所はずっと変えないつもりだから、封筒の裏面に書いてある場所まできて引き取ってほしい。


 これだけでも随分なわがままだね。でも大目に見てくれると有難い。


 そして次に、僕の身元引受人になって欲しい。


 これもとてもわがままだ。ごめんよ、君。


 それで最後から二番目のお願いだ。


 僕の体を火葬してくれたら、僕の骨灰を、どうか病院の中庭の大樹に与えてやってくれないかい?


 そこには僕の愛する人がいるんだ。


 できることなら、僕は彼女の一部になりたい。


 いや、彼女と一つになりたい。


 どうか、どうか、よろしく頼むよ。


 そして、最後のお願いだ。


 この遺書が入っていた箱の中に、栞があるだろう?


 僕が人生で唯一手にした愛の結晶ともいえる、花々で作った指輪が押し花として栞に挟まれてる。


 押し花なんて初めて作ったから、おかげで寝坊して彼女のもとへ行くのが遅れたこともあったなあ。


 その栞を、君にもらってほしいんだ。


 もちろん強制なんかじゃあないから、受け取ってくれなくても構わない。


 その場合は僕の体と一緒に火葬してくれるといい。


 そのへんに捨てるのだけは勘弁してくれよ。


 作るのに一晩以上の時間とこれ以上ない愛を込めたんだから。


 でも君がもらってくれると嬉しいな。


 そしておとぎ話として、君に話した僕と木になった少女の恋物語を誰かに教えてあげてほしい。


 ここまでしてくれれば、もう何もいうことはないよ。


 僕の遺産があれば、好き勝手に使ってくれたっていい。あればの話だけど。


 これを読んでいる君には感謝しなければいけない。本当に、心から、ありがとう」




     *



 青年は友人の遺書を大事に畳んで再び封筒にしまいました。


 そして箱の中には、遺書にあった通りの、押し花の栞がありました。


 これはきっとあのおじいさんと木になった少女の婚約指輪だったのだろう。


 青年は栞を手に取って、そう思いました。 


 しかし押し花には一つ分の指輪しかありません。


 おじいさんがまだ人だった頃の少女に指輪をあげたのなら、もう木に取り込まれてしまったでしょう。


 ベンチから腰を上げて、青年は夜空の下、大きな木を見上げます。


 とても立派な木です。


 怖いくらい大きいのに、そばの人に安らぎを与える、不思議な木です。


 木をよく目を凝らしてみると、鳥の巣がありました。


 小さくさえずる赤子の鳥が、母親の帰りを待っています。


 青年はつい微笑み、


「ありがとう」


 と口にしました。




     *




 数年経って、青年にも家庭ができました。


 それはそれは温かくて、愛に満ちた家庭です。


 一つ年下の奥さん、それにまだ五歳の娘です。


 ある日、青年は家族と一緒に出掛けました。


 向かった先は、彼が幼い頃に入院していた病院です。


 奥さんも娘も、なぜこんな場所に連れてこられたのか理由を知りません。


 青年は娘を抱き上げ、そのまま病院の中庭へ向かいました。


「ぱぱ、あの木、おっきいね」


 と彼の娘が感嘆しました。


「あなた、あの木を見てるととても心が落ち着くわ」


 と彼の奥さんは微笑を浮かべました。


 青年と家族はベンチに座って、大きな木を見上げます。


「今日は二人にある話を聞かせたくて、ここへ来たんだ」


 青年は追想に浸ります。


 そして、優しく語り始めます。


「わたしね、木になるの。と年端もいかない、髪の長い病衣の少女はいいました──」


 友人のおじいさんと同じベンチに座って過ごした、いつかを想いながら。

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