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月と魔法の物語り  作者: Bunjin
七月十二日―――再会
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衝撃の教室で


 朝の図書館の鍵を開けると、そこは本の匂いに満ちている。この日の貸し出し図書の返却はまだない。当然だ。図書館に一番遅くいて、一番早くいる。何も変わっていないのは当然だった。


 翠は掃除をしながら、窓から差し込む朝日を浴びている。そして、東の空に低く月が白く浮かび上がる。細い月。その存在を隠すかのように朝空の雲の間にいた。


 机を綺麗に拭き上げながら、向かいに建つ校舎を見詰めている時間が、翠は好きだ。生徒たちが登校して活気が満ちていく瞬間。静寂の校舎が生き返る瞬間。その変化は冬から春に季節が変わる生物の息吹を見ているかのような気がした。


 予鈴が鳴る前に教室に到着して、翠はいつものように筆入れを開けてみる。十二色のボールペンとシャープペンシル。翠はノートにボールペンで書き込むようにしていた。只、板書された文字を書き移すだけではなく、先生の言葉を記録していた。多くの色を使って、その時に感じた気持ちで色分けをしていた。だから習ったことの重要度が分る。ここが大切なこととか、どうでもいいこととか、ノートを見さえすれば、その時の自分の気持ちさえも思い出すことが出来た。他人にそのノートを貸すと、いつでも見難いと言われて返されてしまう。罫線を無視して書き込んだり、枠外に注釈を書いて線で結んだりと、個性的なものだった。


 本零が鳴る前に、担任女教師が教室に現れた。一時間目の授業は数学なのだから、社会科の担任女教師が何故来るのかと、教室中が唖然としている。


「皆さんに―――」


 顔色が蒼い女教師。教壇に立ちながら、赤い目を生徒たちに向けた。


「皆さん。どうか落ち着いて聞いてください」


 そう言っている女教師が、一番うろたえている。視線が一定せずに、生徒たちと視線を合わせるのを恐れているかのようであった。


「皆さんに、悲しいお知らせをしなければなりません」


 まだ席に着いていない生徒もいる。それなのに、そんなことも分からないでいる女教師は、何もかもが普通ではなかった。


「清水玄さんが、亡くなりました。―――昨夜、何者かに殺されたのです」


 それだけを言うのが精一杯で、女教師は嗚咽したまま口を閉ざした。驚愕する生徒たちを前にして、何も出来ない。何も言えない。震える体が、さらに震えて崩壊寸前に陥っていた。


「殺されたって、どういうことだ?」

「そんなこと、今朝のニュースでも言ってなかったよ」

「うそだよ。そんなの信じられない」

「殺されたってことは、事故じゃないのかしら?」

「先生は、何者かにって言ったんだ。まだ犯人は捕まっていないってことだぜ」

「それじゃあ、犯人は近くにいるのかもしれないの?」

「怖いわ」

「どうしたらいいの?」

「家に帰るのは危ないよな」

「嫌よ。こんな所で死にたくないわ」


 恐怖が狼狽を騒乱に、そして混乱から狂乱と恐慌へと変えてしまう。女教師の崩壊した惨めな姿が、生徒たちに極限までの恐怖を与えてしまったのだ。


 ダンッ!


 教室の中央で衝撃音がした。何かを叩き付ける音。周囲にいた生徒が驚いて振り返ると、両手の拳を硬く握り締めて机を叩く翠が、そこにいた。


「私のせいだわ。私が―――玄を死なせてしまったのよ」


 翠の中のハルカは、悔やみ切れない。真白を守ることばかりに専念していて、玄の危険など微塵にも考えてはいなかった。


「どうしたの、佐藤さん?」

「そうよ。私が玄を殺してしまったんだわ」


 絶叫するように翠は、喉が張り裂けんばかりに言う。その視線も、表情も、普段の穏やかな翠とはかけ離れている。だからこそ、皆は思ってしまった。


 すわ、犯人がここにいる。


 少し考えれば、否、考えなくても有り得ないことではないか。翠が玄を殺す筈がない。殺せる筈がないのだ。


 椅子から飛び上がる翠は、窓際の席の真白を見据える。動揺している視線が返されてくる。真白が脅えている。最大の親友を失ったことへの恐怖が、真白に未来を放棄させてしまうとでもいうのだろうか。


 ―――ダイジョウブダヨ


 声が出せない。声が出ない。それでも翠は震える唇を動かして、何度も真白をそう励ますしかなかった。玄を救えなかった後悔は、翠にも衝撃的過ぎる。使命は真白を救うことだけだったのか。玄はどうでも良かったのか。ハルカ自身ではなかったのか。玄はハルカである自分自身なのではなかったのか。


 だから殺してしまったのは、自分でしかない。誰がやったにせよ、守れなかった結果は翠の中にいるハルカが負うことになる。


 周りの生徒たちに誤解される言葉を発して、翠は敵意の視線を向けられている。でも、今はそんなことよりも、玄の許に行かなければならない。死んでしまったのに、今更どうする。そんなことは分り切っていた。だからって、理性でこの場に留まっていられるほどハルカは冷血ではなかった。


 ほどなく全校生徒が講堂に集合を命じる校内放送があった。学校としては非常事態宣言をして、全生徒を無事に帰宅される義務がある。警察や父兄と協力して、集団下校をさせるつもりだった。


 そんな状況の中を、翠は一人で学校から脱出していた。こんなことをしてしまって、ハルカは翠に多大な迷惑を掛けることになる。優等生の翠を作り上げる。ハルカにとって理想の翠になる。そう考えて日々を頑張ってきた。


 でも、ごめんね、翠ちゃん。


 ハルカは謝りながら、玄が暮らす団地に急いでいた。


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