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月と魔法の物語り  作者: Bunjin
七月十二日―――再会
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団地の広場で


 翠は図書館で宿題をしている。そろそろ弓道部が稽古を終える時刻だ。窓から道場を眺めると、片付けている部員たちの姿が見えていた。


「お疲れさま―――」


 ここからそう呟いてみる。もうすぐ日が暮れる。いつもの光景だ。山の斜面に日が遮られて、安土は深く影を落としていた。それでも斜めから差す日は、射場の真白を浮かび上がらせてくれている。そこにいてくれている。それを確認させてくれている。翠にはそれが嬉しかった。


 後片付けをする手を止めて、真白は校舎を見上げた。あの窓辺にいた人影は、もう居なくなっている。絵筆を持っていたその人は、先に帰ってくれたんだとほっこりした。


 お互いに気を遣わない。遣わないでいられる。でも、本当はいつも相手のことを思っている。思っていられる。そんな気持ちをお互いが持っている。だから安心している。安心していられるのだった。


 校舎の前の並木道を、玄はたった一人で帰った。中学生になって、親しくなった級友も部活仲間も多くいる。しかし、帰りはいつも一人でいた。ここを歩いていれば、知っている顔に出会うこともある。今だって、朋美が校門脇で男子生徒と仲が良さそうにいるし、クラスメイトの男子たちもじゃれ合って騒いでいる。


 玄が朋美とすれ違う時、朋美の口がいつも僅かに開く。思い詰めている何かを言おうとしている。しかし、声が出せない。出せる言葉は、いつだって―――


「バイバイ」


 こんな挨拶ではなかったのに。今日こそは言おうと、二年間も思い続けているのに。たった一言、本心からご免なさいと言うだけなのに。


 朋美と一緒にいる男子生徒は、いつも校門で玄に背を向けていた。小学生の頃から巨漢で、その体格は今では大人で通用していた。


 辛島恒生【つねお】が朋美といるのは、同じ罪を背負っているからだ。朋美が謝れないでいるのと同様に、玄に背を向けてしまう。顔を合わせられないのだ。真白には尚更、近くにいることさえ出来ないでいた。クラスが違っているのがせめてもの救いだった。そうでなければ、登校も出来なかったかもしれない。


 玄のお気に入りの場所がある。学校から少し歩くと、長い緩やかな下り坂が続いている。車道と歩道の区別がない土手沿いの田舎道だった。ここから眺める景色は最高だ。ずっと奥まである田に水が張られて、真っ赤な夕焼け空が反射していた。夏になれば緑一色の美しさに輝く。秋には黄金色の稲穂。そして冬になれば、白銀の雪の世界。一年中がとても素敵な場所だ。


 玄が好きな場所はまだまだある。この向こうの神社は高い木々に囲まれて、朱塗りの鳥居がまるで絵画のように色の対比が鮮やかだ。その先のスーパーマーケットだって、大勢の人々で賑わっていて楽しい。玄の大好きな街が、ここにはあった。


 古い公営団地が見える。薄汚れた鉄扉が並ぶコンクリートの住居。その三階の一つが、玄の幸せな居場所なのだ。西の空に低く薄い月が沈みつつある。団地の端の壁がちょっと邪魔しているけれど、それが何だか月が壁に引っ掛かっているみたいで楽しい。思わず笑ってしまいそうに玄はにっこりとした。


 高級マンション側の道路から団地の敷地に入るのには、数段の段差を降りる。ただでさえ見降ろされている感じがしてしまう威容の格差。所々に残る壁の補修痕が、惨めなくらいにその差を広げていた。


 玄は、団地を見上げながら段差に差し掛かった。古いけれど、こっちの方がずっといいに決まっている。そんな心休まる場所だった。


「えっ!」


 突然、背中に強い力を受けた。体が浮き上がって、前方に飛ばされている気がした。


 ?


 何が起こっているのか、玄には理解できない。私は突き飛ばされたのかな? 


 段差から落ちて行きながら、その下の地面が見える。そこには、街灯の光に照らされている鈍い輝きがあった。


 !


 鈍い輝きは五つある。鋭く尖った釘のようなものが、真っ直ぐに五つ並んで飛び出ていた。玄には見覚えがあった。忘れる筈がない。真白を襲った醜い凶器だ。


 熊手!


 気が付くのが遅かった。もう避けられない。玄はそのまま、熊手の上に倒れ込んでしまうのだった。


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