団地の敷地で
そして、
「私はみんなを許さないんだよ。そう言ったのを忘れたの?」
朋美と恒生は蒼白になった。やはり許されない。許しては貰えない。女の子にとって顔の傷は、取り返しがつくものではない。一生この罪を背負って行く。それしかないと諦めるしかなかった。
「あの時の私は、そう言った。そう言わせたのは、あなたたちだったのよ。それは分かっているよね」
真白はきつい眼つきになって睨んだ。だが、それはほんの一瞬ことだ。すぐに天を見上げて、真白は頷いた。
「うん。だから、毎日下校の時に、校門にいてくれたんだよね」
玄を見詰めて、このとんでもない親友に文句の一つでも言いたくなった。
「二人の気持ちを、私はもう受け取っているよ。でもね、だからって、そんなに簡単に許してあげるなんて言えない私だって、ここにいるのよ。それだけは分かって欲しい。この胸の奥深くには、絶対に許せない気持ちがあるって。だから、それでも、私は許してあげる。笑ってあなたたちを許してあげる」
真白の気持ちを知り抜いている玄に、真白は絶対に言いたくなった。ホッとしている朋美と恒生と別れて、久し振りに一緒に帰った。夕日はもう沈んでしまって、逢魔が時になっていた。
「玄ちゃんとは、いつも一緒に居なくても寂しくないよ。ありがとうね。これで私の気が済んだよ。ずっと気になっていたし、言いたいことも言えたしね」
「そんなのいいよ。友達なんだから、そろそろかなって思っただけだから」
このとんでもない親友は、とんでもなく鋭い。離れて見ているからこそ分かるって、本当のことなのだろうか。それだから、より親しくなるって本当のことなのだろうか。
高い木々に囲まれた神社の突き当りが、玄の真白の分かれ道だ。朱塗りの鳥居の前で、玄は少し右手を上げただけで、真白と別れた。久し振りに一緒に帰ったからとか、積年の心のしこりを失くしてくれたからとか、そんな出来事はいつものことだとでもいうふうにさらりと流していた。
「月が引っ掛かってるみたい」
高級マンションの敷地から団地を見上げて、玄は呟いた。それはまるで大きな指輪が団地の壁に引っ掛かっているみたい。右手を差し出して、一筆書きでサッと月の形をなぞった。
そんなことをして少し恥ずかしくなって、玄は辺りを見回した。誰もいなければいいと願ったのに、残念ながら玄と同じ制服を着た中学生の女の子がいる。
見られた!
顔が熱くなるのを感じてしまう。急いで目を伏して、女の子にそんな表情を見られないように背を向けた。
嫌だわ。何処の子なんだろう?
玄は一瞬見た女の子を、思い返した。白いセーラー服の上着に青いスカーフ。そして、ポニーテールの髪形は、まるで今の自分の姿とそっくりな気がした。
もう一度団地を見上げて、引っ掛かっている薄い月を見た。団地の敷地に入る段差の階段が、日が暮れて陰になっている。離れている街灯の光は暗く、敷地全体を照らし出すには弱過ぎる光量しかなかった。
「えっ!」
突然、強い力で背中を押された。体が浮き上がってしまうほどに、前方へと突き飛ばされていた。その先は段差の下。下手に落ちれば怪我をしかねない高さがあった。
!
段差の下に鈍く輝く五つのものがあった。忘れる筈がない。あれは熊手だ。真白の顔に傷を負わせた熊手が、玄が落ちて行く段差の下の地面で、鋭く尖った釘のような五つの凶器を突き出していた。
咄嗟に体を捻って、玄は熊手を避けようとした。しかし、それが出来ない。背中に何かが載っている。重みが伝わり、しかも体勢を変えられないように両肩を押え付けられていた。
熊手が目の前に見えた。玄は腰を曲げて、顔面から落ちることを覚悟して熊手だけを避けた。真白の事件以来、熊手は玄の恐怖の記憶になっている。人生感を総て変えてしまう、そんな凶器だった。
ドサリッ
地面に落ちた玄は、目の前に熊手を見た。顔を地面に強打されたけれど、僅かに熊手を避けることが出来た。急いで立ち上がろうとするも、それを背中に載る何かが阻止している。
「あなた、何?」
背中に載っている女の子の襟首を掴んで、玄は力尽くで押し退けようとした。だが、微動だにしない。
「どきなさいよ。こんな危ないことをしていいと思っている―――の?」
玄は女の子の顔を見た途端、言葉を途切れさせてしまった。
何なの、これは? 夢? それとも、びっくりテレビ番組なのだろうか? およそ信じられない光景が、今の目前にある。絶対に有り得る筈がない。有るとするならば、夢かびっくりテレビだ。
もう一度、目を凝らせて、玄は女の子を見た。
ポニーテールの女の子。それはまさしく、玄自身の顔をしていた。その女の子が、ゆっくりと熊手を拾い、そして持ち上げる。否、振り被ると言ったほうが正しい。
無表情なハルカの肉体は、玄にまたがって力の限り熊手を振り降ろすのだった。




