邂逅
「わたしね、木になるの」と年端もいかない、髪の長い病衣の少女はいいました。
「それはコマーシャルのオマージュかい?」とスーツを着た青年は訊きました。
「違うよ。そういう病気なの」
「木になる病なんて、聞いたことないけれど」
「でしょう? どうやら人類史上、わたしが初めてらしいの」
なぜか少し誇らしげに少女はいいました。
「だとしたら、冗談みたいな病気だね」
「そう思うのはしかたないわ。でも、ほら。見て」
そういって、少女は病衣の袖を捲りました。
手首から先は変哲ない、普通の女の子らしい丸みを帯びたそれです。
しかし、肘の辺りに青年の視線が向けられます。
まだ五百円玉くらいの大きさですが、木の節目のような模様が少女の肘にはありました。
それに模様だけではありません。
乾燥だけでは説明がつかない、まるで木乃伊のような水分の枯渇も見受けられました。
「文字通り、木乃伊みたいになってるでしょ」
「本当だ。よくできた特殊メイクだね」
「もう。本当だっていってるのに」少女はあざとく頬を膨らませました。「何だったら触ってみて」
促され、青年は少女の患部に恐る恐る触れます。
カサッと、枯れ葉に触ったときと似た感触が指先から伝わりました。
「最近の特殊メイクは触ってもわからないらしいよ。それこそ、映画みたいにマスクを剥がない限り」
「お兄さん、友達すくないでしょ」
「よくわかったね。君の言う通り、僕に友達は一人としていないんだ」
「かわいそう」
「独りは楽だよ」
「それって、孤独な人が寂しいと口にする科白だと思う」
「どうだろうね。ずっと独りだから、寂しいなんて感覚、わからないんだ。あるいは忘れた」
「じゃあ、私がお兄さんの友達第一号になってあげる」
「それは名誉なことなのかい?」
「当然。だって、人類史上初めて木になる女の子の友達なんだから」
「そうか。じゃあ今のうちにサインをもらっておこう」
そうして青年と少女は友達になりました。
*
それからも青年は少女の入院する病院へ足繁く通いました。
幸いにも青年は失業中なので、時間は余るほどありました。
青年は、しかしまだ少女の木に変化するという病を信じていませんでした。
なので、時間が立てば少女の嘘が露見するだろうと思い、意地悪的に面会を重ねます。
「やあ」と青年は中庭のベンチに腰掛ける少女に声をかけます。
「やあやあ、お兄さん。毎日会いに来てくれて嬉しいな」
「友達だからね」
「友達でも、毎日お見舞いに来てくれる人はいないよ。それこそ、親だって来てくれない」
「君のご両親はお見舞いに来ないのかい?」
「だって、わたしの親はわたしを見るのが悲しいからって、見舞いを避けているんだもの」
「微妙なご両親だね」
「ほんと。見放すなら早く見放してくれたほうが、わたしも楽なのに」
「悲しくはないの?」
「まだ愛されているから」
「なるほど。じゃあ、いいご両親だ」
「なら毎日に会いに来てくれるお兄さんは家族以上かしら」
「家族以上って?」
「伴侶?」と少女は可愛らしく首を傾げました。
「伴侶?」と青年は訊き返しました。
「ええ、伴侶」
「恋人という過程はないのかい」
「だって、恋人もこんなに会いに来てはくれないもの」
「そうなのか?」
「お兄さん、実は恋もしたことないでしょ」
「よくわかったね」
「じゃあ、お兄さんはわたしの恋人にしてあげましょう」
「それは名誉なことなのかい?」
「とっても。だって人類史上初めて木になる女の子の恋人なんだから」
「なるほど。じゃあ恋人になってください」
「はい」
少女は仄かに頬を赤らめていました。
青年は、しかしただ笑っているだけでした。
そう、彼はまだ少女を疑っているのです。
恋人を疑うというのは、珍しくはないでしょう。
そうして、二人は恋人になりました。
*
なにか習慣があると、季節の移り変わりというのは早く感じられるものです。
青年が少女のもとに通い始めて、半年が経ちました。
少女と青年が初めて会ったのは春だったので、今は秋です。
秋といっても、冬に近い秋なので、晩秋と呼ぶのが適切でしょう。
半年間、少女の病を偽りだと思ってきた青年ですが、ここにきてそれが少しずつ揺るぎ始めます。
「お兄さん、見て、見て」
青年は少女に会うなり、そういわれました。
そして少女は病衣の裾をまくりました。
なんということでしょう、少女の左足がまるで木の根っこのような形状をしているのです。
根が絡み合い、人の脚を模倣しているようでもありました。
それを目にした瞬間、青年は思わず息を呑みました。
「どう? お兄さん。やっと信じてくれた?」
「まさか」
青年はおどけて見せましたが、内心はバクバクです。
今までは特殊メイクだと疑ってきましたが、ここまで来るとそれだけでは説明がつかない気がします。
それに左足だけではありません。
以前に見せてくれた少女の肘の模様は、もう少女の両腕を覆ってました。
「お兄さんは頑なね」
「そうかな?」
「でも頑なな人って、わたし、好き」
「恋人なんだから、好きでいてくれなきゃ困るよ」
「なら、お兄さんはわたしのこと、好き?」
青年は一拍の間、言葉に詰まります。
「ああ、好きだよ」
「ほんとう?」少女は目を輝かせています。「ほんとのほんとに?」
「本当だよ」
「じゃあ、じゃあ」
少女はベンチから立ち上がって、座ったままの青年の前に立ちます。
「キス、しようよ?」
とはいったものの、少女のそれは確認ではなく、あくまで宣言でした。
有無を言わさず、少女は青年の両頬に手を添えます。
青年は心の準備もできず、ただ目を閉じて唇をきゅっと閉じました。
ですが、数秒経っても青年の口には何の感触もありません。
青年が薄っすらと瞼を開けると、そこにはほくそ笑んでいる少女の顔がありました。
「すると思った? お兄さん、えっちね」
「君ね、」
青年が文句を言ってやろうとした瞬間でした。
青年がばっちり目を開いている時を狙って、少女は唇を重ねてきたのです。
五秒ほど、青年の時間は止まっていました。
ようやく唇を離した少女の目元と頬は見るからに上気していました。
「どう? 初めてのキスは」
「驚いてよくわからなかったな」
仕返しに、青年は少女の後頭部に手を回し、少女の顔を引き寄せるようにキスしました。
先ほどよりも執拗的に、少女が息を止めて限界が来ても唇を離しませんでした。
少女が青年の肩をぱんぱんと叩いて、そこで青年はやっと離してあげました。
「大人をからかうと、こうなるよ」
「お兄さん、言ってもわたしと七歳しか変わらないじゃない」
「大人同士の七歳は珍しくないけど、僕と君のような子だと、七歳というのはあまりに差がある」
「わたしは大人ですう」
「まだ子供だよ」
「そんな子供にお兄さんは無理やりキスをしたの?」
少女は小悪魔的な笑みを浮かべて、青年をからかいます。
「無理やりではないよ。君は容認してるからね」
「でも子供っていうのは否定してくれないの?」
「微妙だな。子供と大人のあいだってことで」
「あー、逃げた」
青年と少女の交際関係は、意外にも好調でした。
ですが青年の心には薔薇の棘のようなものが引っかかっています。
まさか、なんていいましたが、実のところ彼は少女の脚を見たときに病をほとんど信じてしまいました。
まるで青年から受ける愛情が栄養みたいに、少女の病の進行は速度を増していきました。