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月と魔法の物語り  作者: Bunjin
七月十二日―――終わりの日
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美術室の廊下で


「藍!」


 倒れている藍に、三人は愕然とした。翠が慌てて駆け寄って抱き起こした。


「翠姉ぇ」


 何かあったの? そんな具合に藍は目を覚ました。ほんの僅かな間だが、気を失っていたことが分らなかった様子だった。


「藍、大丈夫なの? 体は何ともない?」

「体って? あぁ、そうか」


 言いながら、藍はリボンを握っている手をぷるぷると振った。


「大丈夫みたいっ」


 心配顔をしている三人を見上げて、藍は平気というふうに力強く立ち上がった。


「玄。藍は大丈夫なんでしょ? ハルカさんはそう言ってくれてるんでしょ?」


 翠は玄にすがり付いた。こんな未来は有り得ない。得体の知れない未来に、翠はうろたえるしかなかった。


「ごめん、翠。ハルカさんはもう出て来てくれない。何も言ってくれないの」


 何度も心の中で叫んでいる。どんなに頼んでも、ハルカはその存在さえも感じさせてはくれなかった。使命を果たし終えたと思って、もう居なくなってしまったのだろうか。


「真白には、分かる?」

「ごめん。その記憶は、私の中には無いよ」


 真白には、ほんの僅かに自分が幽霊だった時の記憶がある。救いを求めて彷徨っていた気がしている。しかし、藍を襲ったという覚えはなかった。でも、断言できない。記憶は曖昧で、図書館にいたことも覚えてはいなかった。


「翠姉ぇ、大丈夫だってっ」


 三人の深刻な表情に、藍は自分の身に何事が起きたのか心配になった。だが、気分はむしろ爽快としている。少し倒れてしまったばかりに、こんなにも心配されて申し訳なく思った。


「翠は、このまま一緒に帰ってあげた方がいいよ。先生には言っておくから」


 真白が藍の顔を覗き込んで言った。自分の幽霊が襲ったのだろうか。真白は不安を隠さずにはおれなかった。


「どこかへ行くのっ?」


 藍が姉を気遣いながら、小声で訊いた。


「先生に呼ばれて、美術室へ」

「じゃあ、翠姉ぇも行ってきなよ。私は、平気っ」

「駄目駄目、藍ちゃんを一人にはさせられないよ」


 真白は絶対に不安になることをさせない。もしものことがあれば、真白は悔やんでしまう。原因が自分にあったらと考えると、気が気ではなかった。


「じゃあ、私も行くっ」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねて、藍は大丈夫であることを主張した。翠は真白と玄を見て、こんな妹で御免なさいというふうに頭を下げた。


 先生の要件は、三人にペインティングナイフセットを渡すことだった。


「先生のお手製ですか?」


 ブレードの先のしなやかさが市販品とは違っている。ハンドルも含めてオールステンレス製で、豪華なプレゼントであった。


「まさか。でも、特注品だ。大事に使ってやってくれ」


 先生はポンポンと三人の頭を順番に撫でていく。部員の宝物になればいいと心を込めて渡した。


「きゃきゃきゃゃゃきゃ。ふぅぅぅぴぃぃ、ふぅぅ。りりりっぎぎぎっ」


 美術室の壁に掛けられた卒業生たちの作品を見ては、藍は一人で奇妙な歓声を上げている。一つ一つを擬音化して表現しているようだが、玄たちには謎の奇声としか聞こえない。


「藍ちゃん。これ、あげるわ」


 玄は新品の絵筆を差し出した。藍には玄の意図が分らないかもしれない。しかし、藍には絵筆を持っていて欲しい。藍が違う未来を選択していても、玄には魔法使いの藍が未来にも少しだけいて欲しかった。


「ありがとうございますっ」


 藍は絵筆を受け取ると、くるくると回した。まるであの時の藍のように、ちょこちょこと爪先立ちで、廊下へと出て行ってしまった。


 美術室前の廊下から古墳丘が見える。そよ風が流れ、藍のさらさらのショートボブの髪が揺れていた。


「ここから見える小さな丘の上。あのてっぺんの木に墓碑があるんですっ。そこに眠っているのは、ふたりっ。つまり、玄さんと玄さんです。そして、二人の魂は、《わたし》の魔法で元に戻るんですっ」


 藍の口から言葉が自然と漏れてきた。


七月十二日は、特別な日だ。特異日という。


藍が口にした言葉は、藍自身のものではない。誰も聞いていない。

もし誰かが聞いていたとしても、玄さんと玄さんと《わたし》を、果たして誰のことかと正確に聞き分けられるだろうか。


玄という名前は、四人を差している。

ゲン。ハルカ。ハジメ。玄。


そして、

《わたし》とは、誰なのか。

藍。アイ。マシロの声をした藍。

それとも、四人の玄。


 その言葉を発しているのが、紛れもないあの人だから、正確に言っている。図書館の壁から現れたあの人だ。この物語りの要にいる人。


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