古墳丘で
学校の木造校舎の延長線上に古墳への丘陵が始まる。そこから墳頂に向かって登って行くと、校舎の一部が見え隠れしていた景色が一変して、学校全体を眺める場所に出る。そこは木々が生い茂って、日中でも薄暗い山林の一角だった。
ブゥンーーー
空間が唸っている。歪みが異様な響きを放って、異世界への扉を開いていた。歪みの穴の奥は、白一色の鏡の部屋がある。誰もいない、何も無い空間だ。
鏡が水面のように僅かに揺れた。何も無かった白い部屋に、黒い影が鏡の壁からドサリと落ちる。ゆらゆらと揺れる影。その姿は、確実に、胸一杯になるほどに、感無量で熱い魂が震え程の存在を現わしていた。
ポニーテールの女の子が、墳丘の始まりに立っていた。楽しいのか怒っているのか、はたまた悲しいのか、その表情からは分からない。ただ視線は一点を見据えている。脇目を振らず、向う先だけを見詰めていた。
近くから喧騒が伝わってくる。木造校舎の反対にある講堂に集まって行く全校生徒のどよめきと騒音だ。皆が口々に不安を語り、見えない恐怖に身を震わせていた。中には強がって反抗する男子生徒もいたが、数台のパトカーが校内に厳つい姿で登場すると、まるで殺人犯を見たように大人しくなってしまった。
校舎を挟んで状況がまるで違っている。更に墳墓に足を踏み込んで行くと、喧騒が途絶えて静寂しか残らない。女の子が一歩一歩と進む足音と、樹間を擦り抜ける歪みの異音が、異常なほどに響いて耳を襲っていた。
「本物の肉体になった気分は、どうだい?」
白い部屋にいた影が、冷たい笑顔を浮かべて女の子に尋ねる。
「とてもいいよ、気分はね」
本当にいいのか? そう訊き返したくなってしまう無表情さで応えた。
「ついでに本物の心も取って来たんだね」
「居ても居なくても、同じだから」
「ハハハ、まるで玄ちゃんだね。なんなら、ハルカの心も取ってくればよかったのにね。そうすれば、僕たちは完璧になれる」
「そうだよ。私は玄だよ。それに、心配いらないわ。ハルカが来てくれる為に、ちゃんと分かるように印を残しておいたから」
「ハルカだから、よく分かるもの?」
「そうね。ハルカは、しっかりと覚えている子だから、必ずここに来るよ」
「そうかい。それなら、僕たちは一つになって、別れてしまう前に戻れるね。正真正銘のゲンになれるんだね」
「そんなにハルカが嫌いだった?」
「当り前だ。僕をハジメにしてしまった屈辱を思い知らせてやる。君だって、玄の恨みを晴らせ」
白い部屋の中にいた黒い影。感慨深いその存在は、ハルカにとってのものだ。ハジメと言う、あちらの世界のもう一人のハルカ。ハジメとは、そう言う存在なのだとハルカは信じていた。何の疑いもなく、あちらの世界の母に言われたことを信じ切っていた。
墳頂の学校全体を眺める場所に、一つの足跡が聞こえてきた。迷いの無い足音は、真っ直ぐに歪みの空間へと向かっている。その場所に何があるのか。それを知っている力強い足取りだった。
キリキリキリ・・・
ハジメは白い部屋の中に身を隠して、ハルカを迎える準備をした。ポニーテールの玄は無表情に笑って、その足音を待ち構える。翠に取り憑いているハルカを、玄は拒絶している。絶対に存在していてはいけない存在なのだ。他人の人生を奪うしかしないハルカを、即刻無にするべきなのだ。
キリキリ・・・
玄は、青いスカーフに白いセーラー服の上着姿で木立に悠然と起立する中学生を見た。
「何で、お前が―――」
ヒュン!
弓音が聞こえるよりも早く、矢が玄を貫いた。僅かに脇腹をかすめて、セーラー服の上着を貫通していた。