昔日となるあの日で
言える筈がないではないか。真実を知っているのは、朋美だけではない。クラス全員が知っている。それなのに、朋美が返答すれば、その責任の全部を負ってしまう。それはあまりにも過酷過ぎた。
「―――」
朋美は応えない。
「いいよ、ともみちゃん。何も言わなくていいよ」
玄は笑っている。こうなることを分かっていたかのように笑っている。そして、クラスメイト全員の顔を覗き込むかの如く、一人ひとりを見ていく。
「ましろちゃん。やっぱりこのクラスの人は仲間でしかないね」
翠は玄の言葉に悲しくなった。確実に全員が知っている。玄の行動はそう言っているのと同じだったからだ。
誰も助けてくれない。助ければ、身の破滅になる。全員が悪者だから、助けられない。誰もが黙っているしかなかった。
「ほら」
絢哉は口元を歪めながら、やっと言葉を発することが出来た。
「ほら、俺じゃない。俺がそんなことをするはずがない。―――竹宮。そうだって、はっきりと言ってやれよ」
絢哉は朋美に助けてくれるように命じている。鋭く睨みつけて、いつものように偉そうな態度を取った。それがこの場合にどんなことを他人が感じるのかを分かっていない。
「はるかちゃんの言う通りだよ。西倉くんはましろちゃんに、わざと怪我をさせたわ。私ははっきりと見ていたもの」
言い終わって、朋美は口元を一文字に結んだ。それは明確な決意の表れだ。絢哉を恐れない。そう言う決意の表れだった。
「何でだよ、竹宮。お前はそんなことを言ってもいいのか。みんなからどんなことをされるのか分かっているんだろうな」
絢哉は全員を背にして言い放った。全員が味方していると信じ切っているから、その先頭に立つことができるのだった。
「いい加減にしろよ、西倉」
「そうよ。あんなの犯罪だわ。先生に言い付けてやるわ」
「女の子の顔に傷をつけるなんて、最低よ」
背後から絢哉を攻撃する声が上がった。
「お前ら、そんなことを言ったら、俺の父ちゃんが許さないからな」
父親は弁護士。それが小学生を疑いもなく真に受けさせて、絢哉を崇めてしまう理由だった。
「息子が犯罪者になったら、その父ちゃんだって終わりだよ」
「そんなことないさ。人を殺したって、父ちゃんなら無罪にしてくれるさ」
「こいつ、人を殺してるんだってよ」
「マジ」
「こいつ、ヤバイよ」
クラスメイト達の攻撃は終わらない。その中で朋美がホッとしているのを、玄と真白は見逃さなかった。
「私はみんなを許さないんだよ。そう言ったのを忘れたの?」
その声に全員が、誰が言ったという顔をした。あまり聞き覚えのない声だ。控え目に言っているが、はっきりと聞き取れるものだった。
「そうだね。私だって、みんなを許さない」
今度は玄の声だ。それは全員に聞き覚えがある。だとしたら、あれは誰が言ったのだろうか。玄の横に、凛として佇む女の子がいた。
そうだった。全員が思い出す。その言葉は以前に全員が聞かされたものだったからである。
「許されない筈のみんなが、どうして西倉くんを責められるの?」
玄の横にいる真白を言う。
けれども、誰も謝らない。もちろん、真白も玄も謝って欲しくもない。そんな言葉を、口先だけの言葉を、望んでいるのではなかったから。
「最悪だな、このクラスって」
隣のクラスの誰かがそう言って、去って行った。それは全員が感じていることだ。最低だ。そんなことは分かっている。そして、誰もがそれを打開する方法を知っている。
だが、出来ない。思っていることを出来ない。一言謝ればいい。心からそう言えばいい。それだけなのに、誰も出来ない。
―――けっこう難しいだよ、友達になるって。
翠は玄が言ったことを思い出した。素直なことを言い合える。お互いを分かり合える。本当の友達とは、そうものだ。だから一緒にいなくても、離れていても寂しくはない。玄は、そう言っていたのだった。
翠の日々は、五年生の生活が過ぎ去って、六年生の梅雨の時期が始まっていた。クラスメイト達は、もう誰も隣のクラスに行かなくなっていた。陰湿で陰険な雰囲気の中に、好んで行く筈がない。
相変わらずに、玄と真白はクラスで孤立している。でも、状況はすっかりと変わってしまっていた。競ってグループを作っていたのに、それも崩壊している。全員が無言で教室にいるだけで、他人に関わることを避けていた。
そんな中で、いつも笑顔なのはこの二人だけ。玄と真白だけがスケッチブックを持って、教室の大きな窓から空を見上げている。
そして、―――
六年生のハルカの七月十二日は、過ぎ去って行った。