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月と魔法の物語り  作者: Bunjin
七月十二日―――再会
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弓道場で


 気力を丹田に収め、精神力を集中して持続させる。そこから生じる正確な的中の瞬間がある。射術が狂う心の動揺には、精神の修練を積み重ねる。それが物事に動じない不動心と平常心を養うのだ。


 中岡真白【ましろ】は弓道場で的中よりも、正しい射行の成功を楽しんでいた。的は動かない。しかし、ちょっとした心の動きで失敗する。それが面白い。もっと自己の人格を磨き上げる必要を感じる。人生のあらゆる局面でも耐えられる精神力を欲していた。


 矢道の向こうの的場は、山の斜面を利用した安土になっている。その斜面は木々が生い茂り、校庭に沿って続く。実はそこは古墳なのだが、それを知っている者は少なく、墳丘を登ると墳頂に朽ちた小さな墓碑があった。真白の目には、山の端は木造の校舎の一部かのように連なっている。そんなふうに見えていた。


 校舎の窓辺には、いつもの人影がある。白い半袖のセーラー服に二本の線がある大きな襟は、青いスカーフと同様に校章があしらわれている。長い髪を後頭部で一つにまとめて垂らした髪型の女の子。いつも放課後にその場所を定位置にしていた。美術室でイーゼルに載せたキャンバスを前にしているのは、中学二年生になった清水玄【はるか】だった。


 右肘を直角に曲げて弦を引く射手がいる。斜めに掲げた左手に握る弓が、打ち起こしから均等に引き分けられている。静かに的を狙う落ち着いた視線が、真白の心身が一つになっていることを描いていた。


 玄が描くキャンパスの中にいる弓道着姿の真白は、何時だってとても勇ましい。これが本来の真白だと知っている。控え目で遠慮がちだが、後ろ向きではない。大勢順応型が多い同世代の中で、真白だけが信じられると玄は思っていた。


 二人で描いていたスケッチブックは、もう何冊目になっただろうか。初めは下ばかり向いている真白の顔を上げさせようと、空を見上げて雲ばかり描いていたのに、いつの間にか風景を描いたり、お互いを描いたりしていた。玄は描くという得意な分野を使って、小学生だった頃の真白を励ました。だから今では特技という形で、二人の共通項になった。


 玄が中学校のクラブ活動で、美術部を選択したのに、真白もそれを選ばなかったのにはわけがある。友達とはいつも一緒にいるばかりの存在ではないものだ。居ても居なくても気にならない。それが玄の境地に達した部分だった。真白はそれに異論がない。別に悟ったと言うつもりではないが、まだ小学生だった真白の心には染みた。胸を打つ。感銘を受ける。そんな感じがしたからだった。


 だから同じクラブには入らない。お互いに離れて、お互いを見る。そうすれば、もっと深くお互いを知ることが出来ると思った。


 図書館に籠りがちな生徒の一人に、佐藤翠【みどり】がこのところ目立っている。教師たちにすれば、別段悪い評価ではない。真面目に図書館の事務を務めてくれている未来の学生司書としての重要な候補だった。


 ただ一つ問題なのは、およそ考えられないほどに、とんでもなく、信じ難くぶっ飛んだほどに図書館にいたからだった。生徒たちの登校前に図書館の鍵を開けて、返却本の整理をしていた。昼休みと放課後に貸出業務を従事したり、地域の記事をチェックしてスクラップにして新聞の整理をしていた。本の痛みをこまめに確認して、修理をする作業も率先してやり遂げている。


 教師たちにとっても、先輩生徒たちにとっても、翠は並外れて突出する程にずば抜けて役に立つ働き手だった。何もしなくても、何も言わなくても完璧に作業をしてくれる。お誂え向きの中学生。好都合の中学生。最適の中学生。それが翠だった。


 翠には迷いがあったのだった。ハルカになってしまっている今、中学生の翠をどのようにしてあげたら一番いいのかを。ハルカが知っている翠には、中学生の記憶がない。いや、ある筈がない。ハルカが知っている中学生の翠は、引っ越してしまっている翠だ。高校受験をして入学してきてくれるまで、ハルカは翠のことを知らない。高校で学生司書をしている翠しか、ハルカは何も知らないのだった。


 だから、こんなことしか出来ない。高校の時に難しい本ばかり読んでいた翠だから、きっとこうだったに違いない。そんな憶測だけで、翠になろうとしていた。いや、違う。ハルカが償いとして、演じていただけなのかもしれない。


 そんな翠の表情をありのままに描いているスケッチブックが、玄の手元にある。あらゆる角度から切り取った翠の素描は、或いは翠の中の自分を写し出しているかのようだと、ハルカはそれを見た途端に感じてしまった。


 二人の友達になりたい。そう宣言したハルカは、どうしても二人と同等に付き合えられない自分がいるのを感じていた。二人を守らなければいけない使命を持っているハルカ。翠の人生を奪ってしまっているハルカ。七年もの未来から来た玄とは違うハルカ。


 何かを隠している。玄と真白に、それが勘付かれない筈がない。誰にだって他人には言えないことがあるものだ。そんなことは二人にも十分理解できている。でも、そう言うことではないと肌で感じる。ハルカにも、そうだと感じていた。


 放課後の図書館で、三階の窓から弓道場を見るのが翠は好きだ。古墳の山の斜面の安土の一角と、射場の射手が弓を引く様子が覗えた。もちろんそこに真白がいれば、すぐに気付く。距離が離れていて、顔が確認できないが、翠には間違える筈がなかった。


 中学生になってからの三人は、ずっとこんな調子だった。五年生の時の虐めは無くなっていたし、その張本人だった西倉絢哉【じゅんや】は不登校となり、卒業前に転校して行った。もう一人の張本人である竹宮朋美【ともみ】は、クラスを代表して玄と真白に謝罪することになった。そうさせられる事態になったという方が正解だった。


 如何にも取ってつけたような謝罪だった。相手の目を見もせずに、頷く程度に軽く頭を下げただけ。しかも、遅過ぎる。すぐにしなければいけないことは、頭の中では分かっていた。しかし、犯した罪が卑劣過ぎる。その場で謝ってしまえば、その重罪に押し潰されてしまう。その恐怖が行動する切っ掛けを逸してしまう理由だった。


 当然、二人からは許すとは言ってもらえないでいた。


 時が経てば、水には流すかもしれないけれど、絶対に許ない。二人にとっては、そう言うことだったのである。だから、朋美を含めて全員がいつまでも中途半端のままでいる。虐めがあったということは無かったことになるかもしれないが、現実に傷を消せない限り許されないのは当然であった。


 進学をして、誰もが生活環境を変えていく。その為なのか、玄と真白が一緒にいなくなっていった。それを見るかつてのクラスメイト達は信じられない気分だった。どんな時でも助け合っていた二人が、こんなことになるなんて考えられる筈がない。その謎を誰も解明できることも出来ないで、唯々傍観しているほかない。これこそが友情だと羨ましく思っていたのに、呆気なく進学と同時に霧散してしまう。がっかりするではないか。所詮友情と、その程度のものなのだと思ってしまうばかりであった。


 朋美も、二人の仲が悪くなったのだと思い込んだ。だから今度は、自分が二人の為になってあげる。その思いを募らせているのだった。


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